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グラスを|手に、|メグレは|マルタン夫人を|観察しながら|言った。

「昨夜|窓から|外を|見ていれば!||そうすれば|捜査は|終わっていたのに!||あの|窓からは、|クーシェの|事務室で|起きることが|何もかも|見えるんですから。||見えないなんて|不可能です」
その|声にも|態度にも|意図は|感じられなかった。||ヴェルモットを|ちびちびと|飲みながら|世間話を|しているだけだった。


「むしろ|これは|刑事事件における|証言として|最も|興味深い|ケースの|ひとつに|なっていたでしょう。||遠くから|殺人を|目撃した|人間が!||いや、|双眼鏡が|あれば|話し相手の|唇の|動きまで|はっきり|見えて、|会話の|内容まで|わかったかもしれない」
マルタン夫人は|どう|受け取れば|いいか|わからず、|用心深く|構え、|薄い|唇に|ぼんやりした|笑みを|凍りつかせていた。

「でも|あなたにとっては|なんという|衝撃だったでしょう!||窓の|そばで|のんびり|していたら、|突然|元夫が|脅される|場面を|見てしまうなんて!||いや、|もっと|複雑な|場面が|あったはずです。||クーシェが|ひとりで|帳簿に|向かっている。||立ち上がって|洗面所へ|行く。||戻ってくると|誰かが|金庫を|漁っていて、|逃げる|間が|ない。||ただ|ひとつ|不思議な|点は、|クーシェが|また|座ったことです。||泥棒を|知っていたのかもしれません。||話しかけて、|責めて、|金を|返すよう|求めた」

「でも|私が|窓の|そばに|いればの|話ですよ!」と|マルタン夫人が|口を|挟んだ。

「同じ階の|別の窓からも|同じように|見えるかもしれませんね。||右隣には|誰が|住んでいますか?」
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「若い娘が|二人と|その母親です。||毎晩|蓄音機を|かけている|連中です」
その瞬間、|メグレが|すでに|聞いたことのある|叫び声が|響いた。||彼は|一秒|黙ってから、|つぶやいた。

「病んだ女ですね」

「しっ」|と|マルタン夫人は|忍び足で|ドアの|ほうへ|歩きながら|言った。
彼女は|そのドアを|いきなり|開けた。||薄暗い|廊下に、|女の|人影が|あわてて|遠ざかっていくのが|見えた。


「意地悪ばあさんめ!」|と|マルタン夫人は|相手に|聞こえるほど|大きな声で|ぶつぶつ|言っていた。
怒りながら|引き返してくると、|彼女は|警部に|説明した。

「年寄りの|マチルドですよ!||昔の|料理女です!||ご覧に|なりました?||まるで|大きな|ヒキガエルでしょう!||隣の|部屋に|住んでいるんです、|頭のおかしい|妹と|一緒に。||二人とも|同じくらい|年寄りで、|同じくらい|醜いんです!||あの|病んだ女は、|私たちが|この|部屋を|借りてから、|一度も|自分の|部屋から|出たことが|ありません」

「なぜ|あんなふうに|叫ぶんです?」

「そこなんです!||暗いところに|一人で|置かれると、|あれが|始まるんです。||子どもみたいに|怖がるんです。||わめくんです。||私は|やっと|あの|やり口が|わかりました。||朝から|晩まで、|年寄りの|マチルドが|廊下を|うろついているんです。||いつだって|どこかの|ドアの|陰に|いると|思って|間違いありません。||見つけても、|ほとんど|恥ずかしがりも|しないんです。||あの|醜い|平気な|顔を|して、|すっと|遠ざかっていくんです!||おかげで|自分の|家に|いる|気が|しません。||家の|ことを|話そうと|思えば、|声を|低く|しなければ|ならないんです。||今、|現場を|押さえましたよね?||でも、|きっと|もう|戻ってきています」

「そいつは|あまり|気持ちの|いいものじゃ|ないな」|と|メグレは|認めた。||「だが、|家主は|口を|出さないのか?」

「追い出そうと|あれこれ|やったんです。||でも、|困ったことに|法律が|ありますからね。||それに、|あの|二人の|年寄りが|小さな|一部屋に|いるなんて、|衛生的でも|ありませんし、|気分の|いいものでも|ありません!||きっと|一度も|体を|洗っていませんよ」
警部は|帽子を|手に|取っていた。
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「お邪魔して|悪かった。||そろそろ|失礼する」
それからというもの、|彼の|頭の中には|その住まいの|正確な|像が|できあがっていた。||家具の|上の|小さな敷物から、|壁を|飾る|暦に|至るまで。

「音を|立てないでください。||あの|婆さんに|気づかれます」
それは|完全には|正しくなかった。||彼女は|廊下には|いなかった。||半ば|開いた|自分の|扉の|陰に、|待ち伏せする|大きな|蜘蛛のように|潜んでいたのだ。||通りがかりに|警部が|愛想よく|会釈を|送ったので、|彼女は|面食らったに|違いなかった。
◊
食前酒の|時刻、|メグレは|セレクトに|腰を|下ろしていた。||競馬の|話ばかりが|交わされている|アメリカン・バーから|そう遠くない|席だった。||ウェイターが|近づいてくると、|彼は|その朝|ピガール通りで|手に入れた|ロジェ・クーシェの|写真を|取り出して|見せた。

「この|若い男を|知っているか」

ウェイターは|不思議そうな|顔を|した。

「妙ですね」

「何が|妙なんだ」

「出ていってから|まだ|十五分も|たっていません。||あの|テーブルに|いましたよ、|ほら。||注文を|言う代わりに、|こう|言わなければ、|気づきも|しなかったでしょう」
『昨日と|同じものを』

「ところが、|私は|その方を|見た|覚えが|まったく|なかったんです。||それで|私は|申しました。||『何でしたか、|もう一度|教えていただけますか』」


『ジン・フィズだよ、|当たり前じゃないか』

「それが|一番|おかしかったんです。||というのも、|私は|昨日の|夜、|ジン・フィズを|一杯も|お出ししていないと|はっきり|覚えていますから。||その方は|数分|いただけで、|それから|出ていきました。||ちょうど|あなたが|その写真を|見せに|いらしたのは|妙ですね」
少しも|妙では|なかった。||ロジェは|前の晩に|自分が|メグレへ|話した通り、|セレクトに|いたことを|証明しておきたかったのだ。||彼は|かなり|巧妙な|手を|使った。||ただ|ひとつ|まずかったのは、|あまり|普通ではない|飲み物を|選んだことだった。
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数分後、|ニーヌが|入ってきた。||目は|沈んでいた。||彼女は|バーに|いちばん近い|テーブルに|腰を下ろし、|それから、|警部に|気づくと、|立ち上がり、|ためらい、|彼のほうへ|進んできた。

「私に|何か|ご用ですか?」と|彼女は|尋ねた。

「別に。||いや、|ある。||ひとつ|訊きたい。||君は|ほとんど毎晩、|ここへ|来るんだな?」

「レイモンが|いつも|ここで|待ち合わせていたんです」

「決まった|席は|あるのか?」

「あそこです。||入ってきて|座った|席です」

「昨日も|そこに|いたのか?」

「ええ、|どうしてです?」

「それで、|この写真の|本人を|見た覚えは|ないのか?」

彼女は|ロジェの|写真を|見つめ、|つぶやいた。

「でも、|これは|私の|隣の部屋の|人です」

「そうだ。||クーシェの|息子だ」
彼女は|目を|見開いた。||その偶然に|動揺し、|その裏に|何が|隠れているのかと|考えていた。

「今朝、|あなたが|お帰りに|なって|少ししてから、|私の|部屋に|来ました。||私、|ムーラン・ブルーから|戻ったところでした」

「何の|用だ?」

「セリーヌが|具合が|悪いから、|アスピリン1の|錠剤を|持っていないかって|訊いたんです」

「で、|劇場のほうは?||雇って|もらえたのか?」

「今夜、|行くことに|なっています。||踊り子が|ひとり|怪我を|したんです。||その人が|よくならなければ、|私が|代役を|して、|ひょっとしたら|正式に|雇ってもらえるかもしれません」
彼女は|声を|落として|続けた。

「百フラン、|持っています。||手を|出してください」
そして|その仕草は、|彼女の|心理の|すべてを|物語っていた。||彼女は|人前で|メグレに|百フランを|差し出したくなかったのだ!||彼に|恥を|かかせるのではないかと|恐れていたのだ!||だから、|彼女は|小さく|折りたたんだ|紙幣を|手のひらに|隠していた!||まるで|ジゴロに|渡すように、|彼に|そっと|渡した!


「ありがとうございます。||あなたは|親切に|してくださいました」
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彼女は|すっかり|気落ちしているように|見えた。||行き来する|人々の|光景にも、|まるで|関心を|示さず、|あたりを|見まわしていた。||それでも|彼女は|かすかな|笑みを|浮かべ、|こう|言った。

「支配人が|私たちを|見ています。||私が|なぜ|あなたと|一緒に|いるのか、|考えているんです。||きっと、|私が|もう|レイモンの|代わりを|見つけたと|思っているんでしょう。||あなたまで|まずいことに|なりますよ!」

「何か|飲むか?」

「ありがとうございます」|と|彼女は|控えめに|言った。||「もし|何か|私に|用が|ありましたら。||ムーラン・ブルーでは、|私の|名前は|エリアーヌです。||フォンテーヌ通りの|楽屋口は|ご存じですか?」
◊
それほど|つらい|訪問には|ならなかった。||メグレは|夕食の|時刻の|少し前に、|オスマン大通りの|アパルトマン2の|扉の|ベルを|鳴らした。||玄関に|入るなり、|菊の|重い|匂いが|漂っていた。||扉を|開けに|来た|家政婦は、|つま先で|歩いていた。
彼女は|警部が|名刺を|置きに|来ただけだと|思ったらしく、|何も言わずに|彼を|黒い布で|すっかり|覆われた|遺体安置の|部屋まで|案内した。||入口には、|ルイ十六世様式の|盆の上に、|たくさんの|名刺が|置かれていた。
遺体は|すでに|棺に|納められており、|棺は|花の下に|隠れるほどだった。
部屋の|片隅では、|喪服を|着た|背の高い|若い男が、|たいへん|上品な|様子で、|メグレに|軽く|会釈した。
その|向かいでは、|五十歳くらいの|女が、|粗野な|顔立ちで、|日曜着の|農婦のような|服を|着て、|ひざまずいていた。
警部は|若い男に|近づいた。

「クーシェ夫人に|お目に|かかれますか?」
「姉が|お会いできるか、|訊いてまいります。||失礼ですが、|お名前は?」

「メグレだ。||この|事件を|担当している|警部だ」
農婦のような|女は|その場に|とどまっていた。||しばらくして、|若い男が|戻ってきて、|客を|アパルトマンの|奥へ|案内した。||どこにも|花の|匂いが|満ちていることを|別にすれば、|部屋部屋は|いつもの|姿を|保っていた。||それは|前世紀末の|立派な|アパルトマンだった。||オスマン大通りの|アパルトマンの|多くが|そうであるように、|広い|部屋が|並んでいた。||天井と|扉には、|少し|飾りが|多すぎた。
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様式家具が|部屋を満たし、|サロンには|巨大な|クリスタルの|シャンデリアが|吊るされ、|歩くたびに|チリンと|鳴った。
クーシェ夫人は|三人に|囲まれていた。||彼女が|紹介した。||まず|喪服の|若い男。


「弟の|アンリ・ドルモワです。|弁護士をしております」
次に|ある年配の|紳士。

「伯父の|ドルモワ大佐です」
そして最後に|美しい|銀髪の|婦人。

「母です」
全員が|喪服に|身を包み、|いかにも|上品だった。||テーブルには|まだ|片づけられていない|お茶の用意があり、|トーストと|ケーキが|残っていた。

「どうぞ|お座りください」

「一つ|よろしいですか。|あちらの|安置室に|いらっしゃる|婦人は……」

「夫の妹です」クーシェ夫人が|答えた。||「今朝|サン=タマンから|来たんです」
メグレは|微笑まなかった。||だが|わかった。||クーシェ側の|身内が|やって来ることを、|誰もが|あまり|歓迎していないのが|ありありと|感じられた。||農民か|小市民のような|身なりで|現れられては|困るのだ。
夫側の|親族と、|ドルモワ側の|親族。||ドルモワ側は|上品で|控えめだった。||すでに|全員が|黒衣に|身を|包んでいた。||クーシェ側には|まだ|あの|おしゃべり女が|一人いるだけで、|胸元の|絹が|脇の下で|きつく|張っていた。

「少々|二人だけで|お話しできますか?」
彼女は|家族に|断りを入れた。||家族は|席を|立とうとした。

「どうか|そのままで……|黄色の|小部屋へ|参りましょう」
泣いていたのは|間違いなかった。||その後|白粉で|隠していたが、|まぶたが|わずかに|腫れているのが|見て取れた。||声は|本物の|倦怠感で|沈んでいた。

「今日|思いがけない|お客が|来ませんでしたか?」

彼女は|顔を|上げ、|不快そうな|表情を|見せた。
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「どうして|ご存知なんですか?||ええ、|午後の|初めに|義理の息子が|来ました」

「以前から|ご存知でしたか?」

「ほとんど|知りませんでした。||夫の|事務所で|会っていたようですが。||一度|劇場で|出くわして、|レイモンが|紹介してくれたことが|ありますが」

「訪ねてきた|目的は?」
困惑した様子で、|彼女は|顔を|そらした。

「遺言書が|見つかったかどうか|知りたかったようです。||それから、|手続きの|ために|私の|顧問弁護士が|誰かを|聞いていきました」
彼女は|ため息をつき、|そうした|あさましさを|弁護しようと|した。

「それは|彼の|権利です。||財産の|半分は|彼に|あたるものだと|思いますし、|それを|奪うつもりは|ありません」

「立ち入った|ことを|聞かせてください。||クーシェと|結婚された|時、|すでに|裕福でしたか?」

「ええ。||今ほどでは|ありませんでしたが、|事業が|軌道に|乗り始めていました」

「恋愛結婚でしたか?」かすかな|微笑み。

「そう|言えるでしょうか。||ディナール3で|出会いました。||三週間後に|妻になって|くれるかと|聞かれて、|両親が|身元を|調べたんです」

「幸せでしたか?」
メグレは|彼女の|目を|見つめ、|答えを|待つまでも|なかった。||自ら|静かに|言った。

「年齢差が|ありましたね。||クーシェは|仕事に|忙しかった。||つまり、|お二人の間に|深い|親密さは|なかった。||そういうことですか。||あなたは|家を|守り、|あなたには|あなたの|生活が、|彼には|彼の|生活が|あった」

「一度も|文句を|言ったことは|ありません」彼女は|言った。||「活力に|溢れた|人で、|動き回る|生活を|必要と|していました。||引き留めようとは|しませんでした」

「嫉妬は|しませんでしたか?」

「最初は。||でも|慣れました。||私のことを|大切に|してくれていたと|思います」
彼女は|そこそこ|きれいだったが、|輝きも|張りも|なかった。||やや|ぼんやりした|顔立ち。||やわらかな|体つき。||控えめな|上品さ。||暖かく|居心地のよい|サロンで、|女友達に|優雅に|お茶を|振る舞うような|女性だった。
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「前の|奥さんの|話を|よく|なさいましたか?」
すると|彼女の|瞳が|硬くなった。||怒りを|隠そうと|したが、|メグレに|見透かされているのが|わかった。

「私が|言う|立場では……」と|彼女は|言いかけた。

「失礼しました。||死の|状況から|して、|遠慮している|場合では|ないんです。||誰かを|疑っているわけでは|ありません。||夫の|生活、|周囲の人間、|最後の夜の|行動を|再構成しようと|しているんです。||クーシェの|事務所が|あった|建物に|その女性が|住んでいると|ご存知でしたか?」

「ええ。||夫から|聞いていました」

「どんな|言い方を|していましたか?」

「恨んでいました。||でも|そんな|自分を|恥じて、|結局は|かわいそうな女だと|言っていました」

「なぜ|かわいそうなんですか?」

「何をしても|満足できない|人だから……|それに……」

「それに?」

「おわかりでしょう。||とても|打算的な人なんです。||レイモンが|十分に|稼げないからと|離婚した。||それが、|再会したら|裕福に|なっていた。||自分は|小役人の|妻なのに!」

「その女性が|何か|要求してきたことは?」

「いいえ。||お金を|無心したことは|なかったと|思います。||もっとも|夫が|私に|言わなかっただけかも|しれませんが。||私が|知っているのは、|ヴォージュ広場で|出くわすのが|彼には|苦痛だったということです。||あの女が|わざわざ|行く手に|現れるように|仕向けていたと|思います。||声は|かけないで、|ただ|軽蔑したような|目で|見る……」
メグレは|思わず|微笑んだ。||アーチ型の|門の下での|出会いを|想像した。||車から|降りてくる|血色のよい|クーシェと、|黒い手袋、|傘、|手提げ袋を|持ち、|毒々しい|顔をして|こわばった|マルタン夫人……


「それ以上は|ご存知ないですか?」
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「事務所を|移りたかったようですが、|パリで|実験室を|見つけるのは|難しくて」

「ご主人に|敵は|いませんでしたか?」

「誰一人!||みんなに|慕われていました。||お人好しが|過ぎて|滑稽なほどで。||お金を|使うというより|ばらまくんです。||そのことを|窘めると、|長年|一銭一銭と|数えてきたんだから|今さら|気前よく|したって|いいだろうと|答えていました」

「ご家族とは|よく|会っていましたか?」

「あまり。||気質が|違いましたから。||趣味も」
メグレには|確かに|想像できなかった。||クーシェが|サロンで|若い弁護士や|大佐や|物腰の|上品な|お母上と|向き合っている|姿が。
それも|無理はない。||血気盛んで|たくましく、|粗削りで、|無一文から|出発し、|三十年間|がむしゃらに|富を|求めて|走り続けてきた男。||それが|金持ちに|なった。||ディナールで、|ついに|これまで|一度も|受け入れられたことの|ない|世界に|足を|踏み入れた。||本物の|良家の|娘。||ブルジョワの|家族。||お茶と|小さなケーキ、|テニスと|郊外での|行楽……
彼は|結婚した。||今や|何でも|自分には|許されると|自分自身に|証明するために。||これまで|外から|眺めるだけだった|ような|家庭を|持つために。
彼が|結婚したのは、|その|おとなしく|育ちのよい|娘に|圧倒されたからでも|あった。
そして|ブールヴァール・オスマンの|アパルトマン、|最も|伝統的な|調度品に|囲まれた|暮らし……
ただ、|彼には|外に|出て|動き回る|必要が|あった。||別の|人間たちと|会い、|気を|張らずに|話す|必要が。||ビアホール、|バー……
そして|別の|女たちが。
妻のことは|好きだった。||尊敬していた。||敬っていた。||妻は|彼を|圧倒した。
だが|まさに|妻が|彼を|圧倒するからこそ、|ニーヌのような|育ちの|悪い|小娘が|必要だった。||気を|緩めるために。
クーシェ夫人は|口元まで|出かかった|問いを|抱えていた。||躊躇したが、|やがて|よそを|向いたまま|思い切って|口を|開いた。
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「お聞きしたいことが|あるんですが……|難しいことで……|申し訳ないのですが……|女友達が|いたことは|知っています。||ほとんど|隠しても|いませんでした、|慎みから|かろうじて|隠していた|程度で。||その方面で|面倒や|スキャンダルが|起きないか|知っておきたいんです」
夫の|愛人たちを、|小説に|出てくる|高級娼婦か|映画の|ヴァンプ4のように|想像しているのは|明らかだった。

「ご心配には|及びません」メグレは|微笑んだ。||小柄な|ニーヌを|思い浮かべながら、|その|くしゃくしゃした|顔と、|その|午後に|質屋に|持ち込んだ|ひと握りの|宝石類を。

「補償金を|払わなければ|ならない|ということは?」

「ありません。||一切不要です」
夫人は|すっかり|驚いた様子だった。||少し|拍子抜けも|したかもしれない。||あの女たちが|何も|求めないということは、|夫に|ある種の|愛情を|持っていたということ。||夫も|また|彼女たちに……

「葬儀の|日程は|決まりましたか?」

「弟が|手配してくれました。||木曜日に|サン=フィリップ=デュ=ルール5で」
隣の|食堂から|食器の|音が|聞こえた。||夕食の|用意を|しているのだろう。

「では、|お礼と|お詫びを|申し上げます。|失礼します」
そして|ブールヴァール・オスマンを|歩きながら、|パイプに|煙草を|詰めつつ、|思わず|つぶやいていた。


「やれやれ、|クーシェ|という奴は!」
まるで|クーシェが|旧友であるかのように|口をついて|出た言葉だった。||しかも|その|思いが|あまりに|強く、|死んだ姿でしか|見ていないと|気づいて|愕然とした。
まるで|隅々まで|知り尽くしているような|気が|した。
三人の|女たちの|せいか?
まず|最初の妻、|ナンテールの|部屋に|住んでいた|菓子屋の娘。||夫が|まともな|職に|就かないことに|絶望していた女。
次に|ディナールの|令嬢と、|大佐の|甥に|なったことで|満たされた|クーシェの|小さな|自尊心……

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ニーヌ……|セレクトでの|待ち合わせ……|ピガール・ホテル……|そして|金をせびりに|来る|息子。||マルタン夫人は|門の下で|クーシェと|鉢合わせするよう|仕組んで、|罪の意識を|煽ろうとしていた。
妙な|最期だった。||できるだけ|足を|運ばないように|していた|あの事務所で、|たった一人。||半開きの|金庫に|もたれ、|両手を|テーブルに|置いたまま……
誰も|気づかなかった。||門番の女は|中庭を|通るたびに、|磨りガラスの|向こうに|いつもと|同じ場所に|彼の姿を|見ていた。||だが|彼女の|頭は|もっぱら|お産中の|サン=マルク夫人の|ことで|いっぱいだった。
上の階では|狂った女が|叫んでいた。||つまり|フェルトの|靴底を|はいた|年寄りのマティルドが|廊下の|扉の|陰に|潜んでいたわけだ……
マルタンは|マスティック色の|外套を|着て|降りてきて、|ゴミ箱の|そばで|手袋を|探していた……
一つだけ|確かなことが|あった。||今ごろ|誰かが|盗んだ|三十六万フランを|手にしている。
そして|誰かが|人を|殺した。

『男というのは|みんな|自分勝手なんだから』
マルタン夫人は|苦々しく|言っていた、|その|苦しみに|満ちた|顔で。
あの|新札の|三十六万フランを|持っているのは|彼女だろうか?||クレディ・リヨネから|引き出された|あの金を、|ついに|手にした彼女。||大金。||マルタンが|死んだ後の|年金の|心配も|明日の|不安も|ない|楽な|年月を|意味する|分厚い|札束を。
それとも|ロジェだろうか。||エーテルで|むくんだ|柔らかい|体の|あの男、|ホテルの|寝床の|湿った空気の中で|共に|堕落していくために|拾ってきた|セリーヌと一緒に。
それとも|ニーヌか、|クーシェ夫人か……
いずれにせよ|すべてを|見渡せる|場所が|一つ|あった。||マルタン夫婦の|部屋だ。
そして|家中を|うろつき、|あらゆる扉に|耳を|くっつけ、|廊下を|スリッパで|歩き回る|女が|一人いた。

「年寄りのマチルドを|訪ねなければ|なるまい」メグレは|思った。
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だが|翌朝|ヴォージュ広場に|着くと、|郵便物を|仕分けしていた|管理人の女が——血清会社宛ての|分厚い束と、|他の|住人宛ての|数通——彼を|引き止めた。

「マルタン夫妻の|ところへ|いらっしゃるんですか?||どうかしら。||マルタン夫人が|昨夜|ひどく|具合が|悪くなって。||医者を|呼びに|走らなければ|ならなかったんです。||ご主人は|半狂乱で」
従業員たちが|中庭を|横切り、|実験室や|事務所へと|向かっていた。||二階の|窓で|召使が|絨毯を|叩いていた。
赤ちゃんの|泣き声と、|乳母の|単調な|子守唄が|聞こえてきた。
- アスピリンは、痛み止め・熱さまし・炎症を抑える薬です。成分名は アセチルサリチル酸 です。
主な用途は、頭痛、歯痛、筋肉痛、発熱、風邪などに伴う痛みや熱です。
この物語の文脈では、ロジェが「セリーヌが具合が悪いから、アスピリンの錠剤を持っていないか」と言っています。つまり、ここでは特別な毒薬ではなく、頭痛・発熱・体調不良のときに使う、ごく一般的な家庭薬として出ています。1930年代の感覚でも、アスピリンはすでに広く知られた薬でした。物語上は、特に深い意味のある薬ではないと見てよいです。 ↩︎ - オスマン大通りの|アパルトマンは、死んだレイモン・クーシェの自宅です。
正確には、現在の妻であるクーシェ夫人と暮らしていた、オスマン大通りの高級アパルトマンです。事件現場はヴォージュ広場の事務所ですが、遺体はその後、自宅であるオスマン大通りの住まいへ移され、そこに棺が安置されています。
オスマン大通りは、パリ中心部の大通り Boulevard Haussmann(ブールヴァール・オスマン) です。
19世紀後半、ナポレオン三世の時代に、セーヌ県知事 ジョルジュ=ウジェーヌ・オスマン がパリ改造を進めました。狭く入り組んだ中世以来の街路を整理し、広い大通り、整った建物、上下水道、公園などを整備した事業です。オスマン大通りは、その名前を冠した、いかにも「近代パリ」を象徴する大通りです。
↩︎ - ディナール(Dinard)はフランス北西部、ブルターニュ地方にある海辺のリゾート地です。サン=マロ湾に面した、上流階級の避暑地として19世紀末から名高い町です。イギリスの富裕層にも人気があり、「ブルターニュのニース」とも呼ばれました。
この場面でディナールが出てくるのは重要な意味があります。クーシェは成り上がりの実業家でしたが、ディナールという上流の避暑地でドルモワ家の令嬢と出会い結婚した——つまり、それはクーシェにとって社会的な上昇の証明でもありました。メグレが後に「自分もとうとう上流の世界に認められたと証明したかったのだ」と内心で思う、まさにその象徴的な場所です。
↩︎ - 1920〜30年代の映画用語です。
vamp(ヴァンプ)とは、男性を誘惑して破滅させる妖艶な悪女のタイプを指します。語源は vampire(吸血鬼)の短縮形で、男の生き血を吸うように財産や魂を奪う女、という意味合いです。
サイレント映画時代にアメリカで生まれた概念で、1930年代のフランスでもすでに映画を通じて広く知られていました。グレタ・ガルボやマレーネ・ディートリッヒがその典型的なイメージです。
この場面でクーシェ夫人が夫の愛人を「小説の高級娼婦かヴァンプ」と想像しているのは、実際のニーヌが質屋に宝石を持ち込むような気のいい庶民的な娘だったことと対比されており、夫人の世間知らずな上流ぶりを皮肉る描写になっています。
↩︎ - サン=フィリップ=デュ=ルール(Saint-Philippe-du-Roule)とは、パリ8区にあるカトリックの教会です。18世紀末(1784年完成)に建てられた新古典主義様式の格調ある教会で、ファサードがギリシャ神殿風の円柱で飾られているのが特徴です。
場所はシャンゼリゼ通りの北側、フォーブール・サントノレ通りに面しており、ブールヴァール・オスマンからも近い上流ブルジョワの教区教会として知られています。
Rouleは、かつてこの一帯はルール村(village du Roule)と呼ばれていた地区で、パリに編入される前の古い地名です。語源はラテン語の rotulus(巻物、転がるもの)に由来するとも言われますが、地名としての意味は特になく、単なる歴史的な地区名です。
つまり、「サン=フィリップ=デュ=ルール」は「ルール地区の聖フィリップ教会」という意味で、聖フィリップはイエスの十二使徒の一人です。
クーシェ夫人がここを葬儀の場所に選んだことは、ドルモワ家の社会的体面をよく表しています。パリで最も格式ある教会の一つで、富裕層や上流階級の葬儀が行われる場所だったからです。 ↩︎



