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2スーの居酒屋に|寄り道して|ヴィクイトールを|乗せた。||車に|乗り込むと、|ヴィクトールは|居酒屋の|主人の|ほうを|振り返り、|こう|言いたげな|目配せを|送った。

「どうです、|俺が|どれだけ|丁重に|扱われているか!」
跳ね上げ式の|補助席に|座り、|メグレと|向かい合っていた。||窓が|開いていたが、|図々しくも|媚びるような|口調で|言った。

「窓を|閉めて|もらえませんか?||肺の|ために|どうしても」

その日、|競技場では|レースが|なかった。||数人の|スポーツマンが|ガラガラの|観客席の|前で|一人で|練習している|だけだった。||かえって|広大な|感じが|した。
どこかに|止まっている|車と|憲兵の|制服と、|革ヘルメットを|かぶった|男が|バイクの|前に|かがんでいた。
「あちらです!」と|誰かが|警部に|言った。

ヴィクトールは|時速二百キロほどで|コースを|回っている|レーシングカーに|夢中で、|今度は|自分から|窓を|開けて|身を|乗り出していた。

「確かに|私の|車です!」と|医者が|言った。「無事だと|いいが」

バイクを|修理している|オートバイ乗りの|前に、|ジェームズが|顎に|手を|当てて|泰然と|座り、|整備士に|アドバイスを|していた。||メグレが|二人の|連れと|近づくのを|見て|顔を|上げ、|ぼそりと|言った。

「ほう!||もう|来たのか?」
それから|ヴィクトールを|頭の天辺から|足の先まで|見て、|驚いたように、|この男が|ここに|いる|理由を|考えているようだった。

「誰だ?」
メグレが|この|出会いに|期待を|かけていたなら、|失望するしか|なかった。||ヴィクトールは|イギリス人を|ちらりと|見ただけで、|レーシングカーの|周回に|目を|戻した。||医者は|すでに|車のドアを|開けて、|傷が|ないか|確かめていた。

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「ここに|来て|どのくらいに|なる?」と|警部は|ジェームズに|ぶっきらぼうに|聞いた。

「わからない。||かなり|前かも」
信じられないほど|淡々と|していた。||警察の目の前で|女と|子供を|連れ出し、|そのせいで|セーヌ=エ=オワーズ県1の|憲兵隊が|まだ|総動員されているとは|とても|思えない|様子だった。

「心配するな」と|ドクターに|言った。
「タイヤだけだ。||あとは|無事。||いい車だ。||少し|エンジンが|かかりにくいかも|しれないが」

「昨日、|バッソから|妻と|息子を|迎えに|行くよう|頼まれたんだな?」

「そういう質問には|答えられないよ、|メグレ」

「どこで|降ろしたかも|言えないな」

「俺の|立場なら|あんただって……」

「それにしても|一つ、|すごいことを|やってのけた。||プロでも|思いつかない!」
ジェームズは|控えめな|驚きの|目で|見た。


「何が?」

「競技場だ!||バッソ夫人は|安全な|場所に|いる。||しかし|警察に|すぐ|車を|見つかっては|まずい。||道路は|全部|封鎖されている。||そこで|競技場を|思いついた!||走り続ければ|いい、と」

「実は|ずっと|前から|走ってみたかったんだ」
しかし|警部は|もう|彼に|構わず、|スペアタイヤを|取り付けようとしていた|ドクターの|ほうに|飛んでいった。

「待て!||この車は|追って|通知が|あるまで|押収する」

「何ですって?||私の車が?||私が|何を|したというんです?」
抗議しても|無駄だった。||車は|ガレージの|一室に|閉じ込められ、|メグレが|鍵を|持っていった。||憲兵は|指示を|待っていた。||ジェームズは|煙草を|吸っていた。||ヴィクトールは|相変わらず|レーシングカーが|走るのを|眺めていた。

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「こいつを|連れて行け!」と|メグレは|ヴィクトールを|指さして|言った。
「司法警察の|留置室に|ぶちこんでおけ」

「俺は?」と|ジェームズが|聞いた。

「まだ|何も|話すことは|ないのか?」

「特に|ない。||俺の|立場に|なってみろよ!」
メグレは|むっとして|背を|向けた。
月曜日は|雨に|なった。||メグレは|内心|喜んだ。||どんよりした|空が|自分の|気分と|その日の|仕事に|よく|合っていたからだ。

まず|前日の|出来事の|報告書。||警部が|命じた|大規模な|警戒活動を|正当化する|報告書だった。
十一時に、|司法鑑識の|専門家二人が|オフィスに|迎えに|来た。||タクシーで|三人は|競技場に|向かった。||そこで|メグレは|専門家たちの|仕事を|見守るだけでよかった。

ドクターが|工場から|出たばかりの|車で|走ったのは|六十キロ|だけと|わかっていた。||走行計は|今や|二百十キロを|示していた。||ジェームズが|競技場で|走った|距離は|約五十キロと|見積もられた。
残りの|百キロほどが|道路での|走行だった。||モルサンから|モンレリーまでは|直線で|わずか|四十キロ。
そこで|道路地図の上に、|車の|行動範囲を|絞り込む|作業が|残った。
専門家たちの|仕事は|緻密だった。||タイヤを|丁寧に|こすり取り、|埃や|破片を|集め、|ルーペで|調べ、「一部は|後の|分析用に|保管した。」
「新しい|タール!」と|一人が|報告した。
もう一人は|道路局が|提供した|特別な|地図で、|与えられた|範囲内で|道路工事を|している|場所を|探した。

四、五か所が|見つかったが、|それぞれ|方向が|違った。||最初の|専門家が|続けた。
「石灰岩の|かけら!」
そこに|地形図が|加わり、|三枚の|地図が|互いを|補い合った。||メグレは|不機嫌そうに|煙草を|吸いながら|行ったり|来たりしていた。
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「フォンテーヌブロー方面には|石灰岩は|ない。||しかし|ラ・フェルテ=アレ2とアルパジョンの間には|ある」
「タイヤの|溝の間に|麦粒が|見つかった」

観察結果が|積み重なっていった。||地図は|青と|赤の|鉛筆の線で|埋め尽くされた。
二時に、|ラ・フェルテ=アレの|市長に|電話して、|市内の|どこかで|ポルトランドセメントを|使った|工事が|行われていて、|セメントの粉が|道路に|落ちていないか|聞いた。||返答は|三時に|なって|やっと|来た。
「エソンヌ3の|製粉所が|ポルトランドセメントを|使って|改修工事中です。||ラ・フェルテから|アルパジョンへの|県道に|セメントの粉が|落ちています」
これで|一つ|確かなことが|わかった。||車は|そこを|通ったはずだ。||専門家たちは|さらに|いくつかの|物を|より|詳しく|調べるために|研究所に|持ち帰った。
メグレは|地図を|手に、|車の|行動範囲内に|ある|すべての|集落に|印を|つけ、|憲兵隊と|各市町村に|連絡した。
四時に|オフィスを|出た。||前日から|会っていない|ヴィクトールを|尋問しようと|思った。||彼は|司法警察の|階段の|下に|設けられた|仮留置室に|いた。||階段を|下りながら|ふと|思いついて、|オフィスに|戻り、|バッソの|経理担当に|電話した。

「警察です!||お宅の|取引銀行を|教えてください。||オスマン大通りの|バンク・デュ・ノール4?||ありがとう」

銀行へ|向かい、|支店長に|会った。||五分後、|メグレは|新たな|証拠を|手に|入れていた。||その日の|朝|十時頃、|ジェームズが|窓口に|現れ、|マルセル・バッソが|振り出した|三十万フランの|小切手を|換金していた。
小切手の|日付は|四日前だった。
「警部!||下にいる|やつが|どうしても|会いたいと|言い張っています。||重要な|話が|あるそうです」

メグレは|重い|足取りで|階段を|下り、|留置室に|入った。||ヴィクトールが|ベンチに|座り、|テーブルに|肘を|つき、|頭を|両手で|抱えていた。

「話を|聞こう」
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ヴィクトールは|すばやく|立ち上がり、|抜け目のない|顔をして、|左右に|体を|揺らしながら|話しはじめた。

「何も|見つからなかったでしょう?」

「続けろ!」

「ほら、|やっぱり|何も|見つからなかった!||俺だって|馬鹿じゃない。||昨夜、|考えたんだ」

「しゃべる|気に|なったか?」

「待ってください!||話し合いが|必要です。||ルノワールが|しゃべったかどうか|知らないけど、|しゃべったとしても|あなたに|十分な|ことは|言っていないはずだ。||俺なしでは|絶対に|何も|わからない、|これは|事実!||あなたは|困っている!||ますます|困ることに|なる!||だから|言いますよ。||こういう|秘密には|値段が|つく。||大きな|値段が!||俺が|殺人犯の|ところに|行って、|警察に|全部|しゃべると|言ったら、|欲しいだけ|金を|出すと|思いませんか?」
ヴィクトールには、|ずっと|頭を|下げて|生きてきた|下層の人間が|突然|力を|手に|したと|感じるときの、|あの|得意げな|顔が|あった。||一生|警察に|追われてきた。||それが|今、|自分が|有利な|立場に|いると|感じている!||計算した|ポーズを|とり、|意味ありげな|目配せを|しながら|話し続けた。

「だから|こういうことです!||俺に|何も|していない|人間に|不利な|ことを|言う|理由が|あるか?||浮浪罪で|刑務所に|入れたいですか?||俺の|肺の|ことを|忘れてる!||医務室に|入れられて、|療養所に|送られるだけだ!」

メグレは|黙って|じっと|彼を|見ていた。

「三万フランは|どうですか?||安いもんだ!||そう|長くない|残りの|人生を|穏やかに|終えるだけの|金。||三万フランが|政府に|とって|何だというんです?」
もう|手に|入れた|つもりだった。||有頂天だった。||咳の|発作が|遮り、|目に|涙を|浮かばせたが、|それは|勝利の涙の|ようだった。
自分が|賢いと|思っていた!||自分が|強いと|思っていた!

「これが|俺の|最後の|言葉だ!||三万フランで|全部|話す!||犯人を|捕まえられる!||出世できる!||新聞で|褒められる!||断るなら|何も|言わない!||犯人に|手が|届くとは|思えない。||六年以上も|前の|ことで、|目撃者は|二人だけだった。||ルノワールは|もう|しゃべれない。||残るは|この|俺だけだ!」

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「それだけか?」と|立ったまま|メグレが|聞いた。

「高すぎると?」
メグレの|落ち着きと|無表情な|顔のせいで、|浮浪者の|心に|不安が|よぎった。


「怖くない|ですよ、|俺は‥‥」
笑おうと|していた。

「こういう|やり口は|昔から|知ってる!||ぶちのめしても|いいですよ。||その後に|俺が|何を|しゃべるか|見てればいい。||肺が|一つしか|ない|哀れな男が……と|新聞に|載りますよ」

「それだけか?」

「あなた一人で|真実を|見つけられると|思わないほうが|いい。||だから|言う、|三万フランは……」

「それだけか?」

「俺を|釈放しても|馬鹿な|真似は|しない。||犯人の|ところに|走ったり、|手紙を|書いたり、|電話したりするほど|馬鹿じゃない」

声の|調子が|変わっていた。||ヴィクトールは|足場を|失いつつあった。||虚勢を|張ろうと|していた。

「まず|弁護士を|呼んでほしい。||二十四時間以上|ここに|置く|権利は|ないはずだ」
メグレは|小さな|煙の輪を|吐き、|ポケットに|手を|突っ込み、|出ていきながら|見張りに|言った。


「閉めろ!」
腸が|煮えくり返った!||一人に|なると、|顔に|出すことが|できた。||腸が|煮えくり返ったのは、|馬鹿が|目の前に|いて、|手が|届く|ところに、|意のままに|できる|ところに|いて、|その|馬鹿が|すべてを|知っているのに、|何も|引き出せないからだ!
まさに|馬鹿だから!||自分が|強くて|賢いと|思っているから!
恐喝を|思いついた!||肺を|使った|恐喝を!
会話の中で|三度、|四度、|警部は|あいつの|顔を|殴りつけたい|衝動に|かられた。||もっと|まともな|現実に|引き戻すために。||こらえた。
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だが、|手詰まりだった!||ヴィクトールに|対して|使える|法律の条文が|ない!
生まれてから|ずっと|盗みと|その日暮らしで|生きてきた|腐った|人間だ。||それでも|浮浪罪以外に|起訴できる|新たな|罪が|ない!
そして|あいつは|肺の件で|正しい!||誰もが|同情する!||警察を|憎まれ役に|する!||一部の|新聞に|扇情的な|記事が|何段にも|載るだろう。
警察が|末期の|病人を|いじめ抜く!」
だから|あいつは|平然と|三万フランを|要求する!||そして|釈放しなければ|ならないと|言ったのも|正しい!

「今夜|一時頃、|扉を|開けてやれ。||尾行して|目を|離さないよう|リュカに|伝えろ」
メグレは|パイプの|柄を|歯で|強く|噛んでいた。||浮浪者は|知っている。||一言|言えば|いいだけだ!
自分は|断片的で|時に|矛盾する|手がかりから|仮説を|積み上げるしか|なかった。

「タヴェルヌ・ロワイヤルへ!」と|タクシーの|運転手に|告げた。
ジェームズは|いなかった。||五時から|八時の間も|来なかった。||銀行の|守衛は|いつも通り|閉店時に|帰ったと|答えた。
メグレは|シュークルート5で|夕食を|とり、|八時半頃に|オフィスに|電話した。


「留置室から|話したいという|連絡は|なかったか?」

「ありました!||考え直したので|最終価格は|二万五千フランだが、|それ以下には|下げないと。||自分の|状態の|人間に|バターなしの|パンしか|出さず、|留置室の|温度が|十六度しか|ないと|申し立てています」
メグレは|電話を切り、|しばらく|大通りを|ぶらついた。||日が暮れると、|ジェームズの|自宅がある|シャンピオネ通りへ|向かった。
兵舎のような|大きな|建物で、|ごく普通の|アパートに、|会社員、|外交員、|細々と暮らす|年金生活者が|住んでいた。

「四階の|左です!」
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エレベーターは|なく、|警部は|ゆっくりと|階段を|上った。||扉の前を|通るたびに|料理の|匂いや|子どもの|泣き声が|届いてきた。

ジェームズの|妻が|扉を|開けた。||なかなか|素敵な|ロワイヤルブルーの|ガウンを|着ていた。||豪華では|ないが、|貧しい人の|部屋着という|だらしなさも|なかった。

「夫に|ご用ですか?」
玄関は|テーブルほどの|広さしか|なかった。||壁には|ヨットや|海水浴客、|スポーツウェアを|着た|若い男女の|写真が|飾ってあった。


「あなたに|お客よ、|ジェームズ!」

彼女は|扉を|押し開け、|メグレの|後ろから|入り、|窓の|そばの|肘掛け椅子に|戻り、|かぎ針編みを|続けた。
同じ|建物の|他の|アパートは|前の世紀の|内装を|保ち、|アンリ二世様式か|ルイ・フィリップ様式の|家具が|あるに|違いなかった6。
ここは|まったく|違った。||モンマルトルより|モンパルナスに|近い|雰囲気で、|素人仕事の|匂いも|した。
合板で|新しい|仕切りを|作り、|角度が|凝っていた。||家具の|ほとんどは|鮮やかな|色に|塗った|棚で|代替されていた。
カーペットは|単色の|けばけばしい|緑。||ランプの|シェードは|羊皮紙の|模造品。
新鮮で|こぎれいな|感じは|した。||しかし|すべてが|もろそうで、|薄い壁に|もたれると|危なそうで、|リポリン塗料が|まだ|乾いていないような|印象だった。

ジェームズが|立ち上がると|特に、|部屋が|小さすぎて、|箱の中に|閉じ込められて|身動き|一つ|できないような|印象を|与えた。
右側の|半開きの|扉から、|浴槽しか|入らない|浴室が|見えた。||向かいの|戸棚が|台所の|全部で、|板の上に|アルコールガスコンロが|一台|置いてあるだけだった。
ジェームズは|小さな|肘掛け椅子に|座り、|唇に|煙草を|くわえ、|本を|読んでいた。
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なぜ|メグレは、|自分が|来る前に|二人の間に|何の|やりとりも|なかったと|確信したのか?
それぞれが|自分の|場所に|いた。||ジェームズは|本を|読んでいた。||妻は|かぎ針編みをしていた。||路面電車と|車が|通りを|流れる|音が|聞こえた。
それだけだった。||触れ合いが|まったく|感じられなかった。
ジェームズは|立ち上がり、|手を|差し出し、|ここで|見つかったことを|詫びるような|気まずい|笑みを|浮かべた。


「やあ、|メグレ、|元気か?」
しかし|いつもの|気さくな|親しみが、|この|おもちゃの家では|違う|響きを|もっていた。||場違いだった。||カーペットや、|家具の上の|現代風の|小物や、|カーテンや、|おもちゃのような|ランプシェードと|調和しなかった。

「元気だ、|ありがとう!」

「座れよ。||英語の|小説を|読んでいたんだ」
その|目が|はっきり|語っていた。
『気にしないでくれ。||俺の|せいじゃない。||ここは|完全に|俺の|家というわけでは|ないんだ』
妻は|手仕事を|やめずに|二人を|うかがっていた。


「マルト、|何か|飲み物は?」と|彼女に|声を|かけた。

「ないわ!」
そして|警部に:

「この人の|せいです!||リキュールを|置いておくと|数日で|空に|なる。||外で|もう|十分|飲んでるのに」

「警部、|下の|ビストロに|降りませんか?」
しかし|メグレが|答える|前に、|ジェームズは|妻の|ほうを|見て|狼狽した。||妻が|命令的な|合図を|送っていたらしい。

「お好きなように。||俺は……」

ため息を|ついて|本を|閉じ、|ローテーブルの上の|文鎮の|位置を|変えた。
部屋は|四メートルも|ない。||それでも|二つに|分かれていて、|二つの|人生が|まったく|交わらずに|営まれているのが|感じられた。
一方には|妻が|いて、|自分の|好みで|部屋を|整え、|縫い物、|刺繍、|料理、|服作りを|していた。
もう一方には|ジェームズが|いて、|八時に|帰り、|黙って|食事をし、|カラフルな|クッションが|山積みの|ソファが|夜になると|寝床に|なるのを|待ちながら|本を|読んでいた。
タヴェルヌ・ロワイヤルの|テラスで、|ペルノを|前に|持つ|ジェームズの|「自分だけの|小さな|場所」が、|よりよく|理解できた。
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「降りよう、|いいだろう」と|メグレは|言った。
すると|その連れは|安堵の|ため息を|つきながら、|あわただしく|立ち上がった。

「靴を|履いても|いいか」
彼は|スリッパを|履いていた。||彼は|浴槽と|壁の間を|すり抜けた。||浴室の|ドアは|開いたままだったが、|女は|ほとんど|声を|落とさずに|言った。


「気にしないで|ください。||あの人は|ちょっと|普通とは|違うんです」
彼女は|編み目を|数えた。

「七、|八、|九、|あの人、|モルサンの|事件について|何か|知っていると|思います?」

「靴べらは|どこだ……」と|ジェームズは|ぶつぶつ|言いながら、|戸棚の中を|かき回した。
彼女は|メグレを|見て、|こう|言いたげだった。

「ご覧の通り、|あの人は|ああいう|人なんです」
そして|ジェームズは|ようやく|浴室から|出てきて、|またしても|部屋には|大きすぎる|ように|見えた。||そして|妻に|言った。

「すぐ|戻る」

「どういう|意味かは|わかっているわ」
彼は|警部に|急ぐよう|合図を|した。||気が|変わるのを|恐れていたのだろう。
階段でも|やはり|彼は|大きすぎて、|まるで|周囲と|釣り合っていない|ように|見えた。
左手|最初の|建物は|運転手たちの|ビストロだった。

「この界隈には|ここしか|ないんです」
カウンターの|周りに|ぼんやりとした|明かり。||奥では|四人の|男が|カードを|していた。

「おや、|ジェームズ」と|店主が|立ち上がりながら|声を|かけた。
「いつもので|いいですか」
彼は|もう|フィーヌ7の|瓶を|つかんでいた。


「警部さんは|何に|なさいます?」

「同じものを」
カウンターに|肘を|つきながら、|ジェームズは|問いかけた。

「タヴェルヌ・ロワイヤルに|行きましたか。||やっぱり|そうだと|思っていました。||私は|行けなかったんです」

「三十万フランの|せいだな」
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彼は|何の|驚きも、|何の|気まずさも|見せなかった。

「俺の|立場だったら、|どうしていた?||バッソは|仲間なんだ。||一緒に|何度も|大酒を|飲んできた。||あんたの|健康に!」

「ボトルは|そのまま|置いておきますよ」と|店主は|言った。
もう|慣れているらしく、|さっさと|カードの|続きに|戻りたがっていた。
そして|ジェームズは|聞いていないかのように|話し続けた。

「結局のところ、|あいつは|運が|なかったんだ.……||マド|みたいな|女!|||ところで、|あんた、|もう|あの女に|会ったか?||さっき|俺の|事務所に|来て、|マルセルが|どこに|いるか|知ってるかって|聞くんだ。|||そんなこと|あるか?||それに|もう一人のやつも|そうだ。||車の|ことでな。|||あいつも|仲間の|はずなのに!||それなのに|電話を|かけてきて、|修理代と|車が|使えなかった分の|補償を|請求|するしかないって|言うんだぜ‥‥|||あんたの|健康に!||俺の|女房を|どう思う?||いい女だろう?」
そして|ジェームズは|二杯目の|グラスを|注いだ。


- セーヌ=エ=オワーズ県(Seine-et-Oise)は、かつてパリを取り囲んでいた県です。
1968年まで存在した県で、現在のイヴリーヌ県、ヴァル=ドワーズ県、エソンヌ県などに分割されました。モルサン=シュル=セーヌもこの県に含まれていました。
この小説の舞台となるモルサン、セーヌポール、コルベイユ、アルパジョン、フォンテーヌブローなどはすべてこの県内またはその周辺に位置しており、メグレが「同じ県で二週続けて大騒ぎになった」と嘆いたのも、この地域一帯が同じ管轄下にあったからです。
↩︎ - ラ・フェルテ=アレ(La Ferté-Alais)は、パリ南方約45キロ、エソンヌ川沿いの小さな町です。
現在のエソンヌ県に属し、アルパジョンからさらに南へ約15キロの位置にあります。農業地帯の中心にある静かな田舎町で、周辺には麦畑が広がっています。
タイヤの溝から麦粒が見つかったのも、この地域が麦の産地であることと一致しています。さらにエソンヌの製粉所がポルトランドセメントで改修工事中だったという情報と合わせて、車がこの町の近くを通ったことが確定しました。
この地名は物語の後半でも重要な役割を果たします。メグレがバッソ夫人と息子の隠れ場所をこの周辺に絞り込んでいくからです。
↩︎ - エソンヌ(Essonne)は、パリ南方を流れる川の名前であり、同時にその流域に広がる地域の名前でもあります。
川として
セーヌ川の支流で、ラ・フェルテ=アレの近くを流れています。エソンヌ川沿いには古くから製粉所や製造業が発達していました。この場面に登場する**「エソンヌの製粉所」**もこの川沿いにあった工場です。
地域・県として
1968年のパリ周辺の県再編でエソンヌ県(Essonne、91)が誕生しました。アルパジョン、ラ・フェルテ=アレ、コルベイユなどを含む地域です。ただし小説が書かれた1932年当時はまだセーヌ=エ=オワーズ県の一部でした。
この場面ではエソンヌ川沿いの製粉所がポルトランドセメントで改修工事中だったために道路にセメントの粉が落ち、それがタイヤに付着して重要な手がかりとなったわけです。
↩︎ - 「バンク・デュ・ノール」(Banque du Nord)という名称の銀行は確認できませんが、オスマン大通り59番地には「クレディ・デュ・ノール」(Crédit du Nord)という銀行が実在し、この建物は1927年に建てられたものですので、小説が書かれた1931年当時も存在していました。
シムノンは実在する「クレディ・デュ・ノール」を参考にしつつ、「バンク・デュ・ノール」という架空の銀行名として使った可能性が高いです。メグレシリーズでは実在の店名や施設名を微妙に変えて使う手法がよく見られます。
↩︎ - シュークルート(choucroute)は、アルザス地方の代表的な郷土料理です。
塩漬けして発酵させたキャベツ(ザワークラウト)を主役に、豚肉のソーセージ、ベーコン、塩漬け豚肉、じゃがいもなどを一緒に煮込んだ料理です。ドイツのザワークラウト文化がアルザス経由でフランスに定着したもので、ビールや白ワイン(リースリングなど)と一緒に食べるのが定番です。
1930年代のパリではブラッスリーの定番メニューとして広く普及していました。特にアルザス系のブラッスリーでは看板料理として出されていました。
メグレが一人でシュークルートを食べているというのは、奥さんが不在でホテルや外食を続けているという状況とよく合っています。またメグレ夫人がアルザスの姉の家に休暇中という設定とも、この料理が自然につながっています。ボリュームがあって庶民的、一人でも気軽に食べられる――思案中の刑事にぴったりの料理です。
↩︎ - アンリ二世様式(style Henri II)とルイ・フィリップ様式(style Louis-Philippe)は、どちらも19世紀フランスで流行した家具の様式です。
アンリ二世様式は16世紀のアンリ二世時代のルネサンス様式を模した重厚な木製家具で、彫刻が豊かで格式があります。ルイ・フィリップ様式は1830〜48年の王政期に流行した、シンプルで実用的なブルジョワ的家具様式です。この質問は画像検索のほうが適切です。
つまりこの一文は:
「隣の部屋の人々は昔ながらの重厚な家具をそのまま使い続けているのに、ジェームズの部屋だけが合板と派手な色の棚という素人モダニズムで飾られている」
というコントラストを示しています。同じ建物の中でジェームズの部屋だけが浮いているという印象を強調する一文です。 ↩︎ - フィーヌとは、フランス語で本来「上質な」という意味を持つ語ですが、酒の文脈ではブドウを原料とした蒸留酒、すなわちブランデー系の酒を指します。とくにコニャックのような格式の高い銘柄ではなく、より日常的で庶民的なものを含む言い方で、ビストロなどでは気軽に注文される強い酒です。この場面で店主がすぐ瓶を手に取ることからも分かるように、常連がいつもの一杯として飲む、手早く出せる定番の酒という位置づけになります。
↩︎




