La Guinguette à deux sous
『Brille Editor System ver.8』用の『BESファイル』を、ZIPファイルに圧縮して公開しています。(2026年4月15日現在未作成)
14
『2スーの|居酒屋』の前に|着いたとき1、|メグレには|まだ『鍵が|回る』感覚が|なかった。||彼が|よく|そう|言っていたように。||あまり|確信も|持てぬまま|バッソの|後を|追ってきた。||ヴィエイユ=ギャルソンでは|うつろな目で|騒ぐ人々を|眺めていた。||しかし|あの|小さな|違和感、|あの|ずれた|感覚、|つまり|事件の|空気に|引き込まれる|あの|『鍵が回る』|感覚が|まだ|来ていなかった。
ジェームズに|無理やり|乾杯に|付き合わされながら、|客たちが|行き来し、|奇妙な|衣装を|試着し、|互いに|助け合い、|吹き出し、|叫んでいるのを|眺めていた。||バッソ一家が|到着し、|人参色の|髪に|田舎の|間抜け顔に|仕立てられた|息子が|喝采を|浴びた。


「ほっとけよ!」と|ジェームズは|メグレが|仲間の|ほうを|向くたびに|言った。
「楽しんでるだけだ。|酔ってもいない」

幌馬車が|二台|止まった。||また|歓声。||また|笑い声と|押し合いへし合い。||メグレは|ジェームズの|隣に|乗り込んだ。||ヴィエイユ=ギャルソンの|主人と|従業員たちは|テラスに|並んで|出発を|見送った。
太陽が|沈み、|青みがかった|黄昏が|訪れた。||セーヌ川の|対岸に、|明かりのついた|窓が|薄闇の中に|きらめく|静かな|別荘が|見えた。

荷馬車は|がたがたと|揺れながら|進んだ。||警部の|視線は|周囲の|光景を|次々と|捉えていった。||からかわれながらも|噛みつきそうに|笑う|御者。||ベカシーヌ2に|扮することに|成功し、|田舎訛りで|しゃべろうと|懸命な|若い娘。||おばあさんの|ドレスを|着た|白髪の|紳士。


15
混沌としていた。||動きが|多すぎ、|予想外の|ことも|多すぎた。||メグレには、|一人一人が|どんな|世界に|属しているのか、|ほとんど|見当も|つかなかった。||全体像を|把握するのに|時間が|かかりそうだった3。

「あそこにいるのが|俺の|女房だ」と|ジェームズが|言った。
マトン・スリーブ4の|袖を|つけた、|一番|ふくよかな|女を|指さしながら。
彼は|うつろな|声で|そう言ったが、|目の中に|小さな|炎が|燃えていた。
みんなが|歌いだした。||セーヌポールを|通り抜けると、|村人たちが|玄関先に|出て|行列を|眺めた。||子どもたちが|夢中で|叫びながら、|荷馬車の|後ろを|長いこと|走ってついてきた。

馬が|歩調を|落とした。||橋を|渡った。||薄明かりの中に、|どこかで|看板が|見えた。
ウジェーヌ・ルジェ 酒屋
家は|ごく|小さく、|真っ白で、|曳船道と|丘の間に|挟まれるように|建っていた。||看板の文字は|素朴だった。||近づくにつれ、|軋むような|音に|混じって|音楽の|繰り返しが|聞こえてきた。
何が『鍵を|回した』のか?||メグレには|うまく|説明できなかっただろう。||夕暮れの|やわらかさか、|明かりの|ともった|二つの|窓を|持つ|小さな|白い家と、|このカーニバルの|乱入との|ギャップか?

それとも、|「結婚式」を|見ようと|歩み出てきた|あの|カップルか?||若い|工場労働者の|男と、|腰に|手を当てた、|薔薇色の|絹を|まとった|美しい娘。
家は|二部屋しか|なかった。||右の|部屋では|老婆が|かまどの|周りで|立ち回っていた。||左の|部屋には|ベッドと|家族の|肖像画が|見えた。
居酒屋は|奥にあった。||片側が|庭に|向かって|開け放たれた|大きな|小屋|だった。||テーブルと|ベンチ。||カウンター。||自動ピアノと|提灯。

船乗りたちが|カウンターで|飲んでいた。||十二歳くらいの|女の子が|自動ピアノの|番をして、|時々|ねじを|巻き、|隙間に|2スー硬貨を|滑り込ませた。
すべてが|あっという間に|活気づいた。||幌馬車から|降りるや否や、|新入りたちは|踊り出し、|テーブルを|押しのけ、|飲み物を|要求した。||ジェームズを|見失っていた|メグレは、|カウンターで|ペルノを|前に|物思いに|ふけっている|ジェームズを|見つけた。

16
外では、|木の下で|ウェイターが|食器を|並べていた。||馬車の|御者の一人が|ため息を|ついた。

「こんなに|遅くまで|付き合わされるのは|勘弁だ!||土曜日なのに!」

メグレは|一人だった。||ゆっくりと|一回り|あたりを|見渡した。||煙突から|煙を|上げる|小さな家、|馬車、|小屋、|恋人たち、|仮装した|群衆。

「これだ!」と|彼は|ぼそりと|言った。
『2スーの|居酒屋!』||この場所の|貧しさへの|当てこすりか、|あるいは|ピアノを|鳴らすのに|2スー硬貨を|入れなければならない|ことから|きているのか。
そして|ここに|殺人犯が|いるのだ!||にせの|結婚式の|誰かか?||若い|工場労働者か?||船乗りか?||それとも|ジェームズか?||バッソか?

電気は|なかった。||小屋は|二つの|石油ランプで|照らされ、|ほかにも|庭の|テーブルの上に|ランプが|置かれていた。||そのため|あたりは|明暗の|斑に|分かれていた。

「食事だ!||さあ|食べよう!」
だが|みんなは|まだ|踊っていた。||飲んでいた。||目が|生き生きと|してきた。||十五分も|経たないうちに、|何人かが|食前酒を|立て続けに|何杯も|飲んだため、|あたりに|酔いの|空気が|漂いはじめた。
居酒屋の|老婆が|自ら|食事を|並べて回り、|料理の|出来栄えを|気にしていた。||ソーセージ、|オムレツ、|そして|ウサギ料理!||しかし|誰も|気にも|留めなかった。||食べていることすら|意識せずに|食べていた。||そして|どの声も|飲み物を|求めていた。

音楽を|かき消すほどの|混沌とした|騒音。||船乗りたちは|カウンターから|この光景を|眺めながら、|北の|運河と|電動曳船について|ゆっくりと|話し続けていた。
若い|恋人たちは|頬を|寄せ合って|踊っていたが、|目は|賑やかな|テーブルから|離れなかった。

メグレは|誰一人|知らなかった。||隣には、|口ひげと|無数の|つけぼくろで|滑稽な|顔に|仕立てた|女が|座っており、|しきりに|彼を|アルテュール叔父さんと|呼んでいた。
17

「塩を|取ってくれよ、|アルテュール叔父さん」

「それで、|仔牛は|どうなったの、|アルテュール叔父さん?」
みんな|互いに|タメ口を|きいていた。||大げさに|肘で|突き合っていた。||この人たちは|本当に|互いを|よく|知っているのか?||それとも|ただの|行きずりの|仲間なのか?
たとえば、|おばあさんの|ドレスを|着た|あの|白髪の|紳士は、|普段は|いったい|何を|しているのか?
そして、|小さな女の子に|扮して|裏声を|使っている|あの|婦人は!
バッソ一家のような|ブルジョワたちか?||マルセル・バッソは|花嫁の|隣にいた。||騒ぎ立てるわけでは|なかった。||ただ|時折、|含みのある|目つきで|こう言いたげな|視線を|送るだけだった。

『昼間は|よかったな!』
ニエル通りの|貸し部屋ことだ!||彼女の夫も|ここに|いるのか?

誰かが|爆竹を|鳴らした。||庭で|ベンガル花火5が|輝き、|工場の|若い|カップルが|手を|つなぎながら|うっとりと|眺めた。

「まるで|舞台の|書き割り6みたい」と|薔薇色の|絹の|美しい娘が|言った。
そして|ここに|殺人犯が|いるのだ!

「スピーチを!||スピーチを!||スピーチを!」
バッソが|満面の|笑みを|浮かべて|立ち上がり、|わざとらしく|咳払いをして|照れた|ふりを|しながら、|拍手で|何度も|遮られる|とんちんかんな|スピーチを|始めた。

ある瞬間、|彼の|視線が|メグレの上で|止まった。||テーブルの中で|唯一|真顔だったから。||警部は|彼が|居心地悪そうにするのを|感じた。||バッソは|目を|そらした。
しかし|二度、|三度、|視線が|戻ってきた。||問いかけるような、|苛立たしげな|目で。

「皆さん|ご一緒に。||花嫁万歳!」

「花嫁万歳!」
みんなが|立ち上がった。||花嫁に|キスをした。||踊った。||グラスを|打ち合わせた。||メグレは|バッソが|ジェームズに|近づいて|何かを|尋ねるのを|見た。||おそらく|こう|聞いたのだろう。


「あいつは|誰だ?」
こんな|返事が|聞こえた。

「知らないが‥‥||仲間だよ!||いい奴だよ!」7
テーブルは|がらんと|なった。||みんなが|踊りに|出た。
18

テーブルは|がらんと|なった。||みんなが|小屋の中で|踊っていた。||どこから|来たのか|わからない人々が|夜の闇の中に|立ち、|木の幹と|見分けがつかないほどで、|楽しむ人たちを|眺めていた。
発泡ワインの|コルクが|次々と|飛んだ。

「ブランデーを|飲みに|来い!」と|ジェームズが|言った。
「踊らないんだろ?」

妙な|男だった。||普通の男なら|四、五人は|酔いつぶれるほど|飲んでいた。||それでも|正確には|酔っているとは|言えなかった。||苦みばしった|様子で、|ゆっくりと|淡々とした|足取りで|歩いた。||メグレを|家の中に|連れ込み、|主人の|ヴォルテール椅子8に|どかりと|腰を|下ろした。
腰の|曲がった|老婆が|皿洗いを|していた。||おそらく|その娘で、|五十歳に|近い|女将が|せわしなく|立ち働いていた。

「ウジェーヌ!||発泡ワインを|あと|六本!||御者に|コルベイユまで|取りに|行かせたほうが|いいわ」
質素な|田舎の|居間。||彫刻を|施した|くるみ材の|箱に|入った|振り子時計。||ジェームズは|足を|伸ばし、|注文しておいた|ブランデーの|瓶を|取り、|グラスに|なみなみと|二杯|注いだ。

「乾杯!」
結婚式の|様子は|もう|何も|見えなかった。||音楽を|覆い|隠す|どよめきだけが|聞こえた。||開いた|扉から、|セーヌ川の|流れる|水面が|かすかに|見えた。

「隅っこで|いちゃつくとか、|まあ、|そういったことを|やりたいのさ!」と|ジェームズが|軽蔑するように|言った。
三十歳だった。||しかし|彼が|隅っこで|女性と|いちゃつくような|男では|ないことは|明らかだった。

「庭の|奥には|もう|いるに|違いない」
彼は|洗い桶の上に|腰を|折り|曲げた|老婆を|眺めた。

「布巾を|貸しな!」と|老婆に|言った。
そして|グラスと|皿を|拭きはじめた。||時折|コニャックを|一口|飲むためだけに|手を|止めながら。

19

時折、|誰かが|扉の前を|通り過ぎた。||メグレは|ジェームズが|老婆と|話している|隙に|こっそり|抜け出した。||外に|出て|十歩も|歩かないうちに、|誰かが|火を|貸してくれと|声を|かけてきた。||おばあさんの|ドレスを|着た|白髪の|男だった。

「ありがとう!||あなたも|踊らないんですか?」

「踊らない」

「うちの|女房とは|違いますね。||一度も|休まず|踊り続けてますよ」
メグレは|ふと|直感した。

「花嫁役ですか?」

「そうです。||でも|じっとしてたら|風邪を|ひきますよ」
男は|ため息を|ついた。||五十歳の|男の|真顔と|おばあさんの|ドレスの|組み合わせは|滑稽だった。||警部は|この男が|普段は|何を|しているのか、|どんな|様子なのかと|思いを|めぐらせた。

「どこかで|お会いしたような|気が|するんですが」と|メグレは|とりあえず|言ってみた。

「私も|同じ|印象です。||どこかで|お会いしましたね。||でも|どこで?||うちの|シャツ屋の|お客さんでは|ないですか?」

「シャツ屋を?」

「グラン・ブールヴァール9で」
妻は|今や|誰よりも|騒がしかった。||酔いは|明らかだった。||信じられないほどの|はしゃぎっぷりに|現れていた。||バッソと|踊っていたが、|あまりにも|密着していたので|メグレは|目を|そらした。


「まったく、|変わった|女の子だ」と|夫は|ため息を|ついた。
女の子だと!||三十歳の|ふくよかな|この女が、|官能的な|唇と|熱っぽい|目つきで、|踊り相手に|全身で|身を|委ねているというのに!

「楽しくなると|狂ったように|なるんです」

警部は|この男を|見たが、|怒っているのか|それとも|微笑ましく|思っているのか、|読み取れなかった。
その時、|誰かが|叫んだ。


「花嫁を|寝かしつけるぞ!||花嫁の|就寝式だ!||花婿は|どこだ?!」
20
小屋の|奥に|小さな|物置部屋が|あった。||扉が|開けられた。||誰かが|庭の|奥から|花婿役を|連れてきた。
メグレは|本物の夫が|微笑んでいるのを|観察していた。

「まず|記念のガーター10を!」

バッソ氏が|ガーターを|外し、|小さく|切り分けて|配った。||花婿と|花嫁が|物置部屋に|押し込まれ、|扉に|鍵が|かけられた。


「楽しんでますよ」と|連れの男が|ぼそりと|言った。
「あなたも|結婚してるんですか?」


「ええ、|まあ」

「奥さんは|ここに|いないんですか?」

「ええ、|休暇中で」

「奥さんも|若い人たちが|好きなんですか?」
メグレには|相手が|からかっているのか|本気で|言っているのか|わからなかった。||相手が|ふと|よそ見を|した隙に|庭へ|抜け出し、|木に|寄り添う|若い|カップルの|そばを|通り過ぎた。
台所では|ジェームズが|老婆と|穏やかに|話しながら、|グラスを|拭き続け、|飲み続けていた。

「あいつら、|何やってんだ?」と|ジェームズは|メグレに|聞いた。
「うちの|女房を|見なかったか?」

「気づかなかった」

「あんな|でかい女、|見落とすはずないのにな!」
ここから|一気に|収束へ|向かった。||夜中の|一時頃だった。||帰ろうと|ひそひそ|話す者が|いた。||セーヌ川の|ほとりで|気分が|悪くなった者も|いた。||花嫁は|自由の身に|なっていた。||まだ|踊っているのは|若い者だけだった。
馬車の|御者が|ジェームズを|探してきた。

「まだ|かかりますかね?||うちの|女房が|一時間も|待ってるもんで」

「お前も|女房が|いるのか?」

ジェームズが|出発の|合図を|した。||ベンチに|座った|人々の|中には、|頭を|揺らしながら|うとうとしている者も、|多少なりとも|乗り気で|歌ったり|笑ったりしている者も|いた。
眠った|はしけの|群れの|そばを|通り過ぎた。||汽車が|汽笛を|鳴らした。||橋の上で|速度を|落とした。

21

バッソ一家は|ヴィラの|前で|降りた。||シャツ屋は|セーヌポールで|すでに|一行と|別れていた。||ある女が|酔った|夫に|小声で|言っていた。

「明日|言ってやるから!||何を|したか!||黙って!||聞く気も|ないんだから!」
空は|星で|埋め尽くされ、|川の|水面に|映っていた。||ヴィエイユ=ギャルソンでは|みんなが|眠っていた。||握手を|交わした。

「ヨットは|やるか?」

「ウナギ釣りに|行くんだ」

「おやすみ」
部屋が|一列に|並んでいた。||メグレは|ジェームズに|聞いた。

「空き部屋は|あるか?」

「どこでも|いいよ!||空いてるのを|見つけろ。||なければ|俺の|部屋に|来い」

いくつかの|窓に|明かりが|ともった。||靴が|床に|落ちる音。||スプリングの|きしむ音。
ある部屋では、|カップルが|夢中で|ひそひそ|話していた。||昨夜|夫に|言いたいことが|あった|あの女かも|しれない。

翌朝|十一時、|みんな|素顔に|戻っていた。||暑く|晴れた|一日だった。||黒と白の|制服を|着た|ウェイトレスたちが|テラスで|テーブルからテーブルへと|食器を|並べて|回っていた。
人々が|集まりはじめた。||まだ|パジャマ姿の者も、|水兵服を|着た者も、|フランネルの|ズボンを|はいた者も|いた。

「二日酔いか?」

「たいして。||お前は?」
すでに|釣りに|出かけた者や、|戻ってきた者も|いた。||小さな|ヨットや|カヌーも|見えた。
シャツ屋は|仕立てのいい|グレーの|スーツを|着ており、|だらしない|格好を|嫌う|身ぎれいな|紳士という|印象だった。||メグレを|見つけると|近づいてきた。


「ご挨拶が|遅れました。||<フェンスタン>と|申します。||昨夜、|私の|シャツ屋の|話を|しましたね。||商売上では|<マルセル>と|名乗っています」

「よく|眠れましたか?」
22

「まったく!||思った通り、|女房が|具合を|悪くしまして。||いつも|こうなんです。||心臓が|丈夫でないのを|本人も|よく|知っているのに」
なぜ|彼の|目は|メグレの|反応を|うかがっているように|見えるのか?

「今朝は|見かけましたか?」

彼は|あたりを|見回して|妻を|探した。||バッソが|操る|ヨットに、|水着姿の|四、五人と|一緒に|乗っているのを|見つけた。

「モルサンは|初めてですか?||とても|いいところですよ。||きっと|また|来たくなる。||みんな|顔見知りで、|常連と|友人だけ。||ブリッジは|お好きですか?」


「ええ、|まあ」

「後で|やりましょう。||バッソは|ご存じですか?||パリでも|有数の|石炭商です。||いい男ですよ!||あのヨットが|来ます。||バッソ夫人は|スポーツに|夢中で」

「ジェームズは?」

「もう|飲んでいるでしょう。||あの男は|二日酔いと|酔っ払いの|間を|行き来しています。||若いのにね!||やろうと思えば|何でも|できるのに。||のんびり|生きていたいんですよ。||<ヴァンドーム広場>11の|イギリス系銀行に|勤めていて、|山ほど|いい仕事を|断ってきた。||四時に|仕事を|終えたいだけなんです。||それ以降は|<ロワイヤル通り>12の|ブラッスリー13で|見かけますよ」


「あの|背の高い|若い男が?」

「宝石商の|息子ですよ」

「あちらで|釣りをしている|紳士は?」

「配管工事の|請負業者です。||モルサン一の|釣り好き。||ブリッジを|する者も、|ボートに|乗る者も、|釣りを|する者も|いて、|みんな|いい人ばかりですよ。||別荘を|持っている人も|います」
川の|最初の|曲がり角に|ごく|小さな|白い家が|見え、|自動ピアノが|ある|小屋の|輪郭が|うかがえた。


「みんな|2スーの居酒屋に|来るんですか?」

「二年前から。||ジェームズが|言わば|発見したんです。||それまでは|コルベイユの|工員が|日曜に|踊りに|来るだけで。||ジェームズが|ほかが|うるさいときに|一人で|飲みに|行く|習慣を|つけて、|ある日|仲間が|合流し、|踊りを|始めて、|それが|定着した。||昔からの客は|居場所を|なくして、|少しずつ|来なくなりました」
23
ウェイトレスが|食前酒を|乗せた|トレーを|持って|通り過ぎた。||誰かが|川に|飛び込んだ。||台所から|揚げ物の|匂いが|漂ってきた。
あちらの|2スーの居酒屋では|煙突から|煙が|上がっていた。||一つの顔が|メグレの|脳裏に|浮かんだ。||細い|褐色の|口ひげ、|尖った|歯、|震える|鼻孔。
ルノワールが|房の中を|歩き回り、|動揺を|隠そうと|しながら|しゃべっていた。||彼も|2スーの居酒屋について|語っていた。

『せめて|あっちへ行くのが|当然な|連中と|一緒に|行けたなら!』
居酒屋では|なかった!||別の場所だ。||翌朝|パリが|目覚める前に、|一人で|行ったあの|場所へ。

なぜだか|わからないが、|この|暑さの中で|メグレは|数秒間、|寒気を|覚えた。||いつもと|違う目で|シャツ屋を|見た。||金の|フィルター付き|煙草14を|吸いながら、|隙のない|身なりを|整えた|男。||それから|バッソ一の|ヨットが|岸に|着き、|半裸の人々が|次々と|飛び降り、|互いに|握手するのを|見た。

「友人たちに|ご紹介しても|よろしいですか?||お名前は?」と|フェンスタンが|言った。

「メグレ、|公務員です」
丁寧に|挨拶が|交わされた。||お辞儀と、|「はじめまして」|「こちらこそ」という|言葉とともに。

「昨夜は|ご一緒でしたね?||うまい|悪ふざけでしょう?||今日の|午後、|ブリッジは|いかがですか?」
痩せた|若い男が|フェンスタンに|近づき、|脇に|連れ出して|耳元で|何かを|ひそひそと|言った。||メグレは|この|やりとりを|見逃さなかった。||シャツ屋が|顔を|曇らせ、|恐怖に|似た|感情を|見せ、|メグレを|じろじろと|見てから、|やがて|いつもの|表情に|戻るのを|見た。

一行が|テラスに|近づき、|テーブルを|探した。

「みんなで|ペルノを|一杯!||そういえば|ジェームズは|どこだ?」
24
フェンスタンは|自分を|抑えようと|しながらも、|落ち着きが|なかった。||メグレのことしか|眼中に|なかった。

「何を|召し上がりますか?」

「何でも|構いません」

「あなたは……」
言いかけた言葉を|呑み込み、|よそを|向いた|ふりを|した。||しばらくして、|それでも|ぼそりと|

「偶然、|モルサンに|来られたとは|不思議ですね」

「そうですね、|奇妙な|偶然です」と|警部は|相槌を|打った。
飲み物が|運ばれてきた。||何人かが|同時に|しゃべっていた。||フェンスタン夫人の|足が|バッソの|足の上に|乗っており、|輝く目で|彼を|見つめていた。


「いい天気!||水が|澄みすぎて|釣りには|残念だけど」
静けさが|うんざりするほど|続く中、|メグレは|白い|独房の|高いところから|差し込む|一筋の|陽光を|思い出した。
ルノワールが|歩き回り、|歩き回り、|歩き回っていた。||もう|長くは|歩けないことを|忘れようとするかのように。

メグレの|視線が|重く、|一人一人の|顔の上に|順番に|落ちていった。||バッソ、|シャツ屋、|配管業者、|やってきた|ジェームズ、|若い男たち、|女たち。
彼は|一人一人を|想像しようと|した。||夜の|サン=マルタン運河沿いで、|「歩かせようとしている|人形のように」|死体を|押して|いく姿を。

「乾杯!」と|フェンスタンが|長い|微笑みを|浮かべながら|言った。

- この段落はメグレの感覚を先取っており、まだ2スーの居酒屋には着いていません。
この時点での場所の流れを整理すると次のようになります。
①ヴィエイユ=ギャルソン(Vieux-Garçon)――ジェームズと出会い、ペルノを飲んだ宿・テラス。
②幌馬車に乗って移動中――仮装した一行がセーヌポールを通り抜け、川沿いの道を進んでいる。
③2スーの居酒屋(guinguette)に到着――橋を渡り、「ウジェーヌ・ルジェ 酒屋」の看板が見えてから、ようやく到着します。
つまり「2スーの居酒屋の前に着いたとき」という文章は、幌馬車での移動が終わり、いよいよ居酒屋の前に到着した瞬間を指しています。ヴィエイユ=ギャルソンとは別の場所で、そこから幌馬車で移動してたどり着く目的地です。 ↩︎ - ベカシーヌ(Bécassine)は、フランスの漫画・絵本の人気キャラクターです。
1905年に雑誌「ラ・サマーヌ・ドゥ・スュゼット」に登場して以来、長年にわたってフランスの子どもたちに親しまれました。ブルターニュ地方出身の純朴で無邪気な田舎娘という設定で、黒いブルターニュの民族衣装に白いエプロン、大きな頭巾をかぶった愛らしい外見が特徴です。口が描かれていない顔も印象的です。
この場面で「ベカシーヌに扮した若い娘」が登場するのは、ブルターニュの田舎娘という仮装をしているということで、当時のフランス人なら誰でも一目でわかるキャラクターでした。田舎の結婚式というにせの設定に合わせた仮装として自然な選択です。
シムノンがこの名前をさらりと使っていることからも、ベカシーヌが1930年代のフランスでいかに広く知られた存在だったかがわかります。
↩︎ - メグレが戸惑っているのはギャングエット文化そのものへの不慣れというよりも、むしろこの特定のグループの人間関係と社会的背景がまだ見えていないという状態です。
原文の 「Il y avait toute une mise au point nécessaire」(全体像を把握するのに時間がかかりそうだった)がそれを示しています。
メグレは労働者階級の犯罪には精通している警部ですが、このグループは裕福な中産階級のブルジョワたちです。石炭商、シャツ屋、銀行員、医師、実業家――仮装して馬鹿騒ぎをしているが、普段はそれぞれの社会的立場がある人々です。
つまりメグレの戸惑いは、ギャングエットへの不慣れではなく、この階層特有の人間模様をまだ掴めていないという刑事としての職業的な違和感です。これがまさに「鍵がまだ回っていない」状態の正体でもあります。 ↩︎ - マトン・スリーブ(manches à gigot)は、羊の脚(gigot)の形に似た袖のことです。
形の特徴
肩から肘にかけては大きく膨らんでいて、肘から手首にかけては細くぴったりと絞られるという独特の形です。横から見ると確かに骨つき羊肉の脚に似ています。
流行の時期
1890年代に大流行したヴィクトリア朝・ベル・エポック時代の袖のスタイルです。1930年代にはすでに時代遅れのファッションでした。
この場面での意味
ジェームズの妻がマトン・スリーブのドレスを着ているという描写は、彼女が流行に乗り遅れた、やや野暮ったい女性であることを示唆しています。さらに彼女は「一番ふくよかな女」とも描写されています。
ジェームズがうつろな声で「あれが俺の女房だ」と言いながら目に小さな炎を宿している場面と合わせると、夫婦関係の複雑さがこの一言に凝縮されています。
↩︎ - ベンガル花火(feu de Bengale)は、色鮮やかな炎を出す演出用の発火具です。
特徴
爆発音はなく、白・緑・赤などの強烈な色の炎をしばらく燃やし続けるタイプの花火です。現代の手持ち花火(スパークラー)に近いものですが、より大きく激しい炎を出します。
名前の由来
インドのベンガル地方で古くから使われていた火薬の発光技術に由来します。ヨーロッパには18世紀頃に伝わり、舞台演出・祭り・パーティーの演出として広く使われるようになりました。
当時の用途
1930年代のフランスでは屋外パーティーや祭りの定番の演出でした。電気照明が普及していない田舎の居酒屋では特に効果的で、暗闇の中で突然輝く強烈な白緑の光は非常に印象的だったはずです。
この場面でベンガル花火が庭で焚かれ、薔薇色の絹の娘が「まるで舞台の書き割りみたい」と言うのは、まさにその非日常的な演劇的効果を言い表しています。そしてシムノンはすぐ次の行で「そして、ここに殺人犯がいるのだ!」と続けます。舞台と現実の対比が鋭く効いている場面です。
↩︎ - 書き割り(かきわり)とは、舞台の背景として使われる平らな板や布に描かれた絵のことです。
舞台用語として
演劇や歌舞伎などで、遠景の風景・建物・空などを描いた大きな背景画を指します。本物ではなく絵で描かれた見せかけの風景なので、「作り物めいた」「現実感がない」という意味で使われます。
この場面での意味
薔薇色の絹の娘(工場労働者の恋人)が「まるで舞台の書き割りみたい」と言うのは、ベンガル花火の非現実的な光に照らされた光景が、まるで芝居の舞台装置のように見えたという意味です。 ↩︎ - 実は、この一言には深い意味があります。
表面上はジェームズの無頓着な性格を表しているだけに見えますが、実はこの場面には複数の層があります。
ジェームズの立場
ジェームズは後に明らかになりますが、この事件の核心に深く関わっている人物です。バッソ氏が「あいつは誰だ?」と警戒して尋ねた相手が、よりによって司法警察の警部だったわけです。
「知らない」の意味
ジェームズはメグレが警部だと知らなかったのか、それとも知っていてとぼけたのか――これは読者への問いかけでもあります。
バッソ氏の反応
バッソ氏は「ニエル通りの貸し部屋」の件があるため、見知らぬ人間に敏感になっています。メグレが終始真顔だったことが気になり、わざわざジェームズに確認しに来た。それに対して「知らない、いい奴だよ」という軽い返事――こののらりくらりとしたジェームズの態度がバッソ氏の不安を一時的に鎮めると同時に、読者にはジェームズの掴みどころのなさをより強く印象づけています。
↩︎ - ヴォルテール椅子(fauteuil Voltaire)は、19世紀フランスで流行した肘掛け椅子で、背もたれが高く緩やかに後ろへ傾き、座面と背もたれにたっぷりした詰め物が入った、ゆったりと体を預けられる椅子です。名前は哲学者ヴォルテール(1694〜1778)が愛用したとされるスタイルに由来します。
この場面では、2スーの居酒屋の質素な田舎の居間に一脚だけある、いわば主人一家の誇りのような家具です。そこにジェームズが無造作に足を伸ばして座るという描写は、彼のどこでも我が家にしてしまう、階級も場所も超えた無頓着な性格をよく表しています。
↩︎ - グラン・ブールヴァール(les Grands Boulevards)は、パリの中心部を東西に走る一連の大通りの総称です。
オスマン男爵による19世紀のパリ大改造で整備されたもので、マドレーヌ広場からバスティーユ広場にかけて連なる複数の大通り――カプシーヌ大通り、イタリアン大通り、モンマルトル大通りなどを指します。
1930年代には劇場・映画館・カフェ・高級商店が立ち並ぶパリで最も賑やかな繁華街でした。フェンステン氏のシャツ屋がここにあるということは、それなりの格式と規模を持つ店だということを示しています。ただし原文ではその実態は借金だらけで経営が苦しいという皮肉な状況です。
現在も観光客や地元民に親しまれるパリの中心的な通りで、地下鉄の駅名にも「グラン・ブールヴァール」があります。
↩︎ - ガーター(jarretelle)は、女性がストッキングを留めるために太ももにつけるゴム製またはリボン製の輪のことです。
フランスをはじめとするヨーロッパの伝統的な結婚式では、花婿が花嫁のガーターを外して出席者に配るという風習がありました。これは幸運のお守りとされており、ガーターの切れ端をもらった人に幸運が訪れるという言い伝えです。
本物の結婚式でもないのに、バッソ氏が愛人マドのガーターを外して配るという場面は、複数の意味で皮肉に満ちています。バッソ氏は花婿役ではなく村長役のはずなのに、率先してガーターを外しています。本物の夫フェンステン氏がすぐそばで微笑みながら見ているという状況と合わせて、シムノンが仕掛けた残酷なユーモアの極致といえます。
↩︎ - ヴァンドーム広場(Place Vendôme)は、パリ1区にある八角形の広場です。
17世紀末にルイ14世の命により建設された格式高い広場で、中央にはナポレオンの戦勝を記念した円柱(ヴァンドーム円柱)がそびえています。
1930年代から現在に至るまで、世界最高級のジュエリー店・高級ホテル・銀行が立ち並ぶパリで最も格式ある広場の一つです。ショパンが亡くなったのもこの広場に面した建物でした。現在もカルティエ、ショーメ、ヴァン クリーフ&アーペルなどの名店が並んでいます。
フェンステン氏がジェームズについて「ヴァンドーム広場のイギリス系銀行に勤めている」と言うのは、非常に格式ある職場を示しています。それだけの職場でありながら、ジェームズが四時に仕事を終えてロワイヤル通りのブラッスリーで飲み続けるだけの生活に甘んじているという対比が、彼の怠惰でどこか虚無的な性格をよく表しています。
↩︎ - ロワイヤル通り(rue Royale)は、パリ8区にある短い通りです。
マドレーヌ寺院からコンコルド広場へと南北に伸びる、わずか数百メートルの通りですが、パリで最も格式ある通りの一つとして知られています。
1930年代には高級レストラン・カフェ・ブラッスリーが立ち並んでいました。中でもラデュレ(マカロンで有名なパティスリー)やマキシム(当時パリ社交界の中心だった高級レストラン)がこの通りにあります。
ジェームズが毎日四時以降をこの通りのブラッスリーで過ごしているというのは、それなりの金を持ちながら何もしない男の生活をよく示しています。ヴァンドーム広場の銀行から歩いてすぐの距離で、仕事が終わるとそのままブラッスリーに直行するという動線が目に浮かびます。
後の章でメグレがジェームズと待ち合わせるタヴェルヌ・ロワイヤル(Taverne Royale)もこの通りにある店です。
↩︎ - ↩︎
- ↩︎




