W杯が始まった。北米の巨大スタジアムで、世界中のサポーターが熱狂する映像がSNSに流れてくる。ピッチを囲む広告看板には、コカ・コーラ、アディダス、ハイセンス、蒙牛——。
あれ、日本企業の名前、どこにもないぞ?
気づいてしまったら、もう気になって仕方ない。あれだけ「サッカー日本代表」で盛り上がる国なのに、W杯のスポンサーリストに日本企業がゼロとはどういうことか。少し掘り下げてみた。
まず、W杯スポンサーの構造を知っておこう
FIFAのスポンサーシップは三層構造になっている。頂点に立つ「FIFAパートナー」7社(アディダス、コカ・コーラ、ヒュンダイ・キア、ビザ、カタール航空、レノボ、アラムコ)は、W杯だけでなくあらゆるFIFA大会に関与する長期契約で、投資額は1サイクルで100億円を軽く超えるとも言われる。
その下に「W杯2026スポンサー」9社がいる。ABインベブ、バンク・オブ・アメリカ、マクドナルド、ハイセンス(中国)、蒙牛乳業(中国)……。こちらも1社あたり65〜95億円規模の投資だ。
どこにも日本企業の名前はない。かつてはソニーがFIFAパートナーを務めていたが、2014年のブラジル大会を最後に撤退している。さらにさかのぼれば、キヤノン、富士フイルム、JVCといった日本企業が1990年代から2000年代にかけてピッチサイドを賑わせていた時代があった。
背景にあるのはFIFAの汚職スキャンダルだ。2014〜2015年にかけて「FIFAゲート」と呼ばれる大規模な贈収賄疑惑が発覚し、ソニーをはじめエミレーツ航空など世界の大手スポンサーが一斉に離脱した。日本企業だけが特別に臆病だったわけではない。ただ問題は、その後空いた席を中国・中東企業が埋めていき、日本企業だけが10年以上、戻るタイミングを逃し続けていることだ。
「北米開催だから日本企業には縁がない」は言い訳にならない
最初にこの話をしたとき、「北米開催だから米国市場を重視する企業が有利では」という話が出た。でも冷静に考えると、これは日本企業にも当てはまる。
トヨタはアメリカで何百万台も売っている。ソニーはハリウッドを傘下に持つ。パナソニック、任天堂、資生堂——いずれもアメリカで名前を売りたい理由は十分にある。北米開催だからこそ、出ていく理由があるはずなのに、誰も手を挙げていない。
FIFAスポンサーシップとは何か——その圧倒的な強さ
そもそもFIFAの公式スポンサーになるとは、どういうことか。単に「試合中継に看板が映る」という話ではない。
まずスタジアム内部では、ピッチサイドのLEDボード広告はもちろん、スタンド、スコアボード、座席、フェンス、さらにスタジアム上空の空域に至るまで、FIFA公式スポンサー以外のブランド表示は物理的に一切禁止される。映像に映るかどうかに関係なく、存在そのものが排除されるのだ。スタジアム名すら例外ではなく、AT&TスタジアムはダラスSスタジアム、SoFiスタジアムはロサンゼルススタジアムと、企業名を冠した名称が大会期間中はすべて地名に置き換えられる。
さらにスタジアム周辺にも「クリーンゾーン」が設定され、半径約3キロの範囲内では公式スポンサー以外による屋外での新規広告活動や販促が制限される。
つまりFIFAスポンサーシップとは、全104試合・6億人の視聴者への露出に加え、スタジアムの内外すべてを覆う商業的独占権を買うことだ。これほど強力な宣伝媒体は、スポーツの世界でもそう多くはない。FIFAが2026年大会のマーケティング権販売で約2600億円の収益を見込んでいることが、その価値を如実に物語っている。
中国・韓国企業はなぜ積極的なのか
ここで面白い対比が見えてくる。韓国のヒュンダイ・キアはFIFAパートナーとして長年君臨し、中国のハイセンスと蒙牛は第二層スポンサーとして今回のW杯に乗り込んできた。
彼らに共通するのは「まだ取っていない市場を取りに行く」という攻めの姿勢だ。ハイセンスはW杯参入前、欧米ではほぼ無名の家電メーカーだった。それがW杯スポンサーになることで、何十億人もの視聴者に一気に名前を刷り込む。これは広告費ではなく、成長投資の発想だ。
韓国・中国企業のもう一つの特徴は、スポーツスポンサーシップを国家ブランディングと連動させていることだ。企業の海外進出が国の威信とも結びついており、トップダウンで大きな意思決定ができる。
日本企業に欠けているもの
では日本企業はなぜ動かないのか。理由はいくつか重なっている。
「すでに有名」という罠。 トヨタもソニーも、すでにグローバルブランドとして確立されている。W杯に数百億円を投じなくても名前は知られている。だから「費用対効果が見えにくい」という判断になりがちだ。逆説的だが、有名であることが攻めの投資を阻んでいる。
リスクへの組織的な拒絶反応。 失われた30年を経て、日本の大企業には「前例のない巨額投資」を通しにくい稟議文化が染み付いている。W杯スポンサーは「試してみてダメなら撤退」という性質の投資ではない。数年単位のコミットメントに、社内合意を形成するのが難しい。
FIFAへの不信感。 2015年のFIFAゲート(汚職スキャンダル)以降、FIFAのガバナンスを問題視する声は日本企業の間でも根強い。イメージリスクを嫌う日本企業の体質とも合わさって、慎重姿勢が続いている。
日本企業のお金は、別の場所に流れている
誤解のないよう補足しておきたい。日本企業がサッカーにお金を出していないかというと、そうではない。トヨタ、キリン、花王など40社もの日本企業が、日本サッカー協会・日本代表チームのスポンサーについている。
これは批判されるべき話ではない。日本のファンに向けて日本代表を応援する——それは国内ブランディングとして至極まっとうな判断だ。
日本のファンがW杯で「日本が勝つストーリー」に熱狂するのも自然なことだ。WBCでも同じことが起きた。日本が優勝した瞬間は国中が沸いたのに、決勝のアメリカ対メキシコの試合はほとんど話題にならなかった。それはファンの性質として責められるものではない。
つまり、企業のマーケティング担当者からすれば、「日本が決勝トーナメントに進める保証がない大会に数百億円を投じるのは、費用対効果として説明がつかない」という判断は、極めて合理的なのだ。
しかし、一点だけ明確にしておきたい。それはあくまで「日本国内に向けた投資」であり、「世界に向けたグローバル発信」とは全く別物だということだ。W杯のFIFAスポンサーシップは、6億人が視聴する舞台で全104試合にわたって世界中に名前を刻む強力な宣伝媒体であることは先に述べた。しかし、日本企業はその手段を、今のところ選んでいないだけだ。
ただ、ヒュンダイがW杯スポンサーであることを韓国人が誇りに思い、ハイセンスが欧米市場で着実に名前を刻んでいく現実と比べたとき、見えてくるのは「グローバルなブランドはすでに育っている」という日本企業の過信かもしれない。投資しないのは消極的だからではなく、「もう十分だ」という思い込みが、攻めの発想を封じているのだとしたら——それこそが最も厄介な落とし穴だ。
実はハイセンスの戦略は、W杯スポンサーシップだけではない。2018年、ハイセンスは東芝のテレビ事業を買収し、REGZAというブランド名も開発スタッフもそのまま残した。「ハイセンス=格安」というイメージが根強い日本市場で、信頼と知名度を持つ日本ブランドをそっくり取り込んだのだ。結果、現在の国内テレビ市場シェア1位はREGZAである。W杯で世界にハイセンスの名を刻みながら、日本市場では日本の高級ブランドを傘下に収めてシェアを拡大する——二段構えの戦略だ。日本企業が手放したブランドと技術で、中国企業が日本市場のトップに立っているという現実は、「過信」という言葉の重さをより鮮明にする。
そもそも世界的スポーツイベントへの投資は、グローバルマーケティングの世界では定番の手法として確立されている。ハイネケン、ビザ、コカ・コーラといった企業がその効果を長年にわたって実証してきた。日本企業がその手法を国内では使いこなしながら、グローバルの舞台では選択していないのは、不思議な対比だ。単に投資体力の問題なのか。他に優先すべき戦略があるのか。あるいは大きな国内市場の防衛を最優先にした結果なのか。もしそうだとすれば、それは危険な守りかもしれない。
10年後、この差はどう出るか
WBCを思い出してほしい。日本が優勝した瞬間、スポンサー企業のCMが何度も流れ、ブランドイメージが爆発的に高まった。森保ジャパンは優勝を狙うと公言する。W杯でも同じことが起きる可能性は十分ある——ただし、FIFAのスポンサーに名を連ねている企業にだけ。
ハイセンスは今回のW杯で、欧米の一般消費者の頭に「あの家電メーカー」として刻み込まれる。10年後、彼らがグローバルブランドとして確固たる地位を築いたとき、日本企業はどこにいるだろう。
ただ、ここで一つ冷静に考えておきたいことがある。先に述べたように、日本企業がFIFAスポンサーシップへの不参加は合理的な判断でもあるかもしれない。
しかしその判断の裏に「自分たちのブランドはすでに世界に通用している」という過信があったとしたら、話は変わってくる。合理的に見えた選択が、実は根拠のない自信に支えられていただけだとしたら——そしてその「過信による不参加」が10年以上積み重なった結果、気づけばグローバルな舞台から日本企業の姿が消えていたとしたら、それは考えさせられる話である。
「守るものがある」ことは強さでもあるが、「攻めない理由」にもなってしまう。W杯のスタジアムに翻る看板の数だけ、その国の企業の野心が見える気がする。
ここで一つ、思い出してほしいことがある。サムスンもかつては「安物メーカー」というイメージと戦い続けた企業だった。それをオリンピックのスポンサーシップをはじめとするスポーツへの積極投資によって、世界的な高級ブランドへと作り変えていった。ハイセンスが今W杯でやっていることは、サムスンが20〜30年前にやったことと本質的に同じだ。そしてサムスンに追い抜かれたのはソニーであり、次にハイセンスに追い抜かれようとしているのもまた日本企業である。同じ歴史が、静かに繰り返されている。
ユニクロ、ソフトバンク、楽天——グローバル志向を明確に打ち出し、FIFAパートナーになってもおかしくない規模と野心を持つ日本企業は、確かに存在する。それでも誰も動いていない。ソニーが去った2014年以来、10年以上その席を埋めようとした日本企業は一社もなかった。次の大会では、野心を持った日本企業の看板が、あのピッチサイドに現れることを期待したい。
2026 FIFA World Cup 開幕にあたり
