作品背景|ダービー帽(山高帽)とフェルト帽――1930年代探偵小説における警察官の帽子表現

作品背景

ダービー帽の由来と意味

ダービー帽(derby hat)は、19世紀イギリスで生まれた帽子である。
名前は、貴族 第12代ダービー伯爵(Earl of Derby) に由来する。

  • 乗馬や狩猟の際、枝に引っかからない
  • 頭を保護できる
  • 形が崩れにくい

という実用性から設計された、硬い帽子である。

この帽子はその後、

  • 都市部の実務職
  • 官僚
  • 警察
  • 保険調査員
  • 検死官

といった「公的な役割を帯びた男性」の象徴として定着した。

1930年代の英米小説において
derby hat は単なる帽子ではなく、社会的記号である。


山高帽(やまたかぼう)として訳される理由

日本語では、derby hat は古くから 山高帽 と訳されてきた。

  • 形状が明確
  • 視覚像が即座に立つ
  • 「硬く、きちんとした帽子」という印象が共有されている

翻訳上も、

  • ダービー帽(表音)より
  • 山高帽(意味直結)

の方が、読者の理解負荷が小さい

そのため、多くの翻訳書が
「山高帽」という訳語を採用している。


フェルト帽とは何か

一方、フェルト帽はまったく別の分類語である。

  • 素材:フェルト
  • 形状:特定しない

フェルト帽には、

  • 中折れ帽
  • ソフトハット
  • 山高帽
  • ハンチング

など、さまざまな形が含まれる。

つまり、

フェルト帽 = 材質
山高帽 = 形状・社会的記号

という関係にある。


警察官描写における意味の違い

ここで重要なのは、警察官にかぶせられたときの意味合いである。

山高帽をかぶった警察官

  • 職務中
  • 公的立場が前面に出る
  • 「個人」より「制度」が見える
  • 冷静・公式・非情

👉 捜査の主体としての警察

フェルト帽をかぶった警察官

  • 私服警官・現場の男
  • 個人性がにじむ
  • 柔らかく、人間的
  • 公的色は弱まる

👉 現場にいる一人の人間としての警察


なぜ作者は書き分けるのか

1930年代の探偵小説では、
人物の内面を説明するより、外見で示すのが基本である。

帽子は、

  • 職務
  • 階層
  • 態度
  • 立場

を一瞬で示すための、極めて効率のよい小道具だ。

だから作者は、

  • derby hat と書き
  • felt hat とも書く

それを翻訳者も理解して、

  • 山高帽
  • フェルト帽

あえて書き分けている

これは偶然でも装飾でもない。


まとめ

  • ダービー帽(山高帽)は
    公的役割・職務・制度の記号
  • フェルト帽は
    素材表現であり、人物像をぼかす

したがって、

ダービー帽をかぶった刑事
フェルト帽をかぶった刑事

は、読者の頭の中で別の人物像として立ち上がる

1930年代の探偵小説において、
帽子は「服飾」ではなく
語らない人物描写なのである。