W杯「日本の組織力は世界一」なのか?——リスク管理とリスク回避

サッカー

前回、W杯のピッチサイドに日本企業の名前が見当たらない、という話を書いた(こちら💁)。あれは単なる広告の話ではなかったのかもしれない。巨大な世界市場に向けて攻めに出ない日本企業。その姿は、ピッチの中の日本代表、そして日本社会全体の姿にもどこか重なって見える。

日本企業は、国内では強い。品質も高い。真面目で、丁寧で、組織もよく動く。けれど、世界の舞台で大きな勝負に出るかというと、なぜか腰が重い。リスクを取らない。前例を探す。失敗した時の説明を先に考える。

それって、サッカーの日本代表にも似ていないか?

そんなことを考えていたとき、日本対ブラジル戦で気になる言葉を聞いた。日本が1点をリードした場面で、アナウンサーが「日本の組織力は世界一」と言ったのだ。

正直に言えば、私はこの言葉が苦手だ。

そもそも、組織力とは何なのか。

全員が決められた場所にいることか。全員が同じ方向を向くことか。空気を読むことか。失敗しないように無難に動くことか。誰かが勝負しようとした時に、「チームの形を崩すな」と抑えることか。

日本がよく戦っていたことは間違いない。ブラジル相手に先制し、組織的な守備で苦しめた。だが、「組織力は世界一」とまで言ってしまうと、そこには日本社会特有のガラパゴス感がにじむ。

もしそういう意味なら、その組織力は強みではない。むしろ弱さである。

日本はスウェーデン戦で引き分け。日本がグループ2位でリーグ戦突破したとき、解説の本田圭佑が、最後に確かこう言った。
『おもんなかった(思い白くなかった)』
そして、日本は前半ブラジルの縦の攻撃は防いでいたが、後半から横に揺さぶられて負けた。もし日本がスウェーデンに負けてフランスと戦うことになっていたら、あの華麗なタテタテ攻撃を防ぐことができたか?それはそれで見てみたかった。


本当の組織力とは、個を抑えることではない

日本では、「個の力」と「組織力」が対立するもののように語られがちだ。

個人が目立つと、チームプレーではない。勝手なことをすると、組織を乱す。強い自己主張は、和を壊す。そんな感覚がどこかにある。

しかし、本当に強い組織は、個を抑える組織ではない。個の力を最大化するための組織である。

サッカーで言えば、ドリブルで一人を剥がす選手、難しい縦パスを入れる選手、遠くからシュートを打つ選手、相手の予想を外す動きができる選手。そういう個の力がまずある。その個の勝負を成立させるために、周囲が位置を取り、奪われた時に備え、セカンドボールを拾い、カウンターを止める。

これが本当の組織力だ。

逆に、個人が勝負しようとした時に、「取られたらどうする」「まず安全に」「無理をするな」と抑え込むなら、それは組織力ではない。個の力を平均化する仕組みである。

日本で「組織力」と言われるものの中には、実は「個人が目立たないようにする力」「責任を分散する力」「失敗を見えにくくする力」が混じっている気がする。実際にある解説者が「組織力と個の力の両方が必要なんですね」と話していたことすらあった。もちろん、全てがそうだとは言わない。しかし、この混同を放置したまま「日本の組織力は世界一」と言ってしまうと、問題の本質を見誤る。


スペインのヤマルは「勝手にやっている」のか

この違いを考える上で、スペインの18歳、ラミン・ヤマルは象徴的だ。所属クラブでも代表チームでもおそらく最年少の一人に違いない。それでも「勝手にやっている」ように見えるののだ。

右サイドでボールを持つ。相手と向き合う。間合いを測る(相手の重心を見ているらしい)。仕掛ける。中に入る。縦に抜く。ラインギリギリを走る。時には、まるで一人で勝手にプレーしているように見える。

だが、あれは「好き勝手にやらせている」のではない。スペインは、ヤマルが勝負できるようにチームを作っている。

ヤマルが1対1(または2、3)を仕掛ける。その背後には、奪われた時に備える選手がいる。中央にはボールを回収し、展開を作り直せる選手がいる。逆サイドは幅を取り、相手守備を広げる。チーム全体が、ヤマルの自由を支えている。

つまり、ヤマルは組織を乱しているのではない。組織が用意した自由の中で、相手を乱しているのだ。

ここに、本当の組織力がある。

良い組織は、個人に「勝手なことをするな」とは言わない。勝負できる個人に、勝負できる場所を与える。そして、失敗した時に周囲が支える。

悪い組織は逆だ。個人が勝負しようとすると、組織の名のもとに抑える。リスク管理の名のもとに止める。失敗しないように、安全な横パスを選ばせる。

それは、リスク管理ではなく、ただのリスク回避ではないか?

ちなみに、プロサッカー選手には、「市場価値」というものがあるらしい。企業の時価総額みたいんもんだ。それは他球団に移籍する時の移籍金の目安となるが、某サイトの調べではヤマルはノルウェーのハーランドと並んでトップ、約2億円ユーロ(約360億円)。ちなみに年棒とは無関係。


リスク管理とは、挑戦を止めることではない

「リスク管理」と言うビジネス用語が、サッカーも、最近よく聞くようになった。

この言葉自体は大切だ。攻撃している時にも、ボールを失った後のことを考えておく。サイドバックが上がれば、誰かがその背後を埋める。中央に縦パスを入れるなら、カットされた時に即時回収できる位置を取る。前に人数をかけるなら、カウンターを止める準備をする。

本来のリスク管理とは、リスクを消すことではない。リスクを取れる状態を作ることである。

もっとわかりやすく言えば、攻めるための保険だ。

ところが日本では、この言葉がしばしば逆に使われる。リスク管理と言いながら、実際にはリスクを取らない。危ないから仕掛けない。失うと怖いから縦に入れない。責任問題になるから無難に回す。

これは、サッカーだけの話ではない。

日本企業でも同じことが起きている。新しい市場に出るにはリスクがある。巨額投資にはリスクがある。海外でブランドを張るにはリスクがある。だから、稟議を重ね、前例を探し、失敗した時の言い訳を準備する。

そして最後には、「今回は見送る」という結論になる。

前回書いたW杯スポンサーの話も、ここにつながる。中国や韓国企業は、世界のピッチサイドに大きく名前を出している。そこには当然リスクがある。費用も大きい。効果が完全に保証されているわけでもない。

しかし、彼らはリスクを取っている。市場を取りに行くために、ブランドを刻みに行っている。

一方の日本企業は、国内では強く、品質も高く、知名度もある。だからこそ、「今さらそこまでしなくてもいい」と考える。だが、それは本当に合理的な判断なのか。それとも、単なるリスク回避なのか。

リスク管理とは、本来「失敗しても致命傷にならないように備えた上で、勝負すること」である。日本ではいつの間にか、「失敗しないために勝負しないこと」に変わってしまう。この違いは小さいようで、実は決定的だ。


「日本の組織力は世界一」が虚しい理由

だから私は、「日本の組織力は世界一」という言葉を素直に喜べない。

もしその組織力が、個人の勝負を支えるものならいい。リスクを取るための土台ならいい。ヤマルのような才能が出てきたとき、その才能を最大限に生かすための仕組みなら、それは誇っていい。

だが、もしそれが、個人を目立たせないための組織力ならどうか。失敗を避けるための組織力ならどうか。前例通りに動くための組織力ならどうか。空気を読んで、誰も責任を取らず、誰も大きく勝負しないための組織力ならどうか。

それは、世界一どころではない。むしろ、日本社会を弱くしてきたものではないか。

サッカーで言えば、個の力を発揮できる選手は昔より増えた。多くの選手が欧州リーグでプレーしている。技術も、経験も、身体能力も、確実に上がっている。

それでも、なぜか最後のところで突き抜けない。なぜか、強くなったはずなのに、圧倒的に強くなったようには見えない。

それは、個の力が足りないだけではないのかもしれない。個の力を発揮させる組織文化が足りないのかもしれない。

これは日本企業にも、そのまま当てはまる。

優秀な人材はいる。技術もある。品質もある。現場は真面目だ。だが、世界に向けて大きく張る決断ができない。突出した人材を自由に走らせる設計が弱い。失敗した時に支える仕組みより、失敗しないように止める仕組みが強い。

そうして、組織は整っているのに、突破力がない社会になる。


これからの日本社会に必要なもの

日本は、組織力を捨てる必要はない。

むしろ、本当の意味での組織力を取り戻すべきだ。

ただし、それは全員が同じ動きをすることではない。個人を平均化することでもない。空気を読ませることでも、失敗を避けることでもない。

個を抑える組織から、個を生かす組織へ

本当の組織力とは、強い個人が危険な勝負をできるように、周囲が支えることである。

サッカーで言えば、ヤマルのような選手がボールを持った時、「勝手なことをするな」と言うのではなく、「行け。取られたらこちらで拾う」と言えるチームである。

企業で言えば、尖った人材が新しい市場に挑む時、「前例はあるのか」と止めるのではなく、「失敗した時の被害を限定する仕組みを作るから、行ってこい」と言える組織である。

行政で言えば、変えない理由を探すのではなく、変えた時の混乱をどう抑えるかを考えることだ。

教育で言えば、はみ出さない子を育てるのではなく、はみ出した子が戻ってこられる場を用意することだ。

リスクを避ける管理から、リスクを取らせる管理へ

本当のリスク管理とは、挑戦を止めることではなく、挑戦を可能にすることである。

日本社会は、長く「失敗しないこと」を美徳にしてきた。だから、組織は整い、現場は真面目で、品質は高くなった。

しかし、世界が大きく動く時代には、それだけでは足りない。

失敗しない社会は、一見安全に見える。だが、挑戦しない社会は、少しずつ負けていく。

日本に必要なのは、リスクを避ける組織力ではなく、リスクを取らせる組織力ではないか。

「勇敢さ」を支える社会へ

もう一つ、今回のW杯で印象に残った場面がある。

イングランド対コンゴ民主共和国の試合だった。コンゴはイングランドを相手に先制し、強豪を追い詰めた。最後はイングランドが逆転したが、コンゴの戦い方には、単なる善戦では片づけられないものがあった。

そのハーフタイムだったと思う。正確な言葉ではないが、DAZNの実況か解説の方が、こんな趣旨のことを言っていた。

私がこういうことを言うのもなんですが……コンゴは勇敢ですね。我が国も、これからこういう勇敢な姿を見てみたいですね。

この言葉は、とても正直だと思った。

「日本の組織力は世界一」と自分たちを褒めるよりも、ずっと誠実な言葉に聞こえた。相手を見て、素直に認める。自分たちに足りないものを、悔しさを込めて言葉にする。そこには、変な自画自賛がない。

コンゴが見せた勇敢さとは、単に気合いの話ではない。強い相手にも前へ出ること。奪われるリスクを承知で仕掛けること。守るだけでなく、相手に恐怖を与えること。勝てる保証などなくても、勝ちに行く姿勢を見せること。

今回の日本代表の試合で、誰とは言わないがあ気になる解説者の言葉がよく聞かれた。リードしている時に『リスクをとらなくていい。できればカウンターでもう一点・・・』リスクを取らずして点が取れるような楽なゲームはそうそうないと思うが。

日本に足りないのは、案外そこなのかもしれない。

組織は整っている。守備も連動する。真面目に走る。戦術理解も高い。だが、最後に相手を怖がらせる「勇敢さ」が足りない。失敗しても仕掛ける個。奪われても前へ出る決断。空気を読まずに局面を壊す選手。それを許し、支えるチーム。

それはサッカーだけの話ではない。

日本社会にも、組織はある。管理もある。品質もある。真面目さもある。だが、勇敢さはあるのか。リスクを取る人を支える仕組みはあるのか。前へ出る人を、「勝手なことをするな」と止めずに、「行け、後ろは見る」と言える文化はあるのか。

コンゴの勇敢さを見て、「我が国もこういう姿を見たい」と言ったその言葉は、サッカーの感想であると同時に、日本社会へのかなり鋭い批評だったように思う。

「世界一」という言葉に酔わないために

以前のブログで私はこう書いた。しかし。それは90分戦う組織として成立するためには当然のことだったのかもしれない。サッカーは監督が選手にいちいち指示しながら戦うわけではないのだから。

「選手たちが主体的に考えて戦うチーム」「変化に柔軟に対応する」
目標を上から与えられたのではなく、選手たちが自分たちで設定した。この一点が、これまでの日本代表との決定的な違いでした。

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そして、「日本の組織力は世界一」と言って気持ちよくなる前に、問うべきことがある。

その組織は、個人を強くしているのか。
その管理は、挑戦を可能にしているのか。
そのチーム力は、才能を生かしているのか。

もし答えが曖昧なら、「世界一」という言葉は、ただの慰めである。

W杯のピッチサイドに日本企業の名前がないこと。ブラジル戦で「日本の組織力は世界一」と言ってしまうこと。リスク管理が、いつの間にかリスク回避になってしまうこと。

これらは別々の話ではない。

日本社会の同じ癖が、違う場所に現れているのだと思う。

守ることは大切だ。だが、守ることが攻めない理由になった時、その守りは危険になる。

日本がこれから本当に必要としているのは、「組織力」という言葉に酔うことではない。

個が勝負できる社会を、組織がどう支えるか。

その問いに向き合わない限り、日本の組織力は、世界一どころか、静かに時代遅れになっていく。


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