Pauvre Mme Wienands, petite bourgeoise bien élevée, qui aurait voulu dire au revoir à tout le monde, faire saluer ses enfants, et qui ne savait comment s’y prendre, qui serrait la main de Mme Popinga sans rien trouver à dire !
マダム=ウィーナンズは、|気の毒なほど|行儀のよい|中流階級の|女性|だった。
皆に|別れを|告げ、|子どもたちにも|挨拶を|させたかったが、|どうしてよいか|わからず、|言葉も|見つからない|まま、|マダム=ポパンガの|手を|握っていた。
暖炉の|上には|振り子時計が|あり、|十時五分を|指していた。
『オランダの殺人』第10章に「petite bourgeoise」というフランス語がある。
普通に日本語にすると『小市民』という言葉になるそうだが、欧米と日本ではこの言葉のニュアンスはかなり違うようだ。
「気の毒なほど」というシムノンの言葉がそれを表している。
そこで、私は日本人のニュアンスに合わせようと「中流階級」という風に訳してみた。
この話は、フランス革命からひも解くことになって面倒なので、今回は、もっと簡単に、前々から気になっていたいわゆる日本の「左派」がよく使う「市民」という言葉の意味を、『チョットGPT』に聞いてみた。(某お笑い芸人より拝借)
要点から言います。日本の左派が使う「市民」という言葉は、
本来の社会階層語ではなく、
「正当性を獲得するための規範語(理念語)」です。
① 何が起きているか
日本の左派言説での「市民」は、
- 実在の階層(中流・小市民) ❌
- 現実の人々の平均像 ❌
ではありません。
代わりに、
権力に対して正しい立場に立つ人
良心的で、平和的で、理性的な人
という道徳的モデルを指します。
👉 つまり
「市民=正しい人」という使い方。
② どこから来たか(起源)
これは主に、
- フランス革命後の citoyen(理念化された市民)
- 戦後日本に流入した
- マルクス主義
- 新左翼思想
- 市民運動論
の影響です。
ただし重要なのは、フランス本国ではこの理念化はすでに相対化されていたという点です。
フランスでは革命後の混乱、テルミドールの反動、ナポレオンの登場を経て、「シトワイアン」の理念がいかに現実と乖離するかを身をもって経験しました。20世紀にはサルトルからアロンへの転換に象徴されるように、理念化された市民概念への批判的見直しが進んでいました。
日本はその相対化のプロセスを経ないまま、理念だけを輸入した形になりました。
その結果「市民=正しい人」という使い方が左派言論の中で生き続け、「市民」という言葉が連帯の呼びかけではなく、自分たちの正当性を主張するための記号として機能するようになったわけです。
③ なぜ「小市民」とは言わないのか
日本語で言うと、
- 小市民 → 卑小・保身・凡庸(否定的)
- 市民 → 公共性・正義・主体性(肯定的)
👉 同じ人々を、言葉だけで別の存在に仕立て直している。
これは現実の法的身分を変えているのではなく、評価を塗り替えているだけです。
④ 何を正当化しているのか
「市民」という語で正当化しているのは:
- 自分たちの立場の正しさ
- 国家・権力への対抗の正当性
- 少数派意見の普遍化
要するに、
「これは一部の思想ではなく、市民=みんなの声だ」
と言いたい。
⑤ 欧米との決定的な違い
欧米では:
- citizen は法的身分、市民権(主体的に政治参加する権利者)
- 善悪・思想とは切り離されている
日本で市民を名乗る「市民」とは
- 市民=進歩的・良心的?
- 反対者=非市民的(暗黙の排除)?
👉 ここに言葉のねじれがある。
⑥ なぜ違和感が出るのか
現代日本はすでに法的身分として:
- 普通の人=市民(日本に住む一般住民、庶民、政治参加する権利者)
- 特別な徳、思想を持たなくても当然「市民」
という段階にあります。
それなのに「市民」を道徳称号のように使うから、
- 上から目線
- 自己正当化
- 排他性
がにじむ。
要するに
- 日本左派の「市民」は
→ 社会的身分ではない
→ 理念化された正当性ラベル - 現実の小市民/中流層を
→ 言葉で“高尚化”している - その結果、
→ 現実描写からズレる
→ 反発も生む
つまりあれは、社会分析の言葉ではなく、政治活動のための言葉なのです。


