3
三時ごろに|パリを|発ったとき、|秋の|終わりの|冷たい|日ざしの|中で、|人の|群れは|まだ|忙しくなく|動いていた。||それから、|マントの|あたりで、|コンパートメントの|ランプが|ともった。||エヴルーを|過ぎるころには、|外は|すっかり|暗くなっていた。||そして|今は、|曇った|窓ガラスを|水の|しずくが|流れ、|その向こうに、|線路の|灯を|おぼろげにする、|深い霧が|見えていた。
隅に|深く|腰を|落ち着け、|首の|後ろを|座席の|背もたれに|預けて、|メグレは、|半ば|目を|閉じたまま、|目の前に|いる、|互いに|まるで|違う|二人を、|なんとなく|見つめつづけていた。

ジョリス船長は|眠っていた。||あの|見慣れた|頭の上で、|かつらが|斜めに|ずれ、|スーツは|しわだらけだった。
ジュリーは、|クロコダイル模様の|合皮のバッグに|両手を|置き、|疲れているのに、|考えごとを|しているような|姿勢を|保とうとしながら、|どことも|知れない|一点を|見つめていた。
ジョリス!||ジュリー!
パリ司法警察の|メグレ警部は、|こんなふうに|人が|風のように|自分の|暮らしへ|入り込み、|何日も、|何週間も、|あるいは|何か月も|付き合わされた|挙句、|そのあと|また|名もない|人混みの|中へ|沈んでいくのを|見ることに|慣れていた。
車輪の|音が、|彼の|思いを|刻んでいく。||それは、|どの|捜査の|始まりでも|同じ|思いだった。||今度の|出来事は、|興味深いものものに|なるのか、|平凡なものに|なるのか、|胸糞悪いものに|なるのか、|それとも|悲劇的なものに|なるのか?
メグレは|ジョリスを|見ていた。||その|唇には、|かすかな|笑みが|浮かんでいた。||妙な|男だ!||というのも、|五日の|あいだ、|オルフェーヴル河岸では、|名前を|つけようが|なかったために、|彼は|「あの男」と|呼ばれていたのだ。
4
大通りで|拾われた|男だった。||バスや|車の|あいだを、|おびえたように|行ったり|来たりしていたからだ。||フランス語で|たずねても、|返事は|ない。||七つか|八つの|ことばを|試しても、|だめだった。||耳の|聞こえない|人や|口の|きけない|人の|手話も、|彼には|何の|ききめも|なかった。

気が|おかしいのか?||メグレの|部屋で、|彼の|持ちものを|調べた。||スーツは|新しく、|シャツも|新しく、|靴も|新しかった。||仕立屋や|シャツ屋の|しるしは、|すべて|はぎ取られていた。||身分証明は|ない。||財布も|ない。||ポケットの|一つに、|千フラン札が|五枚、|きれいに|入っていた。
これ以上ない|神経の|すりへる|取り調べだった!||前科者台帳を|調べ、|身体測定記録を|調べた。||フランス国内にも、|外国にも、|電報を|打った。||それでも|「あの男」は、|疲れきるほどの|問いかけにも|かかわらず、|朝から|晩まで、|人なつこく|ほほえんでいた!
五十歳ほどの|男。||足は|短く、|肩は|広い。||文句も|言わず、|騒ぎも|せず、|ほほえみ、|ときどき|思い出そうと|しているように|見えるが、|すぐに|あきらめてしまう。
記憶を|なくしたのか?||かつらが|頭から|ずれ、|頭が|銃弾で|割られていたことが|わかった。||それも、|せいぜい|二か月前の|ことだった。||医者たちは|感心した。||これほど|うまく|手当てされた|例は、|めったにないと|いうのだ!
また|病院や|診療所へ|電報を|打った。||フランス、|ベルギー、|ドイツ、|オランダへ。
五日間、|細かい|手がかりを|追いつづけた。||服の|しみや、|ポケットの|ほこりを|調べて、|妙な|結果も|出た。

タラの|卵の|くずが|見つかった。||つまり、|タラの|卵を|干して|粉に|したものだ。||それは|ノルウェー北部で|作られ、|イワシを|おびき寄せる|えさに|使われる。
「あの男」は|そこから|来たのか?||スカンジナビア人なのか?||いくつかの|手がかりから、|彼が|鉄道で|長い|旅を|してきたことは|わかった。||だが、|話も|せず、|すぐに|人目を|引く|あの|ぼんやりした|様子で、|どうやって|一人で|旅を|してこられたのか?
彼の|写真が|新聞に|載った。||ウイストルアム1から|電報が|届いた。
身元不明者、|身元判明!

5
電報の|あとを|追うように、|一人の|女が|やって来た。||いや|むしろ、|娘といった|年頃で、|メグレの|部屋に|現れたとき、|やつれた顔で、|口紅も|おしろいも|下手に|塗りたくっていた。||ジュリー・ルグラン、|「あの男」の|女中だった!

男は、|もう|「あの男」では|なかった!||名前が|あった。||身元が|あった!||イーヴ・ジョリス。||もと|商船の|船長で、|ウイストルアムの|港湾長だった。
ジュリーは|泣く!||ジュリーには|わからない!||ジュリーは、|彼に|話してくれと|頼みこむ!||けれど|彼は、|だれを|見るときとも|同じように、|やさしく、|おだやかに|彼女を|見ている。
ジョリス船長は、|九月十六日に、|ウイストルアムから|姿を|消していた。||そこは、|トルーヴィルと|シェルブールの|あいだに|ある、|はるか向こうの|小さな|港だった。||今は|十月の|終わりだ。
その|消息不明の|六週間、|彼は|どうしていたのか?

「いつものように、|水門作業の|見回りに|行きました。||夜の潮の|作業2でした。||私は|寝ました。||次の朝、|あの方は|部屋に|見えませんでした。||それで、|霧の|せいで、|ジョリスは|足を|すべらせて、|水に|落ちたのだろうと|思われました。||引っかけ錨を|使って|探しました。||そのあと、|家出だろう|という話に|なりました」

「<リジウー>!||三分|停車!」
メグレは、|足を|のばしに|ホームへ|出て、|新しい|パイプに|たばこを|詰めた。||パリから|ずっと|吸いつづけていたので、|車室の|空気は|すっかり|白く|霞んでいた。
「ご乗車ください!」
ジュリーは、|その|あいだに、|パフで|鼻の|先を|軽く|たたいていた。||泣いた|あとで、|目は|まだ|少し|赤かった。
奇妙なものだ!||きれいに|見えるときが|ある。||とても|洗練されて|見えるときも|ある。||ところが|別のときには、|なぜだか|わからないまま、|垢抜けない|小さな|田舎娘を|感じさせる。
彼女は、|船長の|頭の|かつらを|まっすぐに|直した。||彼女の『旦那さま』である。||そして|メグレを|見る|その|顔つきは、|『この方の|お世話を|するのは、|私の|権利では|ありませんか?』と|言っているようだった。

というのも、|ジョリスには|家族が|なかった。||もう|何年も|前から、|彼は|ひとりで、|ジュリーと|暮らしていた。||彼は|彼女を|家政婦と|呼んでいた。

「あの方は、|私を|娘のように|扱ってくださいました」
6
そして|ジョリスには、|敵は|一人も|いない!||色恋沙汰も|ない!||道楽も|ない!
三十年も|海を|渡り歩いた|男で、|何も|しない|暮らしには|どうしても|なじめなかった。||そこで、|引退した|身で|ありながら、|ウイストルアムの|港湾長の|職を|願い出た。||小さな|家も|建てさせた。
そして、|九月十六日の|ある|晩、|彼は|消息が|わからなくなり、|六週間後に|パリで、|この|ありさまで|現れたのだった!
ジュリーは、|彼が|既製品の|灰色の|スーツを|着ているのを|見て、|がっかりしていた!||彼女は、|彼の|船長らしい|制服姿しか|見たことが|なかったのだ。
彼女は|神経質で、|落ち着きが|なかった。||船長を|見るたびに、|その顔には、|いとおしさと、|漠然とした|恐れ、|どうにも|しずめられない|不安が、|同時に|浮かぶ。||たしかに|彼だ!||たしかに|彼女の|『旦那さま』なのだ。||しかし、|同時に、|もはや|まったく|彼では|ない。

「治りますよね?||私が|お世話します」
そして|窓ガラスの|曇りは、|にごった|大きな|しずくに|変わっていった。||メグレの|ずんぐりした|顔が、|列車の|揺れのせいで、||右から左へ、|左から右へと、|小さく|揺れる。||落ち着いた|様子で、|彼は|二人を|絶え間なく|観察していた。||「三等で|十分だったんですけどね、|いつもそうしてますから」と言った|ジュリーと、|そして|目を|覚ましたものの、|ただ|ぼんやりした|目を|まわりに|向けるだけの|ジョリス。
また|カーン3で|停車した。||その|次が|ウイストルアムだった。
「千人ほどの|村ですよ」と、|その|土地の|生まれの|同僚が、|メグレに|言った。||「港は|小さいですが、|大事な|港です。||入り江と|カーンの|町を|結ぶ|運河が|ありますからね。4||五千トン以上の|船も|そこを|通ります」
メグレは、|その場所を|頭の中で|思い描こうとは|しない。||そういう遊びは、|かならず|裏切られると|わかっている。||彼は|待っているのだ。||そして|その目は、|まだ|赤みの|残る|傷あとを|隠している|かつらへ、|たえず|向いていた。
姿を|消したとき、|ジョリス船長には|濃く|しっかりした|髪が|あった。||とても|黒く、|せいぜい|こめかみに|白いものが|まじる程度だった。||それもまた、|ジュリーを|がっかりさせる|原因でもあった!||彼女は、|髪の毛のない|頭を|見たくないのだ!||だから、|かつらが|ずれるたびに、|急いで|元に|戻した。

「つまり、|誰かが|殺そうと|したわけだ」
7
撃たれたのは|事実だ!||だが、|驚くほど|見事に|手当ても|されている!
彼は|金を|持たずに|出ていった。||ところが、|見つかったときには、|ポケットに|五千フランが|入っていた。
妙なことは|さらに|ある!||ジュリーが|ふいに|バッグを|開いた。

「忘れていました。||旦那さまの|郵便物を|持ってきたんです」

ほとんど|何も|なかった。||船舶用品の|店のちらし。||商船船長組合の|会費の|領収書。||まだ|現役の|友人たちからの|絵はがきが|何枚か。||その中には、|プンタ・アレナス5からのものが|一枚|あった。
カーンの|ノルマンディー銀行からの|手紙が|一通。||印刷された|用紙で、|空いた|ところは|タイプで|埋められていた。
……ハンブルクの|オランダ銀行を|通じて|送金された|三十万フランを、|あなたの|口座一四一七三に|入金したことを、|ここに|お知らせいたします……
しかも|ジュリーは、|船長は|金持ちでは|ないと、|もう|十回も|くり返していた!||メグレは、|向かいに|座る|二人を|代わる代わる|見ていた。
タラの|卵。||ハンブルク。||ドイツで|作られた|靴。
そして、|すべてを|明らかに|できるのは、|ジョリスだけだ!||その|ジョリスは、|メグレが|自分を|見ているのに|気づいて、|人の|よさそうな|笑みを|少し|浮かべている!
「カーン!||シェルブール行きの|お客様は|そのまま|ご乗車ください。||ウイストルアム、|リオン・シュル・メール、|リュック行きの|お客様は」
七時だった。||空気の|湿りが|ひどく、|ホームの|ランプの|光は、|乳のように|白い|霧の中を、|かろうじて|抜けるだけだった。

「これから|乗り物は|何が|ある?」

人波に|揉まれながら、|メグレが|ジュリーに|たずねた。

「もう|ありません。||冬は、|小さな|列車が|一日に|二回しか|走らないんです」
駅前には|タクシーが|いる。||メグレは|腹が|減っていた。||向こうで|何が|食べられるか|わからなかったので、|駅の|食堂で|夕食を|とることに|した。
ジョリス船長は|相変わらず|おとなしかった。||自分を|導く|人たちを|信じている|子どものように、|出された|ものを|食べていた。
8
鉄道の|係員が、|しばらく|テーブルの|まわりを|歩き、|彼を|見つめてから、|メグレに|近づいた。


「ウイストルアムの|港湾長では|ありませんか?」
そして|人差し指を|額のところで|くるくると|回した。||そうだと|わかると、|彼は|ひどく|感じ入った|様子で|離れていった。||ジュリーのほうは、|目の前の|こまごましたことに|気を取られている。

「こんな|夕食で|十二フランですって。||しかも|バターも|使っていないのに!||まるで|家に|着いてからは|食べられなかったみたい」
同じとき、|メグレが|考えていることは、

『頭に|一発。||三十万フラン』
そして|鋭い目で、|ジョリスの|無邪気な|目の奥を|深く|探っているのだが、|その|口元には、|険しい|しわが|寄っていた。

やって来た|タクシーは、|昔は|金持ちの|専用車だった|古い車だ。||座席の|クッションは|へたり、|つなぎ目は|ぎしぎし|鳴った。||補助席は|壊れていたので、|三人は|奥の|席に|ぎゅうぎゅうに|詰めこまれた6。||ジュリーは|二人の|男の|あいだに|はさまれ、|両側から|かわるがわる|押しつぶされている。

「庭の入り口に|鍵を|かけたかどうか|今|気になっているんです!」と|彼女はつぶやく。
家に|近づくに|つれて、|家事のことを|思い出し|心配になったのだ。
そして、|町を|出ると、|車は|文字どおり|霧の壁に|突っこんだ。||馬と|荷車が、|わずか|二メートル|先に|ふっと|現れた。||幽霊の霊、|幽霊の幽霊!||道の両側を|過ぎていくのも、|幽霊の木、|幽霊の家だ。

運転手は|速度を|落とした。||時速|十キロほどで|走ったが、|それでも|自転車が|霧の中から|飛び出してきて、|車の|泥よけに|ぶつかった。||車は|止まった。||けれど|相手に|けがは|なかった。
車は|ウイストルアムの|村を|通り抜けた。||ジュリーは|窓を|下げた。

「港まで|行って、|跳ね橋を|渡ってください。||灯台の|すぐ横の|家で|止めてください」

村と|港の|あいだには、|一キロほどの|さびしい|一本道が|続いている。||道は、|ガス灯の|青白い|ほたるのような|光で|かろうじて|浮かび上がっている。||橋の角に、|明かりのついた|窓が|あり、|物音が|していた。
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「ラ・ビュヴェット・ド・ラ・マリーヌ、|海軍食堂です」と、|ジュリーが|言った。
「港の|人たちは、|たいてい|あそこに|います」
橋を|越えると、|道は|ほとんど|道とは|いえなかった。||道は、|オルヌ川7の|岸を|なす|沼地の|中へ|消えていくようだ。
そこには|灯台と、|庭に|囲まれた|二階建ての|家が|あるだけだ。||車が|止まった。||メグレが|連れの|男を|見ていると、|彼は|当たり前のように|車を|降り、|門のほうへ|向かっていく。


「ご覧に|なりましたか、|警部さん!」と、|ジュリーが|喜びに|息をはずませて|叫んだ。
「家が|わかったんです!||きっと|最後には|すっかり|正気に|戻ります」
そして|彼女は|鍵を|鍵穴に|差しこみ、|きしむ|門を|押し開け、|砂利を|敷いた|小道を|進んだ。||メグレは|運転手に|金を|払い、|すぐに|彼女に|追いついた。||車が|去ると、|もう|何も|見えない。

「マッチを|すって|いただけませんか。||鍵穴が|見つかりません」
小さな|炎。||扉が|押し開けられた。||黒いものが|通りすぎ、|メグレの|足元を|かすめた。||ジュリーは|すでに|廊下で|電気の|スイッチを|ひねり、|床を|不思議そうに|見て、|つぶやいた。


「今|出ていったのは、|たしかに|猫でしたよね?」
そう|言いながら、|彼女は|慣れた|手つきで|帽子と|外套を|脱ぎ、|それを|壁のフックに|掛け、|台所の|扉を|押し開ける。||そこで|明かりを|つけたことで、|彼女は|気づかぬうちに、|この家の|人たちが|いつもいるのは|この部屋だと|教えていた。
明るい|台所だった。||壁には|陶器の|タイルが|張られ、|砂で|磨いた|白木の|大きな|テーブルが|あり、|銅製の|調理道具が|輝いている。||そして|船長は、|何も|考えずに|体が|覚えているように、|ストーブの|そばの|籐椅子に|腰を|下ろした。

「でも、|出かけるとき、|いつものように|猫を|外へ|出したのは|たしかなんですが」
彼女は|ひとり言を|言った。||不安なのだ。

「ええ、|たしかに|そうです。||扉は|どれも|ちゃんと|閉まってます。||ねえ!||警部さん、|私と|一緒に|家のまわりを|見ていただけませんか。||怖いんです」

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そのため|彼女は|先に|進んでいくことさえ|ためらうほどだ。||彼女は|食堂を|開けた。||そこは、|非の打ちどころなく|整頓され、|ワックスで|磨き抜かれた|寄せ木作りの|床と|家具は、|この部屋が|一度も|使われていないことを|物語っている。

「カーテンの|後ろを|見て|いただけますか?」

そこには|アップライトピアノと、|中国の漆塗りと、|ジョリス船長が|極東から|持ち帰ったに|違いない|磁器製品が|あった。
つぎは|客間。||そこも|同じように|整然として、|買った店の|ショーウインドーに|並んでいのと|同じような|状態だ。||船長は|満足げに、|ほとんど|うっとりした|様子で|ついてきた。||赤い|じゅうたんを|敷いた|階段を|上がる。||寝室は|三つあり、|そのうちの|一つは|使われていない。

そして|どこも|清潔で|細かく|行きとどいて|整然としており、|田舎と|台所の|心地よい|香りが|漂っている。
誰も|隠れていない。||窓は|きちんと|閉まっている。||庭の出入り口も|閉まっているが、|鍵は|外側に|差したままだ。

「猫は|換気口から|入ったんだろう」と、|メグレが|言った。

「そんなものは|ありません」
二人は|台所へ|戻った。||彼女は|戸棚を|開けた。

「何か|少し|お飲みになりますか?」
そして、|そうやって|いつものように|行き来する中で、|花模様の|ごく|小さな|グラスに|お酒を|注いでいると、|彼女は|自分の|悲しみを|いちばん|強く|感じ、|泣き崩れた。

彼女は|籐椅子に|腰を|下ろした|船長を、|そっと|気づかれないよう|見る。||その姿が|あまりに|つらく、|彼女は|顔を|そむけ、|考えを|そらそうとして|つかえながら|言った。

「お客さまの|部屋を|ご用意します」
その言葉は|すすり泣きで|とぎれとぎれだった。||彼女は|壁から|白い|エプロンを|外し、|目を|ぬぐった。


「私は|ホテルに|泊まる。||一軒くらいは|あるだろう」
彼女は|縁日で|もらえるような|陶器の|小さな|置き時計を|見た。||その|チクタクいう|音は、|この家を|守り続ける|神様の|一つのようだ。

「ええ!||この時間なら、|まだ|誰か|いるはずです。||水門の|向こう側です。||さっき|ご覧になった|酒場の|すぐ裏です」
それでも|彼女は、|彼を|引き止めようと|している。||もう|見ることも|できない|船長と|二人きりに|なるのを|怖がっているようだった。
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「家の中に|誰も|いないと|思いますか?」

「ご自分で|確かめたでしょう!」

「明日の|朝、|また|来てくださいますか?」
彼女は|メグレを|玄関まで|送り、|扉を|すばやく|閉めた。||メグレは|自分の|足元さえ|見えない|濃い霧の中へ|足を|踏み入れた。||それでも|出入り口を|見つけた。||草の上を|歩いているのが|わかり、|次に|道の|小石の上を|歩いている。||そのとき、|遠くから|叫び声のような|音が|聞こえたが、|それが|何か|分かるまでには|かなり|時間が|かかった。
牛の|鳴き声に|似ていた。||けれども|もっと|さびしく、|もっと|悲しい|音だった。

「ばかめ」と、|メグレは|舌打ちしながら|つぶやいた。
「ただの|霧笛じゃないか」

方角が|よく|わからない。||自分の足の|真下に、|煙を|立てているような|水が|見える。||彼は|水門の|壁の上に|いた。||どこかで|ハンドルが|きしむ|音が|聞こえる。||車で|水の上を|横着った|場所が|思い出せない。||細い|通路を|見つけ、|そこへ|踏み出そうとした。
「気をつけろ!」
驚いた!。||声は|すぐ近くから|聞こえた。||完全に|ひとりきりだと|感じていたのに、|三メートルも|離れていない|ところに|男が|いた。||目を|凝らして|ようやく、|その|シルエットが|わかるほどだ。
メグレは|すぐに|警告の|意味を|理解した。||彼が|踏み出そうとした|通路が|動いていた。||それは|まさに|開かれようとしている|水門の|扉だった。||そして|光景は|さらに|幻想的に|なった。||すぐ近く、|数メートル先に|現れたのは、|もはや|人間ではなく、|家ほどの|高さの|本物の|壁だった。||その|壁の上には、|霧で|滲んだ|灯りが|見える。

大型船が|警部の|手の|届くほど|近くを|通っている!||太い|もやい綱が|そばに|落ち、|誰かが|それを|拾い、|係船ビットまで|運んで、|そこへ|掛けた。
「後ろへ下がれ!||危ないぞ!」と、|蒸気船の|ブリッジの上から|声が飛ぶ。
数秒前まで、|すべては|死んだようで、|人気も|なかった。||ところが|今、|水門沿いを|歩く|メグレは、|霧の中が|人影で|満ちていることに|気づいた。||誰かが|ハンドルを|回していた。||別の|男が|二本目の|もやい綱を|持って|走っている。||税関の|役人たちは|乗船用の|タラップが|岸壁に|渡されるのを|待っている。
何も|見えないまま、|口髭に|真珠のような|しずくを|つける|湿った|雲のような|中で、|すべてが|行われている。

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「通りますか?」
声は|メグレの|すぐ|そばだった。||別の|水門の|扉だった。

「急いでください。||そのあとだと、|十五分は|待つことになります」

メグレは|手すりに|つかまりながら|渡った。||足の|下で|水が|泡立つ|音が|聞こえ、|遠くでは|相変わらず|霧笛が|鳴っている。||進めば|進むほど、|この|霧の世界で|覆われ、|見知らぬ世界の|生活の|気配が|激しく|ひしめいている。||一点の|灯りが|彼を|引き寄せた。||近づくと、|岸に|つながれた|小舟の中に|漁師が|いて、|竿で|支えた|大きな網を|下ろしたり|上げたりしていた。
漁師は|興味も|なさそうに|メグレを|見て、|かごの中の|小魚を|より分けはじめた。

大型船の|周りでは、|霧が|少し|晴れて|明るくなり、|人の|行き来が|見分けられた。||デッキでは|英語が|話されていた。||岸壁の端では、|金の飾りの|制帽を|かぶった|男が、|書類に|目を|通していた。

港湾長だ。||今、|ジョリス船長の|代わりをしている|男だ。
やはり|小柄な|男だったが、|もっと|やせていて、|もっと|せわしなく|動き、|船の|乗組員たちと|冗談を|交わしていた。
つまり、|この世界は、|いくらか|明るい|数メートル四方と、|その周りの|黒い|大きな|穴に|集約できる。||そこには|固い地面と|水が|あるらしいと|わかるだけだ。||海は|はるか向こう、|左手に|あり、|かすかに|音を|立てているだけだった。
ジョリスが|ふいに|姿を|消したのも、|まさに|これと|同じような|夜では|なかったのか。||彼は|この同僚と|同じように|書類に|目を|通していた。||きっと|冗談も|言っていた。||水門を|通す|作業や、|船の|動きを|見守っていた。||彼は|目で|見る|必要など|なかった。||聞き慣れた|いくつかの|音だけで|十分だった。||ここでは|誰ひとり、|自分が|歩いている|場所など|見ていないのと|同じように!
火を|つけたばかりの|パイプを|くわえた|メグレは、|顔を|しかめた。||自分が|ぎこちなく|感じるのが|嫌だからだ。||海に|関わるものに|いちいち|おびえたり|驚いたりする、|陸の人間である|自分の鈍さが|腹立たしかった。
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水門の|扉が|開いた。||船は|パリの|セーヌ川より|少し|狭い|運河へ|入っていった。

「失礼!||あんたが|港湾長か?||司法警察の|メグレ警部だ。||あんたの|同僚を|連れて来ている」

「ジョリスが|ここに?||では、|やはり|本人なんですね?||今朝、|その話は|聞きました。||しかし、|本当に|あの人は」
指先で|額に|触れる|小さな|しぐさ。

「今のところは、|そういうことだ。||あんたは|一晩じゅう|港に|いるか?」

「一度に|五時間を|超えることは|ありません。||つまり、|満潮の頃だけです!||満潮ごとに|五時間、|船が|運河へ|入ったり、|海へ|出たり|できるだけの|水深になります。||時刻は|毎日|変わります。||今日は|始まったばかりで、|午前三時まで|続きます」
その男は|とても|率直だ。||つまり|自分と|同じ|役人ということで、|メグレを|同僚のように|扱っている。

「ちょっと|失礼」
彼は|何も|見えない|沖の|方を|見た。||それなのに、|こう|言った。

「ブローニュの|帆船です。||扉が|開くのを|待って、|杭に|つながれています」

「船は|前もって|知らされるのか?」

「たいていは。||とくに|蒸気船は|そうです。||ほとんどが|決まった|航路で、|イギリスから|石炭を|運び、|カーンからは|鉱石を|積んで|出ていきます」

「何か|飲みに|行かないか?」と、|メグレが|誘った。

「満潮が|終わるまでは|だめです。||ここに|いなければ|なりません」
そして|彼は、|見えない|男たちへ|命令を|叫んだ。||彼らの|正確な|居場所を|知っているのだ。

「あなたは|捜査を|担当しているのですか?」
村の方から|足音が|してきた。||一人の男が|水門の|扉の上を|通り、|ランプの|一つに|照らされた|瞬間、|猟銃の|銃身が|見えた。


「あれは|誰だ?」

「村長です。||カモ猟に|行くところです。||オルヌ川に|隠れ小屋を|持っています。||手伝いの者は、|もう|あちらで|夜の|準備を|しているはずです」

「ホテルは|開いていると|思うか?」
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「ユニヴェール・ホテルなら、|開いています!||でも、|急いでください。||主人は|もうすぐ|カード遊びを|終えて、|寝てしまいます。||そうなったら、|いくら|頼まれても|起きません」

「では、|明日」と、|メグレは|言った。

「ええ!||十時には|港に|います。||満潮の頃です」

二人は|まだ|互いを|知らないまま、|握手を|した。||そして|霧の中では|人間の|活動が|続いている。||そこでは|見えなかった|男に、|急に|ぶつかるのだ。
それは|正確に言えば|不気味なわけでは|ない。||それとは|別のもの、|ぼんやりした|不安、|胸を|しめつける|思い、|息苦しさ。||自分が|よそ者である|知らない|世界が、|自分の|まわりで|自らの|活動を|続けているという|感覚だ。
見えない|人間たちで|満たされた|この暗がり。||たとえば、|順番を|待っている|あの|帆船も、|すぐ近くに|いるのに、|気配さえ|わからない。
メグレは|ランタンの下で|動かずに|いる|漁師のそばを|また|通った。||何か|言いたくなった。

「釣れるか?」
相手は|水の中へ|唾を|吐いただけだった。||メグレは|そんな|くだらないことを|言った|自分に|腹を立てながら、|遠ざかった。

ホテルへ|入る前に|彼が|最後に|聞いたのは、|ジョリス船長の|家の|二階で、|雨戸が|閉まる|音だった。
怖がっている|ジュリー!||家に|入った|そのとき、|逃げ出した|猫!

「この|霧笛は|一晩じゅう|鳴っているのか?」と、|ホテルの|主人を|見つけた|メグレは、|苛立たしそうに|ぼやいた。


「霧がある|あいだは|ずっと。||慣れますよ」
落ち着かない|眠りだった。||まるで|胃もたれを|したときのような、|また、|子どものころ、|大きな|イベントを|待っていたときのような|そんな|眠りだった。||二度、|彼は|起き上がり、|冷たい|窓ガラスに|顔を|押しつけたが、|見えたのは|人けのない|道と、|雲を|突き破ろうと|しているような|灯台の|動く|光の|筋だけだった。||霧笛は|相変わらず|いっそう|激しく、|いっそう|攻撃的に|鳴っていた。

最後に|彼が|時計を|見ると、|四時だった。||背に|籠を|負った|漁師たちが、|木靴の|大きな|音を|立てながら、|港の方へ|歩いていった。
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ほとんど|間を|置かず、|あわただしく|扉を|叩く|音が|した。||そして、|返事を|待たずに|扉が|開くと、|そこに|取り乱した|ホテルの|主人の|顔が|現れた。

しかし、|時間は|過ぎていた。||窓ガラスには|日が|差していた。||それでも、|霧笛は|まだ|鳴り続けていた。

「急いでください!||船長が|死にかけています」

「どの|船長だ?」

「ジョリス船長です。||ジュリーが|港に|駆け込んできました。||医者を|呼ぶのと|同時に、|あなたにも|知らせてほしいと」

メグレは、|髪を|ぼさぼさにしたまま、|もう|ズボンを|はいていた。||靴ひもも|結ばずに|靴を|はき、|付け襟を|忘れたまま|上着を|羽織った。

「出かける前に|何か|召し上がりませんか?||コーヒーを|一杯?||ラムを|一杯?」
だが、|いらない!||そんな|時間は|なかった。||外は、|日が|差しているにも|かかわらず、|かなり|冷えていた。||道は|まだ|朝露で|ぬれていた。

水門を|渡っているとき、|海が|見えた。||まっ平らで、|淡い|青色だったが、|見えるのは|ほんの|細く|横に伸びる|水面だけだった。||その|すぐ先で、|長い|霧の帯が|地平線を|おおっていたからだ。
橋の|で、|誰かが|彼に|声をかけた。

「あなたが|パリの|警部さんですか?||私は|村の|巡査です。||よかった。||もう|聞きましたか?」

「何を?」

「ひどいらしいですよ!||ほら!||医者の|車です」
そして|港の近くでは、|漁船が|ゆっくりと|揺れ、|その|赤や|緑の色が|水面に|映り込んでいた。||帆が|上げられていた。||おそらく|乾かすためで、|黒く|塗られた|番号が|見えていた。
向こうの|灯台の|そば、|船長の|小さな|家の|前に、|二人か|三人の|女が|いた。||扉は|開いている。||医者の車が、|メグレと、|彼に|うるさくつきまとう|村の|巡査を|追い越した。


「毒を|盛られたという|話です。||どうも、|顔が|緑がかっているとか」
メグレが|家に|入った|その瞬間、|ジュリーが|涙を|流し、|目を|腫らし、|頬を|赤くして、|ゆっくりと|階段を|降りてきた。||死にかけている|男を|医者が|診ている|部屋から、|彼女は|外へ|出されたところだった。

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ジュリーは|あわてて|羽織った|コートの下に、|まだ|長い|白い|寝巻を|着たままで、|スリッパの中の|足は|素足だった。

「ひどいんです、|警部さん!||想像も|つきません。||早く|上へ!||もしかすると」
メグレが|部屋に|入った時、|医者は|ベッドに|かがみこんだあと、|体を|起こすところだった。||その顔は、|もう|手の打ちようが|ないことを|はっきり|物語っていた。

「警察だ」

「ああ!||そうですか。||終わりです。||あと|二、三分でしょう。||よほど|私が|まちがっていなければ、|ストリキニーネです」
医者は|窓を|開けに|行った。||死にかけている|男の|開いた|口が、|空気を|吸いこむのに|苦しんでいるように|見えたからだった。||すると|ふたたび、|非現実的な|絵のような|光景が見えた。||太陽、|港、|小舟、|帆を|下ろした|漁船、|そして|光る|魚で|いっぱいの|かごを|木箱へ|あけている|漁師たち。
それに対して、|ジョリスの|顔は|いっそう|黄色く、|あるいは|いっそう|緑がかって|見えた。||何とも|言いようが|なかった。||人の肌という|概念とは|相入れない、|精彩を欠いた|色だった。
手足は|ねじれ、|機械じかけのような|痙攣が|起きていた。||それでも|顔は|穏やかなままで、|表情は|変わらず、|視線は|まっすぐ|前の壁に|向けられていた。
医者は|脈が|弱っていくのを|見るため、|片方の|手首を|取っていた。||ある瞬間、|その表情が|メグレに|知らせた。

「気をつけて。||最期です」
その時、|思いもよらない、|胸を打つことが|起こった。||この|哀れな男が|正気を|取り戻したのか|どうかは、|わからなかった。||ずっと|虚な顔しか|見ていなかった。

ところが、|その顔が|生き返った。||表情が|ぐっと|引き締まり、|今にも|泣きだしそうな|子どもの|顔のように|なった。||嘆くように|口を尖らせて|これ以上は|耐えられないと|訴えているようだった。
そして|大きな|涙が|二つ、|あふれ出し、|流れる|道を|探していた。
ほとんど|同じ|瞬間、|医者の|低い|声が|した。

「終わりました」
信じられるだろうか?||ジョリスが|二つの|涙を|流した、|まさに|その時に、|終わったのだった。
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その涙は|まだ|生きていた。||耳の|ほうへ|流れ、|耳が|それを|吸い取ろうと|していた。||そのあいだに、|船長は、|もう|死んでいた。
階段で|足音が|聞こえた。||下では、|女たちの|あいだで、|ジュリーが|しゃくり上げていた。||メグレは|踊り場へ|進み出て、|ゆっくりと|言った。

「誰も|部屋に|入れるな」

「もう」

「ああ」と、彼は|ポツリと|言い残した。
そして|日ざしの|入る|部屋へ|戻った。||医師は、|念のために、|心臓へ|注射を|する|注射器を|用意していた。
庭の|塀の|上には、|真っ白な|猫が|いた。
- ウイストルアム(Ouistreham)は、フランス北西部ノルマンディー地方、カルヴァドス県にある実在の港町です。||
地理的には:
・カーン(Caen)の北約15キロに位置する
・オルヌ川(Orne)河口に面した港で、カーンと海を結ぶ運河の起点
・イギリス海峡に面しており、対岸のイギリスへのフェリー航路もある
この作品では|霧に包まれた小さな港町として描かれており、||物語の主舞台となります。||タイトル「霧の港(Le Port des Brumes)」が指すのも|まさにこのウイストルアムです。||
第二次世界大戦では|1944年のノルマンディー上陸作戦の|上陸地点の一つとしても|知られています。||この作品が書かれた1932年当時は|まだ静かな漁港と|海運の町でした。
↩︎ - ウイストルアムは運河と海をつなぐ水門がある港なので、潮の満ち引きに合わせて水門を操作する作業が港の中心的な仕事でした。||
「夕方の潮(une marée du soir)」とあるので、その夜は夕方の満潮に合わせた水門作業の見回りに出たまま、姿を消したということです。
ウイストルアムは非常に小さな港で、港長・水門係・灯台守などの役割が明確に分離できるほどの規模ではありませんでした。||後の章でも描かれますが、港の人員はごく少数で、港湾長のジョリスが水門作業に直接立ち会うのは自然なことでした。
↩︎ - カーン(Caen)はノルマンディー地方の中心都市で、フランス北西部カルヴァドス県の県庁所在地です。歴史的には:
・11世紀にウィリアム征服王(ノルマンディー公)が建設した城と二つの大修道院で有名
・ノルマンディー公国の重要な都市として栄えた
・中世から石材の産地として知られ、カーンの石灰岩はロンドンのタワー・オブ・ロンドンにも使われた
地理的には:
・パリから約240キロ北西
・海岸線から約15キロ内陸
・オルヌ川沿いに発展した内陸都市
経済的には:
・ウイストルアムの運河のおかげで海運と内陸をつなぐ商業都市として機能
・繊維産業・石材産業が盛んだった
第二次世界大戦では:
・1944年のノルマンディー上陸作戦後の激戦で市街の約75%が破壊された
・戦後に大規模に再建された
この作品が書かれた1932年当時は活気ある地方商業都市として機能していました。
↩︎ - 一般的に運河と海が直接つながる場合、水位の差という大きな問題があります。||海は潮の満ち引きで水位が変わりますが、運河は一定の水位を保つ必要があります。||
そのため単純に掘っただけでは船が通れない
水門(écluse)で水位を調整する仕組みが必要
設計・建設・維持に莫大なコストがかかる
ウイストルアムが重要な理由はまさにここで、水門を持つ運河港として
イギリス海峡の大型船を内陸カーンまで運べる
カーンは内陸都市でありながら実質的な貿易港として機能できる
つまりウイストルアムの水門は、単なる小さな港の設備ではなく、カーンの経済を支える重要なインフラだったのです。||だからこそ港湾長という役職も重要だったわけです。
↩︎ - プンタ・アレナス(Punta Arenas)は、チリ最南端の港町です。||
地理的には:
・南アメリカ大陸の最南端近く
・マゼラン海峡に面した港
・南緯53度という極めて南に位置する
1932年当時の文脈では:
・パナマ運河開通(1914年)以前は、ヨーロッパと太平洋を結ぶ船が必ず通過するマゼラン海峡の中継港として栄えていた
・パナマ運河開通後も南米最南端の重要な寄港地として機能していた
・商船の船長たちにはなじみ深い港だった
つまりこの絵はがきは、元商船船長のジョリスの旧友が、地球の裏側の遠洋航路に就いていることを示しています。||
メグレにとっては、ジョリスが国際的な海運の世界に深く関わっていた人物だという印象を強める手がかりの一つです。||ハンブルクのオランダ銀行からの三十万フランと合わせて、単なる小さな港の港長ではないという謎が深まる場面です。
↩︎ - 「voiture de maître」(富裕層の専用車)タイプの大型車の「strapontin」は助手席ではなく、前の座席と後部座席の間に|設置された|折り畳み式の|補助シートです。
本来なら|前向きの補助座席を|出して|一人が|そこに|座れるはずですが、その補助座席が|壊れていて|三人が|後部座席に|ぎゅうぎゅうに|詰め込まれたという状況です。
運転席は|外部に露出した、あるいは|仕切りで|区切られた|構造で、運転手は|プロの御者・運転手という職業的立場です。
客は|後部の客室に乗るのが|当然とされていました。
当時は、現代のタクシーのように|助手席に|気軽に|乗る習慣は|なく、運転席と|客室が|明確に|分離されていました。
運転手の隣は|同乗の使用人や|荷物置き場として|使われました。
ただし1930年代になると|車の構造も|変わりつつあり、|完全に|分離されていない|車種も|ありました。
この場面の車は|旧式の高級馬車スタイルを|踏襲した|古い車なので、|運転席と|客室が|はっきり|分かれていた|可能性が|高く、|だからこそ|三人が|後部に|詰め込まれたと|考えられます。
↩︎ - オルヌ(l’Orne)はフランス北西部ノルマンディー地方を流れる川です。
全長170キロほどの川で、ノルマンディー内陸部から|北へ流れ、カーンを通り、ウイストルアムで|イギリス海峡に注ぐ。
ウイストルアムの|運河は|オルヌ川を利用して|作られた、カーンと|海を|結ぶ|水路の本体で、橋を|渡った先の|湿地帯はオルヌ川の河口部になります。
「道は、|オルヌ川7の|岸をなす|沼地の|中へ|消えていくようだ」
つまり|灯台と|ジョリスの家の|すぐそばまで|川の|湿地帯が|広がっており、|港町ウイストルアムが|いかに|水と霧に|囲まれた場所であるかを|示しています。
↩︎




