大いなる眠り|第五章 調査

大いなる眠り

『Brille Editor System ver.8』用の『BESファイル』を、ZIPファイルに圧縮して公開しています。(2026年4月18日現在未作成)

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大通りに|戻り、|ドラッグストアの|電話ボックスに|入って|アーサー・グウィン・ガイガーの|住所を|調べた。||ローレル・キャニオン大通り1から|入った|丘の|通り、|ラヴァーン・テラスに|住んでいた。||試しに|ニッケル硬貨を|入れて|電話を|かけてみた。||誰も|出なかった。||タウンページを|開いて|近くに|ある|古書店を|二軒|メモした。

最初の|店は|北側に|あった。||一階は|文具と|オフィス用品、|中二階に|本が|大量に|あった。||目当ての|店では|なさそうだった。||通りを|渡って|二ブロック|東へ|歩き、|もう一軒へ|向かった。||こちらの|ほうが|ぴったりだった。||床から|天井まで|本が|積み上がった|狭くて|雑然とした|小さな|店で、|四、五人の|客が|のんびりと|新刊の|カバーに|指紋を|つけながら|立ち読みしていた。||誰も|彼らに|構わなかった。||私は|奥まで|進んで|間仕切りを|抜け、|机で|法律書を|読んでいる|小柄な|黒髪の|女を|見つけた。

私は|財布を|机の|上に|開いて|置き、|フラップに|留めた|バッジ2を|見せた。||彼女は|それを|見て、|眼鏡を|外して|椅子に|もたれた。||私は|財布を|しまった。||聡明な|ユダヤ人女性の|繊細な|顔立ちだった。||彼女は|私を|見つめて|何も|言わなかった。


「少し|お願いが|あるんですが、|ほんの|小さな|お願いです」


「わかりません。||何ですか?」声は|なめらかで|少し|しゃがれていた。


「二ブロック|西の|向かいに|ガイガーの|店が|あるのを|ご存知ですか?」


「通ったことが|あるかもしれません」


「本屋です」と|私は|言った。||「あなたの|店のような|本屋では|ないが。||ご存知のはずです」


彼女は|唇を|少し|曲げて|何も|言わなかった。


||「ガイガーを|見た|ことが|ありますか?」と|私は|聞いた。


「申し訳ありませんが|ガイガーさんは|存じません」


「では|どんな|顔か|教えていただけませんか?」


唇が|もう少し|曲がった。


「何か|理由が|あるのですか?」


「理由は|ありません。||嫌なら|強制は|できません」

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彼女は|間仕切りの|扉の|向こうを|見てから、|また|もたれた。


「それは|保安官の|星形バッジ3でしたね?」


「名誉代理保安官4です。||何の|意味も|ない。||十セントの|葉巻ほどの|価値も|ない」


「なるほど」


彼女は|煙草の|箱に|手を|伸ばして|一本を|押し出し、|唇で|挟んだ。||私は|マッチを|擦った。||彼女は|礼を|言い、|また|もたれて|煙越しに|私を|見た。||慎重に|言った。


「彼の|顔を|知りたいが、|本人には|会いたくない|ということ?」


「今は|不在です」と|私は|言った。


「いずれ|戻るでしょう。||なにしろ|彼の|店ですから」


「まだ|会いたくないんです」と|私は|言った。


彼女は|また|開いた|戸口の|向こうを|見た。||私は|言った。


「希少本について|ご存知ですか?」


「聞いてみてください」


「ベン・ハー|1860年版、|三版、|116ページに|重複した|行が|ある|ものを|お持ちですか?」


彼女は|黄色い|法律書を|脇に|押しやり、|大きな|本を|机の|上に|引き寄せて|ページを|めくり、|該当する|ページを|見つけて|確認した。


「誰も|持っていません」と|目を|上げずに|言った。||「そんなものは|存在しません」


「正解です」


「一体|何が|言いたいんですか?」


「ガイガーの|店の|女は|それを|知らなかった」


彼女は|目を|上げた。


「なるほど。||少し|興味が|わいてきました。||ぼんやりとですが」


「私は|ある|事件を|調査している|私立探偵です。||聞きすぎたかもしれません。||私には|たいした|ことでは|ないように|思えたんですが」


彼女は|柔らかい|灰色の|煙の|輪を|吹き、|指を|突っ込んだ。||輪は|細い|煙の|糸に|なって|崩れた。||滑らかに、|無関心に|話した。


「四十代の|前半でしょう。||中背で|太り気味。||体重は|七十キロほど。||丸い|顔に|チャーリー・チャンのような|口髭、|太く|柔らかい|首。||全体的に|ぶよぶよしている。||身なりは|いい。||帽子を|かぶらず、|骨董品の|知識が|あるふりを|しているが|実際は|ない。||ああ、|そうそう。||左目が|義眼です」


「いい|刑事に|なれますよ」と|私は|言った。

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彼女は|参考書を|机の|端の|開いた|棚に|戻し、|前に|置いた|法律書を|また|開いた。


「なりたくありません」と|彼女は|言った。||眼鏡を|かけ直した。


私は|礼を|言って|立ち去った。||雨が|降り始めていた。||包んだ|本を|脇に|抱えて|走った。||車は|ガイガーの|店の|ほぼ|真向かいの|大通りに|面した|脇道に|停めてあった。||たどり着く|前に|かなり|濡れた。||車に|飛び込んで|両方の|窓を|上げ、|ハンカチで|包みを|拭いた。||それから|開けた。

だいたい|何か|わかっていた。||丈夫な|製本で|上品に|仕立てられた|重い|本だった。||上質な|紙に|活版で|美しく|印刷されていた。||全ページの|芸術的な|写真が|ふんだんに|盛り込まれていた。||写真も|本文も|言葉に|できないほど|猥褻なものだった。||本は|新しく|なかった。||見返しに|貸出と|返却の|日付が|スタンプで|押されていた。||貸出記録帳。||精巧な|猥褻本の|貸本屋だった。

私は|本を|包み直して|座席の|後ろに|施錠して|しまった。||大通りの|目立つ|場所で|こんな|商売を|堂々と|やっているとなると、|相当な|後ろ盾が|あるはずだ。||私は|そこに|座って|煙草の|煙で|自分を|毒しながら|雨音を|聞き、|考えた。

  1. ローレル・キャニオン大通り(Laurel Canyon Boulevard)は、ロサンゼルスのハリウッドヒルズにある実在の道路です。
    ハリウッドとサンフェルナンド・バレーを結ぶ山道で、ハリウッド大通りから北へ向かって丘陵地帯を抜けていきます。1930年代当時から映画関係者や芸術家が多く住む個性的なエリアとして知られていました。
    ガイガーが「ローレル・キャニオン大通りから入ったラヴァーン・テラス」に住んでいるという設定は、ハリウッドの丘の上の静かで人目につきにくい住宅街というイメージを与えています。怪しい商売をしている人物が身を隠すのに適した場所という意味でも、チャンドラーが意図的に選んだ地名と言えます。
    現在もローレル・キャニオンはロサンゼルスの中でも独特の雰囲気を持つ地区として知られており、1960〜70年代にはジム・モリソンやジョニ・ミッチェルなど多くのミュージシャンが住んでいたことでも有名です。
    ↩︎
  2. フラップに|留めた|バッジ(the buzzer pinned to the flap)とは、「buzzer」は私立探偵や警察官が持つ金属製の身分証明バッジのことで、当時のアメリカの俗語です。「フラップ」は財布の折り返し部分のことで、そこにバッジを留めて携帯していました。
    財布を開くとバッジが見える形になっており、さっと見せることで「私は探偵です」と素早く身分を示せる仕組みです。現代の警察官が手帳と一緒にバッジを見せるのと同じです。
    1930年代のカリフォルニアでは私立探偵は免許制でした。州の許可を得てバッジを携帯することができ、一定の法的地位を持っていました。
    ただし社会的な信用については複雑で、二面性がありました。
    信用される面としては、元警官や元捜査官が開業することが多く、法律知識と捜査経験を持つ専門家として企業や弁護士から依頼を受けていました。マーロウ自身も元地区検事局の捜査員という経歴を持っています。
    信用されない面としては、ヴィヴィアンが「ホテルを嗅ぎ回る脂ぎった小男」と言ったように、浮気調査や盗撮などの低俗な仕事をする探偵も多く、社会的な評判は決して高くありませんでした。
    この古書店の女主人がバッジを見ても冷淡な態度を崩さなかったのも、私立探偵に対する当時の一般的な警戒心を反映しています。警察のバッジとは異なり、私立探偵のバッジには法的な強制力はなく、協力を求める手段に過ぎませんでした。
    ↩︎
  3. 「保安官の|星形バッジ」の原文は “a sheriff’s star” です。
    アメリカの保安官(sheriff)や副保安官(deputy)が携帯する星形の金属製バッジです。五角星または六角星の形をしており、アメリカの西部劇でおなじみの「シェリフのバッジ」そのものです。
    マーロウが持っているのは「名誉代理保安官(Honorary deputy)」のバッジで、実際の権限は何もありません。当時のカリフォルニアでは地域の有力者や友人に対して名誉職として保安官代理の称号とバッジを与える慣習があり、マーロウはそれを身分証代わりに使っていたわけです。
    先ほど見た画像の財布の左側にあった金色の丸いバッジがこれに相当しますが、実際の保安官バッジは星形なので、画像は少し異なる形になっていました。 ↩︎
  4. 名誉代理保安官(Honorary deputy)」のバッジは、かなり広く配られていました。
    1930年代のカリフォルニアでは、名誉代理保安官のバッジは政治的な贈り物として日常的に使われていました。保安官は公選職であるため、支持者や寄付者、地域の有力者、ジャーナリスト、ビジネスマンなどに対して選挙運動の一環として名誉バッジを配ることが慣行になっていました。
    つまり実態としては選挙運動のノベルティグッズに近いもので、受け取った人間が本当に保安官の職務を行う権限は全くありませんでした。
    マーロウが「十セントの葉巻ほどの価値もない」と自嘲しているのも、このバッジが実際には大して珍しくも権威あるものでもないことをよく知っているからです。
    ただし一般市民の目には保安官の星形バッジは依然として権威の象徴として映るため、マーロウのような私立探偵が身分証代わりに使うのに便利な小道具でした。チャンドラーはこの一言でアメリカの政治文化の腐敗した側面もさりげなく描いています。
    ↩︎