『Brille Editor System ver.8』用の『BESファイル』を、ZIPファイルに圧縮して公開しています。(2026年4月17日現在未完成)
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私たちは|フランス窓から|外へ出て、|滑らかな|赤い|石畳の|小道を|歩いた。||ガレージから|離れた|芝生の|端を|回る|道だった。||少年っぽい|顔つきの|運転手が|今度は|大きな|黒と|クロームの|セダンを|出して|磨いていた。||小道は|温室の|脇へと|続いていた。||執事が|扉を|開けて|脇に|退いた。||その先は|緩やかに|温まった|オーブンのような|熱さの|入り口だった。||執事が|後から|入り、|外扉を|閉め、|内扉を|開けた。

||そこから|先は|本当に|暑かった。||空気は|重く、|湿っていて、|蒸し蒸しとし、|満開の|熱帯の|蘭の|甘ったるい|匂いが|染み込んでいた。||ガラスの|壁と|屋根は|びっしりと|曇り、|大粒の|水滴が|植物の|上に|したたり落ちていた。||光は|水槽越しに|差し込む|光のような|非現実的な|緑色を|していた。||植物が|場所を|埋め尽くしていた。||まるで|密林のように。||いやらしく|肉厚な|葉と、|死人の|洗いたての|指のような|茎が|並んでいた。||毛布の|下で|沸騰する|アルコールのように|圧倒的な|匂いを|放っていた。
執事は|私が|湿った|葉に|顔を|打たれないよう|懸命に|先導し、|しばらくして|丸屋根の|下、|密林の|中央の|空き地に|たどり着いた。

||六角形の|石畳の|一角に|古い|赤い|トルコ絨毯が|敷かれ、|その|上に|車椅子が|あった。||車椅子には|老いた、|明らかに|死にかけた|男が|座っていた。||黒い|目で|私たちの|来るのを|見ていた。||その|目から|は|炎は|とうに|消えていたが、|ホールの|暖炉の|上の|肖像画の|目と|同じ|石炭のような|黒い|鋭さを|持っていた。||顔の|残りは|鉛の|仮面のようで、|血の|気の|ない|唇、|鋭い|鼻、|くぼんだ|こめかみ、|外側に|開いた|耳たぶが|死の|近さを|物語っていた。||その|暑さの|中でも|長く|細い|体は|旅行用の|膝掛けと|色褪せた|赤い|バスローブに|包まれていた。||爪の|紫色に|変色した|細く|鉤のような|手が|膝掛けの|上に|ゆるく|組まれていた。||数本の|乾いた|白髪が|頭皮に|しがみついていた。||まるで|裸の|岩の|上で|必死に|生きようとする|野の花のように。
執事は|彼の|前に|立って|言った。

「ミスター=マーロウで|ございます、|将軍」
老人は|動かず、|口も|利かず、|うなずきも|しなかった。||ただ|生気の|ない|目で|私を|見るだけだった。||執事が|湿った|籐の|椅子を|私の|足の|後ろに|押し当て、|私は|腰を|下ろした。||執事は|素早い|動作で|私の|帽子を|取った。

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老人は|井戸の|底から|声を|引き上げるように|言った。

「ブランデーを、|ノリス。||ブランデーは|どういう|飲み方で?」

「何でも|構いません」と|私は|言った。
執事は|忌まわしい|植物の|中へ|消えていった。||将軍は|また|話し始めた。||ゆっくりと、|まるで|仕事を|失った|踊り子が|最後の|一足の|ストッキングを|大切に|使うように、|力を|惜しみながら。

「私は|昔、|シャンパンと|一緒に|飲んでいた。||ヴァレー・フォージ1のように|冷たい|シャンパンを|注ぎ、|その下に|三分の一グラスの|ブランデーを|入れてね。||コートを|脱いで|構いませんよ。||血の|通った|人間には|暑すぎる」
私は|立ち上がって|コートを|脱ぎ、|ハンカチを|取り出して|顔と|首と|手首の|後ろを|拭いた。||八月の|セントルイスも|この|場所には|及ばない。||もう一度|腰を|下ろして、|無意識に|煙草を|探しかけて|止まった。||老人が|その|しぐさを|見て、|かすかに|微笑んだ。

「煙草を|吸って|構わんよ。||タバコの|匂いが|好きなんでね」
私は|煙草に|火を|つけ、|一吸いした|煙を|老人に|向かって|吹いた。||老人は|ネズミの|穴に|顔を|突っ込む|テリア犬のように|それを|嗅いだ。||かすかな|微笑みが|陰った|口元の|端を|引いた。


「人間が|自分の|悪癖を|他人を|通じて|楽しまなければならないとは、|なんとも|情けない|話だ」と|老人は|乾いた|口調で|言った。||「あなたが|見ているのは、|かつては|派手な|人生を|送った|男の|つまらない|残骸だ。||両脚が|麻痺し、|下腹部は|半分しか|機能していない。||食べられるものは|ほとんどなく、|眠りは|目覚めと|紙一重で|眠りとも|言えない。||生まれたての|蜘蛛のように|熱だけで|生きているようなものだ。||蘭は|その|熱の|口実に|すぎない。||蘭は|お好きかな?」

「特には」と|私は|言った。
将軍は|目を|半ば|閉じた。

「いやな|花だよ。||その|肉は|人間の|肉に|似すぎている。||そして|その|香りは|娼婦のような|腐った|甘さだ」
私は|口を|開けたまま|老人を|見つめた。||柔らかく|湿った|熱気が|幕のように|私たちを|包んでいた。||老人は|うなずいた。||まるで|首が|頭の|重さを|恐れているように。||やがて|執事が|密林を|かき分けながら|ティーワゴンを|押して|戻ってきた。||私に|ブランデーソーダを|作り、|銅の|アイスバケツを|湿った|ナプキンで|包み、|静かに|蘭の|間へ|消えていった。||どこかで|扉が|開いて|閉まった。

私は|ドリンクを|一口|飲んだ。||老人は|私を|見ながら|唇を|舐め続けた。||葬儀屋が|手を|乾拭きするように、|一方の|唇を|もう一方の|唇に|ゆっくりと|擦りつけながら、|陰鬱な|集中力で|繰り返した。
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「あなた自身のことを|話してくれんかな、|マーロウさん。||聞く権利が|あると|思うが」

「ええ、|でも|たいした|話は|ありません。||三十三歳で、|大学に|行ったこともあり、|需要さえあれば|まともな|口も|きけます。||もっとも|この|仕事では|あまり|役に|立ちませんが。||以前は|地区検事の|ワイルドの|もとで|捜査員2を|していました。||彼の|主任捜査員、|バーニー・オールズという|男が|連絡してきて、|あなたが|会いたがっていると|言ったんです。||独身なのは|警官の|女房が|嫌いだからです」

「ちょっと|皮肉屋だな」と|老人は|微笑んだ。||「ワイルドの|もとでの|仕事は|気に入らなかったのか?」

「クビに|なりました。||反抗的すぎると|いうことで。||反抗心の|テストでは|かなりの|高得点を|出しますよ、|将軍」

「私も|そうだったよ。||聞けて|うれしい。||私の|家族について|何か|知っているかな?」

「奥さんを|亡くされて|若い娘が|ふたり|いらっしゃると|聞いています。||ふたりとも|美人で|奔放だと。||ひとりは|三度|結婚していて、|最後の|相手は|ラスティ・リーガンという|名で|知られた|元密造酒業者だと。||聞いているのは|それだけです、|将軍」

「何か|変だとは|思わなかったかね?」

「ラスティ・リーガンの|件は|少し。||ただ私自身、|密造酒業者とは|うまくやってきましたが」
老人は|かすかな|控えめな|微笑みを|浮かべた。

「私も|そうだ。||ラスティが|大好きだった。||クロンメル3出身の|大柄な|縮れ毛の|アイルランド人で、|悲しそうな|目と、|ウィルシャー大通り4ほど|広い|笑顔を|持っている。||初めて|会ったとき、|あなたが|今|考えているような|人物、|つまり|『うまい話に|乗っかった』|冒険者じゃないかと|思った」

「気に入ったんですね」と|私は|言った。||「その|言葉遣い(「うまい|話に|乗っかった」というスラング)を|覚えたくらいだから5」

老人は|薄く|血の|気のない|手を|膝掛けの|下に|入れた。||私は|煙草の|吸殻を|消して|ドリンクを|飲み干した。

「彼は|私の|生きがいだった。||ここにいる|間はね。||何時間も|一緒にいて、|豚のように|汗を|かきながら|ブランデーを|何リットルも|飲み、|アイルランド革命の|話を|聞かせてくれた。||IRAの|将校だったんだ。||合衆国に|いること自体|合法では|なかった。||もちろん|馬鹿げた|結婚だった。||結婚が|続いたのは|一ヶ月も|なかったな。||家族の|秘密の|話だ、|いいかね、|ミスターマーロウ」
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「秘密は|秘密のままです」と|私は|言った。||「彼は|どうなりましたか?」
老人は|無表情に|私を|見た。

「一ヶ月前に|いなくなったよ。||突然、|誰にも|何も|言わずにね。||私にも|別れを|告げずに。||ちょっと|がっかりしたな。||でも|彼は|厳しい|環境で|育った|人間だ。||いつか|連絡が|来るだろう。||それで|また|脅迫を|受けてるんだ」

「また?」と|私は|言った。
老人は|膝掛けの|下から|茶色の|封筒を|持った|手を|出した。

「ラスティが|いる間、|私を|脅迫しようなんて|人間がいたら、|気の毒なことに|なっていたろうな。||彼が|来る|数ヶ月前、|つまり|九ヶ月か|十ヶ月ほど前に、|<ジョー・ブロディ>という|男に|五千ドルを|払って|下の娘の|カーメンから|手を|引かせていた」

「なるほど」と|私は|言った。
老人は|細い|白い|眉を|動かした。

「それは|どういう|意味かな?」

「何でも|ありません」と|私は|言った。
老人は|半ば|眉を|寄せながら|私を|見続けた。||それから|言った。

「この封筒を|開けて|中を|見てくれ。||ブランデーも|どうかね」

私は|老人の|膝から|封筒を|取って|また|腰を|下ろした。||手のひらを|拭いて|封筒を|裏返した。||宛名は、|

「ガイ・スターンウッド将軍、|ウェストハリウッド、|アルタ・ブレア・クレセント3765番地、|カリフォルニア州」
|とあった。||住所は|インクで、|エンジニアが|使うような|斜めの|活字体で|書かれていた。||封筒は|すでに|開封されていた。||中を|開けると|茶色の|名刺と|三枚の|固い紙が|入っていた。||名刺は|薄い|茶色の|繊維入りで|金文字で|印刷されていた。
<アーサー・グウィン・ガイガー>
住所なし。||左下の|隅に|小さく|『希少本と|高級版本』と|あった。||名刺を|裏返すと、|同じ|斜めの|活字体で|こう|書かれていた。
拝啓、|同封の|書類は|法的には|回収不能な|ギャンブルの|借金である|ことを|率直に|申し上げますが、|あなたが|支払いを|希望されるかもしれないと|思い|ご連絡いたします。||敬具、|<A・G・ガイガー>
3枚の|固い|白い紙を|見た。||インクで|書かれた|約束手形で、|先月|九月初めの|日付が|それぞれ|入っていた。

請求次第、|アーサー・グウィン・ガイガー|または|その|指定人に|一千ドル($1,000.00)を|無利子で|支払うことを|約束します。||受領済み。||カーメン・スターンウッド
書かれた|部分は|だらしなく|間の|抜けた|筆跡で、|丸っこい|飾り文字と|点の|代わりに|丸が|使われていた。||私は|もう一杯|ドリンクを|作って|一口|飲み、|その|書類を|脇に|置いた。

「結論は?」と|将軍は|聞いた。
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「まだ|何も。||この|アーサー・グウィン・ガイガーとは|何者ですか?」

「全く|知らん」

「カーメンは|何と|言っていますか?」

「聞いていない。||聞くつもりも|ない。||聞いたところで、|親指を|しゃぶって|愛想を|振りまくだけだ」

「ホールで|会いましたよ」と|私は|言った。||「まさに|そうでした。||それから|私の|膝に|座ろうとした」
老人の|表情は|何も|変わらなかった。||組んだ|手が|静かに|膝掛けの|端に|載っていた。||私を|ニューイングランドの|煮込み料理6の|ように|感じさせる|暑さなのに、|老人は|暑さすら|感じていない|ようだった。

「遠慮なく|言っても|いいですか?」と|私は|聞いた。||「それとも|行儀よく|しなければなりませんか?」

「遠慮など|気にしているとは|思えんが、|ミスターマーロウ」

「ふたりの|娘さんは|一緒に|行動していますか?」

「そうじゃ|なさそうだ。||それぞれが|少しずつ|違う|道を|破滅に|向かって|進んでいるように|見えるな。||ヴィヴィアンは|わがままで、|要求が|多く、|頭が|切れて、|かなり|冷酷だ。||カーメンは|蝿の羽を|むしるのが|好きな|子供だ。||ふたりとも|猫ほどの|道徳観念も|ない。||私も|同じだがな。||スターンウッドに|そんなものは|なかったんだ。||続けてください」

「教育は|受けていますね。||自分たちが|何を|しているか|わかっているはずです」

「ヴィヴィアンは|鼻持ちならない|タイプの|いい学校と|大学に|行った。||カーメンは|もっと|自由な|六つほどの|学校を|転々として、|結局|最初と|同じところに|落ち着いた。||ふたりとも|ありとあらゆる|悪癖を|持っていたし、|今も|そうだろう。||私が|親として|少し|不気味に|聞こえるとしたら、|ミスターマーロウ。||それは|私が|生きることへの|執着を|ヴィクトリア朝的な|偽善7を|言うほど|強くは|持っておらんからだ」
老人は|頭を|後ろに|倒して|目を|閉じ、|それから|突然|また|開いた。


「五十四歳で|初めて|親になった|男は、|その報いを|受けて|当然だと|今さら|言うまでも|ないだろう」
私は|ドリンクを|一口|飲んで|うなずいた。||老人の|細い|灰色の|喉の|脈が|かすかに|見えた。||あまりに|ゆっくりで、|脈とも|言えないほどだった。||三分の二は|死にかけていながら、|まだ|耐えられると|信じようとしている|老人だった。

「結論は?」と|老人は|突然|聞いた。

「払うべきです」

「なぜ?」
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「払う金は|たいした|額では|ありません。||ただ|払わないと|厄介ごとが|大きくなる。||脅迫の|裏には|何か|あるはずですが、|あなたの心を|傷けるほど|厄介なことには|ならないでしょう。||まだ|傷ついて|いなければの|話ですがね。||あなたが|破産するほどの|金を|奪うには、|大勢の|詐欺師が|長い|時間を|かけなければ|なりませんから」

「私には|プライドが|ある」と|老人は|冷たく|言った。

「奴らは|それを|当てに|しているんですよ。||プライドほど|人は|だまされやすい|ものはない。||プライドか、|さもなければ|警察へ持ち込むか。||不法な|貸付だと|証明されない|限り、|ガイガーは|手形を|回収できます。||ところが|彼は|手形を|あなたへの|贈り物として|送り、|不法な|ギャンブルの|借金だと|認めている。||これは|たとえ|彼が|手形を|持ち続けていても、|あなたにとって|有利な|証拠になります。||彼が|悪党なら|そのへんのことは|わかっているはずです。||しかし、|カタギの|男が|副業で|金貸しを|しているなら、|金を|払ってやっても|いいと|思います。||五千ドルを|払った|ジョー・ブロディとは|何者でしたか?」

「賭博師の|たぐいだ。||ほとんど|覚えておらん。||ノリスが|知ってるだろう。||さっきの|執事だ」

「娘さんたちは|自分名義の|財産を|お持ちですか、|将軍?」

「ヴィヴィアンは|多少。||カーメンは|母親の|遺言で|まだ|未成年扱いだ。||ふたりとも|十分な|小遣いは|渡している」

「このガイガーを|追い払うことは|できます、|将軍、|それが|ご希望なら。||正体が|何であれ、|何を|持っていようと。||私への|報酬の|ほかに、|少々の|費用が|かかるかもしれません。||もちろん、|それで|何かが|得られるわけでは|ありません。||金で|黙らせても|きりがない。||あなたは|すでに|彼らの|上客リストに|載っていますよ」

「なるほど」
老人は|色褪せた|赤い|バスローブの|中で|広く|張った|肩を|すくめた。


「さっきは|払えと|言った。||だが、|今は|何も|得られないと|言ってる」

「つまり|ある程度の|脅しには|応じたほうが|安上がりで|面倒も|少ない、|ということです。||それだけです」

「私は|せっかちな|性分でね、|ミスターマーロウ。||報酬は|いかほどかね?」

「一日|二十五ドルと|経費です。||うまくいけばの|話ですが」
「なるほど。||人の|背中の|腫瘍を|取り除くには|妥当な|報酬のようだ。||かなり|繊細な|手術だ。||わかっておるな。||患者に|できるだけ|衝撃を|与えないように|やってもらえるかね?||何人か|いるかもしれんよ、|ミスターマーロウ」
私は|二杯目の|ドリンクを|飲み干し、|唇と|顔を|拭いた。||ブランデーを|飲んでも|暑さは|少しも|和らがなかった。

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「奴と|取引させて|もらえますか、|もし|ある程度|まともな|人間だと|思えたら?」

「もちろんだ。||この件は|もう|あなたの|手に|委ねた。||私は|中途半端な|ことは|嫌いだ」

「片をつけますよ」と|私は|言った。||「橋が|落ちてきたと|思うでしょう」

「君なら|やってくれるろう、|信じておる。||では、|失礼する。||疲れた」

老人は|手を|伸ばして|椅子の|肘掛けの|ベルを|押した。||コードは|蘭が|育つ|深い|濃緑色の|箱の|脇を|這う|黒い|ケーブルに|繋がっていた。||老人は|目を|閉じ、|また|一瞬|明るく|見開いてから、|クッションの|中に|沈んでいった。||瞼が|また|下り、|もはや|私には|目を|向けなかった。

私は|立ち上がり、|湿った|籐の椅子の|背もたれから|コートを|取り、|蘭の|間を|抜けていった。||二枚の|扉を|開けて|外に|出ると、|ひんやりした|十月の|空気が|肺に|満ちた。||ガレージの|そばに|いた|運転手は|どこかへ|行っていた。||執事が|赤い|小道を|滑らかな|軽い|足取りで、|アイロン台のように|まっすぐな|背筋で|歩いてきた。||私は|コートを|羽織りながら|彼が|来るのを|見ていた。
執事は|私から|二フィートほど|離れたところで|止まり、|厳かに|言った。


「リーガン夫人が|お帰りの|前に|お会いしたいと|おっしゃっています。||それから|報酬の|件で|将軍より、|適切な|額の|小切手を|私から|お渡しするよう|仰せつかっております」

「どうやって|その指示を?」
執事は|少し|困惑した|顔を|したが、|すぐに|微笑んだ。

「ああ、|ごもっとも。||あなたは|探偵さんですよね。||ベルの|鳴らし方で|わかっております」

「小切手を|書くのも|あなたですか?」

「その|栄誉を|頂いております」

「それなら|路頭に|迷わずに|済みます。||どうも、|お金は|今は|結構です。||リーガン夫人は|何の|用ですか?」
執事は|滑らかで|真っ直ぐな|目で|私を|見た。

「あなたの|訪問の|目的を|誤解されているようです」

「誰が|私の|訪問のことを|話したんですか?」

「夫人の|部屋の|窓から|温室が|見えます。||私どもが|入るのを|ご覧になったようで。||あなたが|誰かを|お伝えせざるを|得ませんでした」

「それは|困るな」と|私は|言った。
執事の|青い|目が|冷たく|なった。

「私に|仕事を|お教えに|なるつもりですか?」
- ヴァレー・フォージ(Valley Forge)とは、アメリカの歴史的な地名です。
ペンシルベニア州にある場所で、独立戦争中の1777〜78年の冬に、ジョージ・ワシントン将軍率いるアメリカ大陸軍が野営した場所として有名です。その冬は極めて過酷で、兵士たちは食料も衣類も不足した中で凍えるような寒さに耐えました。多くの兵士が凍死・餓死したとされており、アメリカ人にとって「極寒・忍耐・苦難」の象徴的な地名です。
つまり将軍の「ヴァレー・フォージのように冷たいシャンパン」とは、「極限まで冷やしたシャンパン」という意味で、アメリカ人なら誰でも通じる表現です。
元軍人の将軍がこの表現を使うのも自然で、軍の歴史への敬意とこだわりが滲み出ています。チャンドラーらしい洒落た比喩です。
↩︎ - マーロウはかつて捜査員をしていました。地区検事(District Attorney)はアメリカの公選職で、地域の刑事訴追を担当する政府機関です。その捜査員(investigator)はいわば公務員に近い立場です。
つまりマーロウはかつて官側の人間として働いていたわけです。しかし「反抗的すぎる」という理由でクビになり、民間の私立探偵になったという経歴です。
これは重要な背景で、マーロウが警察や法の仕組みに詳しく、捜査のやり方を知っている理由でもあります。また官側にいながら体制に馴染めなかったという経歴が、彼の「孤独な騎士」的な性格を説明しています。メグレが警察という組織に属しながらも独自の判断で動くのと対照的に、マーロウは組織を離れた完全な一匹狼です。
↩︎ - クロンメル(Clonmel)とはアイルランドの地名です。
アイルランド南部、ティペラリー州にある町で、アイルランド語では「Cluain Meala(蜂蜜の牧草地)」という意味です。中世から続く歴史ある町で、アイルランド独立運動とも縁が深い地域です。
作中でラスティ・リーガンが「クロンメル出身のアイルランド人」と紹介されているのは、彼がIRA(アイルランド共和軍)の将校だったという設定と自然につながっています。クロンメルはアイルランド独立戦争(1919〜21年)の激戦地のひとつでもあり、IRAの活動が盛んだった地域です。
チャンドラーがこの具体的な地名を使ったのは、ラスティというキャラクターにリアリティと歴史的背景を与えるための細かい配慮と言えます。
↩︎ - ウィルシャー大通り(Wilshire Boulevard)ロサンゼルスの主要な大通りです。
ロサンゼルス中心部からサンタモニカまで東西に約30キロにわたって伸びる、ロサンゼルスで最も長く有名な通りのひとつです。ビバリーヒルズやウェストウッドなど高級地区を貫いており、1930年代当時はロサンゼルスの繁栄と広大さの象徴的な存在でした。
つまり将軍の「ウィルシャー大通りほど広い笑顔」という表現は、ロサンゼルス市民なら誰でも通じる比喩で、「とびきり大きな笑顔」という意味です。チャンドラーがロサンゼルスを舞台にした作家らしい、土地に根ざした表現です。
メグレのパリにたとえるなら「シャンゼリゼ通りほど広い笑顔」に相当します。
↩︎ - 原文は “You must have liked him. You learned to talk the language.” です。
「言葉遣いを覚えた」というのは、将軍が「velvet(うまい話に乗っかる)」というスラング的な表現を使ったことへのマーロウの指摘です。
「wrapped up in some velvet」は上流階級の老紳士が使うような言葉ではなく、ラスティのような街の男が使うような口語表現です。将軍がラスティと長い時間を過ごすうちに、そういう言葉遣いが自然に身についてしまったということです。
つまりマーロウは「あなたがラスティを本当に気に入っていたことは、あなた自身の言葉遣いが証明していますよ」と皮肉交じりに指摘しているわけです。上流階級の老将軍が街の男のスラングを使っている、その矛盾をさりげなく突いたマーロウらしい一言です。
↩︎ - アメリカ北東部、ニューイングランド地方の伝統料理です。
牛肉や野菜を長時間グツグツと煮込んだ料理で、鍋の中でじっくり熱を加え続けることが特徴です。つまり「ニューイングランドの煮込み料理のように感じる」とは、「鍋の中でゆっくり茹でられているような暑さだ」という比喩です。
温室の中の異常な蒸し暑さを、煮込まれていく肉に自分をたとえたマーロウのユーモアです。それほどの暑さなのに、将軍はまったく涼しい顔をしているという対比が面白い場面です。 ↩︎ - ヴィクトリア朝的な偽善とは、19世紀のイギリス、ヴィクトリア女王の時代(1837〜1901年)の道徳観を指します。
この時代は表向きは非常に厳格な道徳・礼節・品行を重んじる社会でしたが、その裏では売春、賭博、飲酒など様々な退廃が横行していました。つまり「表では清廉潔白を装いながら、裏では別のことをする」という二重基準が蔓延していました。
将軍が言いたいのは「娘たちの問題行動について、体裁を取り繕ったり、見て見ぬふりをしたりするような偽善は私にはできない。もう死にかけている身だから、そんな演技をする気力も必要もない」ということです。
死を目前にした老人が、世間体や見栄を捨てて、自分の家族の現実をありのままに語っている場面で、将軍というキャラクターの品格と潔さが表れています。 ↩︎

