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「答えろ!その拳銃は」
メグレはマルタンの視線を追い、相変わらず天井を見上げていたマルタン夫人が壁の上で指を動かしているのに気づいた。

哀れなマルタンは妻が何を伝えようとしているのか理解しようと必死だった。焦っていた。メグレが待っているのがわかった。

「私は……」
彼女が痩せた指で描いているその四角形、あるいは台形は何を意味しているのだろうか?


「どうした?」
この時、メグレは本当に彼はを哀れに思った。その一分はひどいものだったに違いない。マルタンは焦りであえいでいた。

「セーヌ川に投げ捨てました」
運命は決まった!メグレがポケットから拳銃を取り出してテーブルに置く間に、マルタン夫人は怒りの形相でベッドに起き上がった。


「セーヌではない。ゴミ箱の中で見つけた」
メグレは言った。
そして熱に浮かされた女の、笛のように鋭い声が響いた

「ほら。今ならわかるでしょう?これで満足なの?あなたはまた肝心なところでしくじったのよ。いつもそうだったように。刑務所へ行くのが怖くて、捨てたのはゴミ箱だと合図しているのにわざと間違えたんでしょう。でもどうせ行くのよ。だって盗みはあなたなんだから。警部さん!この人がセーヌ川に投げ捨てたのよ、三百六十枚の千フラン札を!」
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彼女は恐ろしかった。あまりに長く自分を抑えていたことがわかった。反動は激しかった。あまりにひどく興奮していて、ときには言いたいことがいくつも一度に口へ出そうになり、言葉までもつれてしまった。
マルタンは頭を垂れていた。彼の役割は終わった。妻が責め立てた通り、彼は惨めに失敗したのだった。

「この人は盗みなんて大それたことをやろうとして、手袋をテーブルの上に置き忘れるんですから」
マルタン夫人の恨み言が次々と、ごちゃまぜに、とりとめなく噴き出した。
メグレの後ろから薄いベージュ色の外套の男のか細い声が聞こえた。

「何か月も前から、妻は窓越しにあの事務所を指差して私に見せていたんです。クーシェが洗面所へ行く癖があることを。それで妻は私が自分の人生を不幸にしている、女ひとり養うこともできないと責めるんです。だから私は行きました」

「彼女に行くと言ったのか?」

「いいえ!でも妻はちゃんと知っていました。窓の前にいたんですから……」

「すると遠くからご主人が忘れた手袋が見えたわけだな、マルタン夫人?」

「名刺でも置いてきたようなものよ!まるで私を怒らせようとしているとしか思えない」

「するとあなたは拳銃を持って、事務所へ行った。あなたがそこにいるところへ、クーシェが戻ってきた。彼は盗んだのがあなたと思った」

「彼は私を逮捕させようとしたんです。そうです、そうしようとしたんです。私のおかげで金持ちになったくせに。初めのころ、バターもつけないパンを食べるのがやっとだったころ、誰があの人の世話をしてやったと思っているんです?男なんてみんな同じです。あの人は、自分の事務所がある建物に私が住んでいることまで責めました。息子に渡しているお金を、私が息子と分けているとまで言ったんです」

「それで撃ったのか?」

「あの人はもう警察に電話しようとして、受話器を取っていたんですから!」

「あなたはごみ箱の方へ行った。小さなスプーンを探すふりをして、拳銃をごみの中へ捨てた。そのとき誰に会った?」
彼女は吐き捨てた。

「二階の間抜けな老いぼれに」
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「ほかには誰も?あなたの息子さんが来ていたと思ったんだが。金がなくなっていた」

「それがどうしたんです?」


「息子さんはあなたに会いに来たのではなく、父親に会いに来たんだ。ただ、あなたは彼を事務所まで行かせるわけにはいかなかった。そこへ行けば、死体を見つけてしまうからだ。あなたたちは二人とも中庭にいた。ロジェに何と言ったんだ?」

「帰れと言いました。あなたには母親の心なんてわかりません」

「それで彼は帰った。ご主人が戻ってきた。あなたたちのあいだでは、何の話も出なかった。そういうことだな?マルタンは、結局セーヌ川に投げ捨てた札束のことを考えていた。根は哀れな善人だからだ」


「哀れな善人ですって!」マルタン夫人は思いがけない怒りで繰り返した。「はっ、はっ。では私は?ずっと不幸だった私は?」

「マルタンは誰が殺したかを知らない。彼は寝る。一日が過ぎるが、あなたたちは何も話さない。だが、その翌晩、あなたは起き上がり、彼が脱いだ服を探る。札束を探すが、見つからない。彼があなたを見る。あなたは彼を問い詰める。そこで怒りの発作が起きる。それを老女マチルドが扉の陰で聞いた。あなたは無駄に人を殺したんだ。あの間抜けなマルタンは札束を捨てた。勇気がないばかりに、大金をセーヌ川へ投げ捨てた。それであなたは具合が悪くなった。熱が出た。一方、あなたが殺したとは知らないマルタンは、ロジェに知らせに行った。

そしてロジェは気づいた。中庭であなたを見ていたからだ。あなたはロジェを事務所へ行かせまいと止めた。それでロジェにはあなたが何をしたのかわかったのだ。
彼は俺が自分を疑っていると思った。逮捕され、責められると思い込んだ。しかも自分を守ろうとすれば、母親を告発するしかない。

あいつは感じのいい若者ではなかったかもしれない。だが、ああいう暮らし方にも、いくらか事情はあったのだろう。彼はうんざりしていた。寝ている女たちにも、薬にも、ふらついているモンマルトルにも、そして何より、自分ひとりがからくりを見抜いているこの家庭の惨劇にうんざりしていた。
それで窓から飛び降りた」
マルタンは壁にもたれ、折り曲げた両腕に顔を埋めていた。だが妻は警部をじっと見つめていた。まるで、その話に割り込み、今度は自分が攻撃に出る瞬間だけを待っているようだった。
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そこでメグレは二人の弁護士の書いた鑑定意見書を見せた。


「この前来たとき、マルタンはすっかりおびえて、盗みを白状しそうになっていた。だがあんたがそこにいた。あいつは扉のすき間からあんたを見た。あんたは強い身ぶりで合図を送った。そしてあいつは黙ったんだ。
それでようやくマルタンの目が開いたんじゃないのか?マルタンはあんたを問いただした。するとあんたはマルタンに面と向かって怒鳴った。そうだ、私が殺したんだ、あんたのせいで殺たんだ、と。机の上に手袋を忘れていったマルタンの失敗を取りつくろうために。それなのに、あんたは人を殺したせいで、遺言があっても相続はできない。ああ、マルタンに少しでも肚が据わっていたら。
外国へ逃げる。世間はマルタンが犯人だと思いこむ。警察はそれ以上動かない。あんたは何百万もの金を持って、あとでマルタンに会いに行く。
まったく哀れな奴だ、マルタン!」

そしてメグレはものすごい平手で肩を叩き、小男を押しつぶさんばかりだった。彼は低い声で話していた。言葉を強めず、ぽつりぽつりと落としていた。

「あんたは金を手にいれるために、ここまでやったんだな。クーシェの死。ロジェは真相に気づいて窓から身を投げる。それなのに最後になってあんたはこのままでは遺産が手に入らないと気づいた。そこであんたは自分からマルタンの荷物を用意するほうを選んだ。きちんと整えた旅行鞄。何か月分もの下着」

「もうやめてくれ!」とマルタンはすがるように言った。
病んだ女が叫んだ。メグレはいきなり扉を開けた。するとマチルドが前のめりに倒れそうになった。
彼女は警部の声の調子におびえて逃げだし、初めて本当に自分の扉を閉め、鍵を錠前の中で回した。
メグレは寝室に最後の視線を投げた。
マルタンは動く勇気もなかった。妻はベッドに座り、痩せて、寝間着の下で肩甲骨を突き出し、警察官を目で追っていた。
彼女はあまりにも重々しく、突然あまりにも静かになっていたので、いったい何を企んでいるのかと不安に思わせた。
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メグレは前の場面で見たマルタン夫人のいくつかの視線、いくつかの唇の動きを思い出した。そしてマルタンとまったく同時に、何が起こっているのかを直感した。
メグレとマルタンには手出しができなかった。それは二人の外で、悪い夢のように進んでいた。
マルタン夫人は痩せて、痩せきっていた。その顔立ちはいっそう苦しげになっていった。彼女は部屋のありふれた品物しかない場所に、何を見ていたのか。彼女は部屋の中を何を注意深く追っていたのか。
彼女は額にしわを寄せ、こめかみが脈打っていた。マルタンが叫んだ。

「怖い!」
住まいの中では何も変わっていなかった。一台のトラックが中庭に入ってきて、管理人の甲高い声が聞こえた。
マルタン夫人は一人きりで、越えられない山を越えようと大きな努力をしているようだった。二度、彼女の手は顔から何かを払いのけるような動きをした。ついに彼女は唾をのみこみ、目的地にたどり着いた人のように笑った。

「あなたたちはどうせみんな、私のところに少しお金をくれと頼みに来る。公証人に、渡さないよう言っておきます」
マルタンは頭から足の先まであえいだ。それが熱によって起こった一時的な錯乱ではないことを悟った。
彼女は正気を失っていた。完全に。

「責めることはできません。彼女人はもともと普通とは少し違っていましたから。そうでしょう?」と彼は嘆いた。
彼は警部のうなずきを待っていた。

「まったく哀れだな、マルタン」
マルタンは泣いていた。妻の手を取り、その手に顔をこすりつけていた。彼女は彼を押しのけた。優越と軽蔑を含んだ笑みを浮かべていた。

「一度に五フラン以上はだめです。私はもう十分苦しんだのだから」

「サント=アンヌに電話する」とメグレが言った。

「そう思いますか?やはり、入院させる必要があるんですか?」
習慣の力なのか。マルタンは、妻が連れていかれれば、このアパルトマンでの暮らし、日々の責め言と口論の空気、みじめな生活、そしてその女から引き離されるのだと思ってうろたえていた。その女は最後にもう一度、考えようとしていたが、力尽き、敗れて、大きな望みを抱いたまま横たわり、口の中で言った。

「鍵を持ってきて」
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数分後、メグレは街路のざわめきの中を、よそ者のように歩いていた。彼には珍しく、ひどい頭痛がしていた。彼は薬局に入り、錠剤を一つ飲んだ。

まわりのものは何も目に入らなかった。町の物音は別の音と混じり合っていた。とくに声と混じり合い、その声はなおも彼の頭の中で響きつづけていた。ほかの何よりも彼に取りついていた一つの映像があった。立ち上がり、床に落ちた夫の服を拾い上げ、金を探すマルタン夫人。そしてベッドからそれを見ているマルタン。
女の問いただすような眼差し。

『セーヌ川に捨てたんだ』
その瞬間から、どこかにひびが入ったのだった。いや、むしろ、彼女の頭の中には最初からずれがあったのだ。モーの菓子屋で暮らしていたころからすでに。
ただ、それは目立たなかった。彼女はかなりきれいな娘だった。薄すぎる唇を気にする者などいなかった。
そしてクーシェは彼女と結婚した。

「もしあなたに何かあったら、私はどうなるの?」
メグレはボーマルシェ大通り1を見つけるまで、少し手間取った。理由もなく、彼はニーヌのことを考えた。

「彼女には何も残らない。1スーもだ」と彼は低い声でつぶやいた。「遺言状は無効にされる。そして、ドルモワ家出身のクーシェ夫人が」
大佐はもう手続きを始めているに違いなかった。それは当然だった。クーシェ夫人がすべてを手に入れる。何百万もの財産を。
彼女は上品な女で、自分の身分をきちんと保つことができるだろう。
メグレはゆっくりと階段を上がり、リシャール=ルノワール大通りのアパルトマンの扉を押し開けた。

「誰が来たと思う?」
メグレ夫人は白いテーブルクロスの上に四人分の食器を並べていた。メグレは食器棚の上に、ミラベル酒の小さな陶器瓶が置いてあるのを見た。

「君の妹だな!」
当てるのは難しくなかった。彼女がアルザスから来るたびに、果実酒の小さな陶器瓶と、燻製ハムを持ってくるからだった。
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「アンドレと一緒に、少し買い物に行っているの」
夫だ。煉瓦工場を任されている、気のいい男だった。

「疲れているみたいね。せめて、今日はもう出かけないでしょう?」
メグレは出かけなかった。夜の九時には、義妹と義弟と一緒に、ナン・ジョーヌ2をしていた。ミラベル酒3の香りが食堂に漂っていた。
そしてメグレ夫人はそのたびに声を立てて笑っていた。彼女はどうしてもカードを覚えられず、考えられるあらゆる間違いをしていたからだった。

「本当に九はないのか?」

「ええ、持っているわ」

「それなら、どうして出さないんだ?」
メグレにとって、そのすべては温かい風呂のようだった。もう頭痛はしていなかった。
彼はもう、マルタン夫人のことを考えていなかった。そのころ、彼女は救急車でサント=アンヌへ運ばれていき、夫は誰もいない階段で、一人すすり泣いていた。
- ボーマルシェ大通り(boulevard Beaumarchais)は、パリ11区にある実在の大通りです。18世紀の劇作家ボーマルシェ(『フィガロの結婚』の作者)にちなんだ名前で、バスティーユ広場の近くを走っています。
この場面でメグレが向かうのは、自宅のあるリシャール=ルノワール大通りです。両方ともバスティーユ周辺にあり、ごく近い距離にあります。シムノンはパリの実在の地名を細かく使うことで知られており、メグレシリーズの舞台は地図で追うことができます。 ↩︎ - ナン・ジョーヌ(Nain Jaune)は、フランスの伝統的なカードゲームです。
「黄色い小人」という意味で、18世紀から親しまれてきました。
ゲームの特徴
専用のボードとトランプを使い、2人から8人まで遊べます。特定のカード(とくにダイヤの7)を出すと賞金がもらえる仕組みで、運と駆け引きが混じった、家族向けの気軽なゲームです。
この場面での意味
メグレ夫人が「カードが覚えられない」と笑われているのは、ナン・ジョーヌが比較的シンプルなゲームであるにもかかわらず、という微笑ましいニュアンスです。
フランスでは年配の世代に特になじみ深く、1930年代の家庭的な夜の過ごし方としてシムノンが選んだのは、いかにもリアルな描写です。捜査の重苦しさとの対比が、この場面をより印象的にしています。
↩︎ - ミラベル(Mirabelle)は、フランスのアルザス・ロレーヌ地方特産の小さな黄色いプラムです。この果実を蒸留して作る透明な果実酒で、アルザス地方を代表する名産品です。
この場面での意味
メグレの義妹は|アルザスから来るたびに、|このミラベル酒と|燻製ハムを持参します。|田舎から都会の親戚を訪ねる際の|手土産として、|いかにもフランスらしい習慣です。
香りが高く、食後酒として親しまれています。食堂に漂う香りの描写は、家庭的な温もりをさらに強調する効果があります。捜査の陰惨な結末の直後だけに、シムノンが意図的に選んだ細部と思われます。
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