ゲ・ムーランの踊り子|第六章 逃亡者

ゲ・ムーランの踊り子

『Brille Editor System ver.8』用の『BESファイル』を、ZIPファイルに圧縮して公開しています。(2026年4月19日現在未作成)

62 新聞の見出し


 一時に|地方紙が|一斉に|発行され、|どれも|一面に|センセーショナルな|見出しを|掲げていた。||良識派の|<ガゼット・ド・リエージュ>は、『柳行李やなぎごうりの|謎。||不良少年|二人による|犯行』と|印刷した。

 社会主義系の|ラ・ワロニーは|こう|書いた。

「二人の|ブルジョワ青年による|犯罪」

 ジャン・シャボの|逮捕と|デルフォスの|逃亡が|報じられた。||すでに|ロワ通りの|家が|写真に|撮られていた1。||こう|読めた。

「司法警察で|息子と|感動的な|対面を|した|直後、|シャボ氏は|自宅に|閉じこもり、|いかなる|声明も|拒否している。||シャボ夫人は|ひどく|動揺し、|床に|就いている」

「ウイ市に|工場を|持つ|デルフォス氏が|帰宅する|際に|取材に|成功した。||五十歳前後の|精力的な|男で、|澄んだ|目は|一瞬も|曇らなかった。||動揺を|見せずに|衝撃を|受け止めた。||息子の|犯行を|信じず、|自ら|この|件に|乗り出す|意向を|示した」

「サン=レオナール刑務所によると、|ジャン・シャボは|非常に|落ち着いている。||この|件を|担当する|ド・コニンク予審判事の|前に|出廷する|前に、|弁護士の|訪問を|待っている」

 ロワ通りは|いつものように|静かだった。||学校の|中庭に|子供たちが|入っていき、|授業まで|遊んでいた。

 石畳の|あいだに|草の|束が|生えていた。||四十八番地の|あたりで、|一人の|女が|玄関先を|チガヤの|ブラシで|洗っていた。

63近所の噂 ― 肩幅の広い男はどこへ


 聞こえるのは|銅細工師の|金床を|打つ|間遠な|音だけだった。

 しかし|いつもより|頻繁に|ドアが|開いた。||誰かが|顔を|出し、|五十三番地の|方向を|ちらりと|見た。||玄関先から|玄関先へ、|言葉が|交わされた。


「あの子が|そんなことを|するなんて!||まだ|子供じゃないの。||ついこの|前まで|うちの子と|一緒に|歩道で|遊んでたのに」

「主人に|言ったのよ、||あの子が|二度も|酔っぱらって|帰るのを|見たとき。||あの|年で!」


 十五分おきに、|シャボ家の|廊下で|呼び鈴が|鳴った。||ポーランド人学生が|ドアを|開けた。


「シャボご夫妻は|おりません」|と|強い|なまりで|言った。


「ガゼット・ド・リエージュです。||こちらに|伝えていただけますか」


 記者は|内部の|様子を|一目|見ようと|首を|伸ばした。||台所と、|座っている|男の|背中が|かろうじて|見えた。


「結構です。||おりませんので」


「でも|……」


 彼女は|ドアを|閉めた。||記者は|仕方なく|近所の人々に|話を|聞いた。

 一紙だけ、|他とは|違う|見出しを|掲げていた。

「肩幅の|広い男は|どこに?」

 そして|こう|印刷していた。

「今のところ、|デルフォスと|シャボの|有罪を|信じているようだ。||彼らを|弁護する|つもりは|ないが、|客観的な|事実に|立ち返ると、|重要な|証人の|失踪に|疑問を|抱かざるを|得ない。||犯行の|夜、|ゲ・ムーランに|いた|肩幅の|広い|客である。||ウェイターに|よれば|フランス人らしく、|その夜|初めて|最後の|姿を|見せた。||すでに|街を|去ったのか?||警察の|事情聴取を|避けたいのか?」

64 ホテル・モデルヌの支配人 ― 二人の客


「この|手がかりは|無視できないかもしれない。||二人の|若者が|無実だとすれば、|おそらく|この|方向から|真相が|明らかになるだろう。||なお、|予審判事と|緊密に|連携して|捜査を|続ける|デルヴィーニュ警部が、|宿泊施設巡察班と|路上警察に|対し、|ゲ・ムーランの|謎の|客を|発見するために|必要な|指示を|出したと|聞いている」

 新聞は|二時少し|前に|発行された。

 三時に、|赤ら顔の|がっしりした|男が|警察署に|現れ、|デルヴィーニュ氏を|呼んで|言った。


「ポン・ダブロワ通りの|ホテル・モデルヌの|支配人です。||新聞を|読んで、|お探しの|男について|お伝えできると|思い|参りました」


「フランス人ですか?」


「はい。||被害者についても。||普段は|新聞の|噂話は|あまり|気に|しないので、|お伝えするのが|遅くなりました。||えーと、|今日は|何日でしたっけ?||金曜日。||では|水曜日のことです。||犯行は|水曜日でしたね?||私は|おりませんでした。

||ブリュッセルに|商用で。||外国なまりの|強い|客が|来て、|荷物は|豚革の|小さな|カバン|一つだけで、|通りに|面した|大きな|部屋を|頼んで|すぐ|上がりました。||数分後に|別の|客が|隣の|部屋を|取りました。

||普通は|到着時に|宿泊カードを|書いてもらうのですが、|なぜか|そうなりませんでした。||私が|戻ったのは|真夜中。||鍵の|ボードを|見て、『カードは|あるか?』と|レジ係に|聞いたら、『二人の|旅行者の分だけ|ありません。||到着後すぐに|出かけたので』とのこと。||木曜日の|朝、|二人の|うち|一人だけが|戻っていました。||もう一人は|気に|しませんでした。||どこかで|いい|出会いでも|あったのだろうと。||その日の|うちに|その客と|顔を|合わせる|機会は|なく、|今朝|チェックアウトして|出て行ったと|聞きました。||

65 肩幅の広い男は殺人犯か ― 街の捜索


 ||レジ係が|宿泊カードの|記入を|求めると、|彼は|肩を|すくめ|今さら|必要ないと|ぼやいたそうです」


「失礼ですが」|と|警部が|割り込んだ。「それが|肩幅の|広い男の|人相書きと|一致しますか?」


「はい。||旅行鞄を|持って|九時ごろ|出て行きました」



「もう一人は?」


「戻らなかったので、|緊急の|場合のために|備えている|マスターキーで|部屋に|入ってみました。||すると|豚革の|カバンに|刻まれた|名前が|読めた。||エフライム・グラフォプロス。||柳行李で|発見された|男が|うちの|宿泊客だったと|知ったのは|そうして|です」


「つまり、|二人とも|水曜日の|午後、|犯行の|数時間前に、|前後して|到着した。||まるで|同じ|列車から|降りたかのように!」


「はい!||パリ発の|急行です」


「夜も|前後して|出かけた」


「宿泊カードも|書かずに!」


「戻ったのは|フランス人だけで、|今朝|姿を|消した」


「その通りです!||できれば|ホテルの|名前を|公表しないで|ほしいのですが、|気に|する|客も|いますので」


 しかし|同じ|時間に、|ホテル・モデルヌの|ボーイの|一人が|まったく|同じことを|記者に|話していた。||そして|五時に|全紙の|最終版に、

「捜査は|新たな|展開へ。||肩幅の|広い男が|殺人犯か?」

と|あった。

 好天だった。||街の|日当たりの|よい|路地に|生活が|流れていた。||あちこちで|警官が|通行人の|なかから|指名手配の|フランス人を|探していた。||駅では|切符売り場の|係員ごとに|刑事が|張りついて、|旅行者を|頭から|足の|先まで|検分していた。

 ポ・ドール通りでは、|ゲ・ムーランの|向かいで|トラックが|シャンパンの|箱を|降ろしていた。||涼しい|薄暗がりが|支配する|ホールを|通って、|箱は|次々と|地下に|運ばれた。||ジェナロは|シャツ姿で|タバコを|くわえながら|監督していた。||通行人が|立ち止まり、|小さな|戦慄とともに「ここだ!」と|ささやくのを|見ては|肩を|すくめた。

 人々は|えんじ色の|ビロードの|ソファと|大理石の|テーブルしか|見えない|薄暗い|内部を|のぞこうとした。

66好奇心の夜 ― ゲ・ムーランの満員


 九時に|ランプが|灯り、|楽団員が|楽器を|調律した。||九時十五分に|六人の|記者が|バーに|陣取り、|熱心に|議論していた。

 九時半には|ホールが|半分以上|埋まった。||年に|一度も|ない|ことだった。||夜の|店や|ダンスホールに|通う|若者たちだけでなく、|生まれて|初めて|いかがわしい|場所に|足を|踏み入れた|まともな|人々まで|来ていた。

 みんな|見たかったのだ。||誰も|踊らなかった。||店主、|ヴィクトール、|プロの|ダンサーを|代わる代わる|眺めた。||客は|決まって|化粧室へ|向かい、|例の|地下室の|階段を|見物した。


「急いで!||急いで!」|と|ジェナロは|てんてこ舞いの|二人の|給仕に|声を|かけた。


 楽団に|合図を|送り、|ある|女に|小声で|聞いた。


「アデルを|見なかった?||もう|来る|時間だ!」


 アデルこそが|目玉だった。||好奇心旺盛な|客が|一番|近くで|見たがっていたのは|彼女だった。


「気をつけろ!」|と|ある|記者が|同僚の|耳に|ささやいた。「来てるぞ!」


 ベルベットの|仕切り幕の|近くの|テーブルに|座っている|二人の|男を|示した。||デルヴィーニュ警部が|ビールを|飲んでいた。||赤い|口ひげに|泡が|ついていた。||隣で|ジラール刑事が|客を|一人ずつ|じろじろ|見ていた。

 十時に|なると、|雰囲気は|独特だった。||常連客と|一夜の|相手を|探す|旅行者が|集まる|いつもの|ゲ・ムーランとは|違っていた。||特に|記者たちの|存在が、|重罪裁判所の|大裁判と|ガラの|夕べ2を|同時に|思わせる|雰囲気を|作り出していた。

67 アデルの登場 ― マグネシウムの閃光


 同じ|顔ぶれが|いた。||記者だけでなく|コラムニストも。||ある|新聞社の|社長まで|自ら|来ていた。||そして|大きな|カフェで|顔を|合わせる|常連たち、|地方でまだ|そう|呼ばれる|遊び人たち、|きれいな|女たち。

 通りには|二十台ほどの|車が|並んでいた。||テーブルから|テーブルへと|挨拶が|交わされた。||立ち上がって|握手を|配った。


「何か|起きるかな?」


「しっ!||声が|大きい!||あそこの|赤毛が|デルヴィーニュ警部だ。||あの人が|わざわざ|来たということは……」


「アデルは|どれ?||太った|金髪?」


「まだ|来てない!」


 来た。||センセーショナルな|登場だった。||白い|絹の|裏地が|ついた|黒い|サテンの|大きな|コートを|着ていた。||まず|数歩|進んで|立ち止まり、|あたりを|見まわしてから、|無関心に|楽団に|向かい、|指揮者と|握手した。

 マグネシウムの|閃光。||カメラマンが|写真を|撮った。||アデルは|この|人気など|どうでも|よい|ように|肩を|すくめた。


「ポルト酒を|五つ!」


 ヴィクトールと|ジョゼフは|てんてこまい|だった。||テーブルの|あいだを|縫って|動き回った。

 祭りのようだったが、|誰もが|他人を|見るために|来ている|祭りだった。||プロの|ダンサーたちだけが|フロアで|回っていた。


「たいしたことは|ないじゃない!」|と|夫に|初めて|キャバレーに|連れてこられた|女が|言った。「何が|いけないの?」


 ジェナロが|警察官たちに|近づいた。


「失礼します。||ご相談が|あるのですが。||いつものように|ショーを|やったほうが|よいでしょうか?||アデルが|踊る番|なんですが」


 警部は|よそを|向いて|肩を|すくめた。


「申し上げたのは|お邪魔に|ならないかと|思って」


 アデルは|バーで|記者たちに|取り囲まれ、|質問を|受けていた。

68 デルフォス父の登場 ― 銀の口ひげ


「つまり、|デルフォスが|バッグの|中身を|盗んだ。||長い間|愛人だったのですか?」


「愛人じゃ|なかった!」


 明らかに|気まずそうだった。||あらゆる|視線を|浴びるのに|耐えるのが|つらそうだった。


「グラフォプロスと|シャンパンを|飲みました。||あなたの|目には|どんな|タイプの|人に|見えましたか?」


「いい|人よ!||でも|もう|放っておいて」


 クロークへ|行って|コートを|預け、|少し|してから|ジェナロに|近づいた。


「踊るの?」


 ジェナロには|わからなかった。||この|大勢の|客を|少し|不安そうに|眺めた。||押しつぶされそうで|怖いかのように。


「何を|待っているのかしら」


 アデルは|タバコに|火を|つけ、|バーに|肘を|ついて、|記者たちが|次々と|聞いてくる|質問に|答えずに|遠い|目を|した。

 太った|おしゃべり女が|大声で|言った。


「レモネード一杯に|十フランも|取るなんて|馬鹿げてる!||見る|ものも|何も|ないじゃないの!」


 しかし|見る|ものが|あった。||ただし|この|ドラマの|登場人物を|知っている者にとってだけ。||赤い|制服の|クロークの|係が|仕切り幕を|持ち上げると、|銀の|口ひげを|たくわえた|五十歳前後の|男が|現れ、|これほどの|人だかりに|驚いた。

 引き返そうと|した。||しかし|視線が|彼を|見つけて|隣に|肘打ちを|くれた|記者と|目が|合った。||それで|タバコの|灰を|払いながら|さりげない|ふりを|して|入ってきた。

 堂々たる|風采だった。||見事に|エレガントな|服装だった。||贅沢な|生活にも|夜の|社交界にも|慣れた|男と|いう|雰囲気が|漂っていた。

 まっすぐ|バーへ|向かい、|ジェナロに|目を|つけた。


「あなたが|この|店の|主人?」


「はい」


「デルフォスと|申します。||息子が|お世話に|なったようで」


「ヴィクトール!」

69

メグレの登場 ― 全員の視線


 ヴィクトールが|駆けつけた。


「ルネ坊ちゃんの|お父様が、|息子さんの|ツケを|聞いています」


「帳簿を|見ますので|少々。||ルネ様だけですか、|それとも|お友達と|一緒ですか?||えーと|……|百五十と|七十五。||それに|十と|昨日の|百二十」


 デルフォス氏は|千フラン紙幣を|差し出し、|ぶっきらぼうに|言った。


「全部|取っておけ!」


「ありがとうございます!||何か|一杯|いかがですか?」


 しかし|デルフォス氏は|誰にも|目もくれず|出口へ|向かっていた。||知らない|警部の|そばを|通り抜け、|仕切り幕を|くぐる|瞬間に|入ってきた|別の|男と|すれ違ったが、|気にも|留めずに|車に|戻った。

 しかし|それこそが|その夜の|最大の|出来事だった。||入ってきた|男は|背が|高く、|肩幅が|広く、|どっしりした|顔に|落ち着いた|目を|していた。

 ドアを|見張り続けていたのか、|最初に|気づいたのは|アデルだった。||目を|見開き、|すっかり|動揺した。

 新たな男は|まっすぐ|彼女に|向かい、|太い|手を|差し伸べた。


「先日の夜以来、|お元気でしたか?」


 アデルは|笑みを|浮かべようとした。


「ありがとう!||あなたは?」


 記者たちが|彼を|見ながら|ひそひそ|言った。


「あいつで|間違いないか?」


「今夜|ここに|来るわけが|ない!」


 まるで|挑戦するかのように、|男は|ポケットから|灰色の|タバコの|袋を|取り出して|パイプに|詰め|始めた。


「ペール・エールを|一つ!」|と|山と|積んだ|盆を|持って|通り過ぎる|ヴィクトールに|声を|かけた。


 ヴィクトールは|頷いて|歩き続け、|二人の|警官の|そばを|通りながら|素早く|ささやいた。


「あいつです!」


 いつの間に|広まったのか。||一分後には|全員の|視線が|肩幅の|広い男に|注がれていた。||バーの|高い|スツールに|片足を|かけ、|もう一方の|足を|ぶらつかせながら、|曇った|グラス越しに|客を|眺めつつ、|イングリッシュ・ビールを|ちびちびと|飲んでいた。

70


三度も|ジェナロは|指を|鳴らして|ジャズに|新しい|曲を|始めさせなければ|ならなかった。||そして|その|職業|ダンサー自身も|磨かれた|床で|パートナーを|導きながら|目を|その男から|離さなかった

警部デルヴィーニュと|刑事は|小さな|合図を|交わしていた。||記者たちが|彼らを|見守っていた


「行くか?」


二人は|同時に|立ち上がり|気だるい|足取りで|バーの|方へ|向かった

赤い|口髭の|警部は|その男の|前に|肘を|ついた。||ジラールは|後ろに|回り|取り押さえる|用意を|した

音楽は|止まらなかった。||それでも|誰もが|異様な|静けさを|感じていた


「失礼|あんた|オテル・モデルヌに|泊まってるな?」


重たい|視線が|話しかけた|者に|向けられた


「それで?」


「宿帳の|記入を|忘れてる|ようだな」


アデルは|三歩ほどの|距離に|いて|見知らぬ|男を|じっと|見据えていた。||ジェナロは|シャンパンの|瓶の|栓を|飛ばした


「差し支えなければ|事務室で|記入してもらいたい|騒ぎは|起こすな」


警部デルヴィーニュは|相手の|顔つきを|見つめながら|なぜ|自分が|圧倒されるのか|分からずにいた


「来るな?」


「ちょっと|待て」


男は|ポケットに|手を|入れた。||刑事ジラールは|拳銃を|取り出すと|思い込み|軽率にも|自分のを|引き抜いた

何人かが|立ち上がった。||女が|一人|悲鳴を|上げた。||だが|男は|ただ|小銭を|取り出す|だけで|それを|バーに|置いて|こう|言った


「行く」


退出は|とても|静かとは|言えなかった。||拳銃が|見えた|ために|客たちは|怯え|そうでなければ|おそらく|道を|作った|だろう。||警部が|先頭を|歩き|その後に|男|さらに|ジラールが|続いた|彼は|自分の|失態で|顔を|真っ赤に|していた

71


マグネシウムが|ぱっと|閃光を|放った。||一人の|写真師が|発光させたのだ。||戸口の前には|車が|待っていた。


「どうぞ|お乗りください…」


警察署の|事務所までは|わずか|三分の|道のりだった。||夜勤の|刑事たちは|ピケ3を|しながら|近くの|カフェから|取り寄せた|ビールを|飲んでいた。

男は|まるで|自分の|家に|入るように|中へ|入った。||山高帽を|脱ぎ、|顔の|膨れた|輪郭に|よく|似合う|太い|パイプに|火を|つけた。


「身分証は|あるか?」


デルヴィーニュは|いら立っていた。||この件には|気に入らない|何かが|あるのに、|それが|何なのか|分からなかった。


「まったく|ない4


「オテル・モデルを|出たとき、|荷物は|どこへ|置いた?」


警部の|鋭い|視線が|向けられた。||しかし|すぐに|揺らいだ。||相手が|子供のように|楽しんでいる|気がしたからだ。


「知らない」


「氏名、|名、|職業、|住所…」


「隣が|君の|部屋か?」


そこには|小さな|事務室へ|通じる|扉が|見えた。||中は|無人で、|明かりも|ついていなかった。


「それで?」


「来い」


先に|入ったのは、|あの|肩幅の|広い|男だった。||スイッチを|ひねり、|扉を|閉めた。


「パリ司法警察の|警部、|メグレだ」と、|彼は|言い、|パイプを|小刻みに|くゆらせた。
「さて、|警部さん、|今夜は|いい仕事を|したと|思うぞ。||それに|ずいぶん|見事な|パイプだな!」

  1. シャボ家の住所はロワ通り五十三番地です。
    新聞記者がすでにシャボ家の外観を撮影して紙面に掲載したということです。
    当時の犯罪報道の慣習で、容疑者の自宅を写真付きで報道することは珍しくありませんでした。近所中に知れわたることを恐れていたシャボ夫人の不安が、まさに現実になった場面です。
    ↩︎
  2. ガラの夕べ「soirée de gala」は、特別なイベントの夜・祝典の夕べという意味です。
    フランス語の「gala」は日本語でも「ガラ」として定着しており、オペラの特別公演や慈善パーティーなど、華やかで格式ある特別な催しを指します。
    この場面でシムノンが「重罪裁判所の大裁判と|ガラの夕べを|同時に思わせる」と書いたのは、ゲ・ムーランの異様な雰囲気を皮肉を込めて表現しています。殺人事件の舞台となった怪しいキャバレーが、野次馬と記者で埋まり、まるで裁判の傍聴席のような緊迫感と、特別な夜の興奮が同時に漂っている、という意味です。
    ↩︎
  3. ピケとは、フランス語の piquet に由来する二人用のトランプゲームで、主に十八世紀から十九世紀にかけてヨーロッパで広く親しまれていた遊びです。三十二枚のカードを使い、記憶や計算、手の読みといった要素が求められるため、騒がしく楽しむものというよりは、落ち着いた室内で静かに行われる知的な娯楽とされています。
    この場面では、夜勤の刑事たちがそのピケをしながらビールを飲んでいると描かれています。つまり、彼らは緊張した捜査に集中しているのではなく、比較的気の抜けた時間を過ごしている状態にあります。重大な出来事が進行している一方で、警察署の内部にはこうした日常的で弛緩した空気が流れていることが示されており、場面の対照が強調されています。
    ↩︎
  4. この場面では、メグレはあえて自分の正体を明かさない状態を維持する必要があったため、身分証の提示を拒んでいます。
    直前のやり取りで彼自身がはっきり言っている通り、メグレは「本当に逮捕されたように見せる」ことを意図しています。つまり、周囲――とくに現場の刑事や関係者――に対しても、その逮捕が演出ではなく現実の出来事として受け取られなければならない状況を作ろうとしているわけです。
    したがってメグレは、デルヴィーニュにだけ最終的に正体を明かすものの、それまでは徹底して「身元不明の男」として振る舞い続けます。この身分証の拒否は、その演出を崩さないための一貫した行動です。
    ↩︎