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帽子が|引き上げられた|場所の|近くには、|小さな|人だかりが|できていた。||だが、|警部は|マシェールを|引っぱるようにして、|橋のほうへ|歩いていった。


「あなたは|あの|ハンマーのことを|話してくれなかった。||それを|知っていれば、|当然」

「一日中、|何を|していた?」
すると、|警部補は|叱られた|小学生のような|顔を|した。

「ナミュールへ|行っていました。||マリア・ペーテルスの|捻挫を|確かめようと|思って」

「それで?」

「中へ|入れてもらえませんでした。||修道女の|修道院に|行き当たりまして、|彼女たちは|私を、|スープに|落ちた|コガネムシでも|見るように|見ていました」

「食い下がったのか?」

「脅しまで|かけました」
メグレは|おかしそうな|笑いを|こらえていた。||橋の近くで、|自動車の|貸し出しを|している|ガレージに|入り、|ナミュールまで|行くために、|運転手つきの|車を|頼んだ。
ムーズ川に|沿って、|行きが|五十キロ、|帰りが|五十キロだった。

「お前も|来るか?」

「行くんですか?||ですから、|入れてもらえないと|言ってるでしょう。||それに、|今では|ハンマーも|見つかったわけですし」

「わかった!||他のことを|しろ。||お前も|車を|一台|借りて、|二十キロ以内の|小さな駅を|全部|回れ。||船乗りが|そこで|列車に|乗っていないか|確かめるんだ」
そして、|メグレの|車は|走り出した。||クッションに|しっかり|身を沈め、|警部は|満ち足りたように|パイプを|ふかした。||景色の中で|彼の目に|入るのは、|車の両側に|星のように|散らばる|いくつかの|明かりだけだった。

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マリア・ペーテルスが|ウルスラ会の|修道院が|経営する|学校で|教師を|していることは|知っていた。||ウルスラ会は|宗教界の|序列では|イエズス会に|相当する、|つまり|ある意味で|教育界の|貴族というべき|存在だと|いうことも|知っていた。||ナミュールの|学校には|地方の|上流階級の|子供たちが|通っているはずだった。

そう考えると、|マシェール警部補が|修道女たちと|押し問答し、|なんとか|入ろうとして、|ましてや|脅しまで|かけたと|想像するのは|なかなか|おかしかった。
修道女たちを|どう呼んだのか|聞くのを|忘れた。||メグレは|想像した。||きっと『奥様がた』とか、|あるいは『お姉様がた』とでも|言ったのだろう。
メグレは|大柄で|がっしりして|肩幅も|広く|顔も|怖かった。||それでも|石畳の間に|草の|生えた|地方の|小さな|路地の|修道院の|扉を|叩くと、|開けた|修道女は|少しも|怯えなかった。

「院長に|お目にかかりたい!」と、|彼は|言った。
「礼拝中です。||でも|お祈りが|終わり次第」
応接室に|通された。||ペーテルス家の|食堂など|汚くて|散らかって|いるように|思えるほど|清潔だった。||床に|自分の|姿が|映り|まるで|鏡のようだった。||何より、|どんな|小さな|ものも|動かしようがなく、|椅子は|それぞれ|何年も|同じ場所に|置かれ、|暖炉の時計は|一度も|止まらず、|進みも|遅れも|したことが|ないと|感じられた。
石畳の廊下を|滑るような|足音が|聞こえ、|ときどき|囁く声が|した。||やがて|遠くから、|柔らかな|オルガンの|歌声が|聞こえてきた。
司法警察の|同僚たちが|見たら|驚いたことだろう。||メグレが|すっかり|くつろいでいるのを。||院長が|入ってくると、|ウルスラ会の|修道女に|対する|正しい|呼び方で|静かに|挨拶した。


「マ・メール(私の|お母さま)」
院長は|両手を|袖の中に|入れて|待っていた。

「お邪魔して|申し訳ありません。||こちらの|先生の|お一人に|面会の|許可を|いただきたいのです。||規則に|反することは|承知しています。||しかし|人の|命、|少なくとも|自由に|かかわることですので」
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「あなたも|警察の|方ですか?」

「刑事が|訪ねてきたと|思いますが?」

「警察と|名乗る男が|来て|大騒ぎして、|後で|思い知らせてやると|叫んで|帰りました」
メグレは|お詫びして、|落ち着いて|礼儀正しく、|謙虚な態度を|崩さなかった。||うまく|言葉を|選んで|話すと、|しばらくして|修道女が|マリア・ペーテルスに|呼び出しを|伝えに行くよう|命じられた。

「大変|優秀な|方だと|伺っていますが、|マ・メール?」
「彼女については、|褒め言葉しか|申し上げられません。||初めのうち、|司祭と|私は、|彼女を|受け入れることに|迷っていました。||ご両親の|商売のためです。||食料品店のことでは|ありません。||お酒を|出していることです。||けれども、|そこは|目をつぶりました。||そして、|彼女を|受け入れて|本当に|よかったと|思っています。||昨日、|階段を|下りるときに、|彼女は|足首を|捻挫しまして、|それ以来|横になっています。||自分の|せいで、|私どもが|困っていると|たいそう|気に病んでいます」
修道女が|戻ってきた。||メグレは|彼女の|あとについて、|果てしなく|続く|廊下を|歩いた。||途中で、|同じ|服装をした|生徒たちの|一団に|何度か|出会った。||細かい|ひだの|黒い|ワンピースに、|首には|青い|絹の|リボンを|巻いていた。

ようやく、|三階で、|ひとつの|扉が|開いた。||修道女は、|自分が|出ていくべきか、|残るべきか、|迷っていた。

「外してくれるか、|シスター」
ごく|簡素な|小部屋だった。||油性塗料で|塗られた|壁には、|黒い|額に|入った|宗教画の|石版画と、|大きな|十字架が|掛けられていた。
鉄の|ベッド。||毛布の|下には、|やせた|人影が、|かろうじて|それと|わかるだけだった。
メグレには|顔が|見えなかった。||彼に|何か|言うものは|誰も|いなかった。||扉が|閉まると、|彼は|濡れた|帽子と、|厚い|外套を|持て余しながら、|しばらく|その場に|立ったままだった。
やがて、|押し殺した|すすり泣きが|聞こえた。||だが、|マリア・ペーテルスは|相変わらず|頭を|毛布の中に|隠し、|壁の|ほうを|向いたままだった。

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「落ち着きなさい」と|彼は|自然に|つぶやいた。
「妹の|アンナから|聞いているはずだ。||私は|どちらかといえば|味方だ」
だが、|それで|若い娘が|落ち着くことは|なかった。||それどころか、|今では|彼女の|体は|本物の|神経性の|けいれんで|揺れていた。

「医者は|何と言ってる?||どのくらい|寝ていなければ|ならないんだ?」
見えない|相手に|こんなふうに|話しかけるのは、|気まずかった。||まして、|メグレは|まだ|彼女を|見たこともなかった。
すすり泣きの|間隔が|あいてきた。||彼女は|落ち着きを|取り戻そうと|しているようだった。||鼻を|すすり、|手が|枕の|下で|ハンカチを|探した。

「なぜ|そんなに|神経質に|なっているんだ?||院長は|今しがた、|君を|どれほど|高く|評価しているか|話してくれたぞ」

「放っておいてください!」と|彼女は|叫んだ。
その|同じ|瞬間、|扉が|ノックされ、|院長が|入ってきた。||まるで、|口を出す|タイミングを|はかっていたかのようだった。

「失礼いたします。||私どもの|マリアは、|とても|感じやすい|娘だと|わかっておりますので」

「いつも|こうなのですか?」

「繊細な|性質なのです。||捻挫の|せいで|動けなくなり、|少なくとも|一週間は|授業が|できないと|知ったとき、|絶望の|発作を|起こしました。||マリア、|お顔を|見せなさい」
すると、|若い娘は、|何度も|首を振って|断っていた。

「もちろん、|承知しております」と|院長は|続けた。
「世間の|人々が、|彼女の|家族に|どのような|非難を|向けているかを。||私は、|真実が|早く|明らかに|なりますよう、|三度の|ミサを|あげさせました。||マリア、|私は|先ほども、|儀式の中で|あなたのために|祈ってきたところです」

彼女は|ようやく|顔を|見せた。||とても|やつれた|青白い|小さな|顔だった。||熱と|涙の|せいで、|赤い|斑点が|浮いていた。
彼女は|アンナには|まったく|似ていなかった。||むしろ|母親に|似ていた。||母親ゆずりの|繊細な|顔立ちでは|あったが、|残念なことに|あまりに|不ぞろいで、|きれいとは|言えなかった。||鼻は|長すぎ、|尖っており、|口は|大きく|薄かった。

「申し訳ありません」と|彼女は|ハンカチで|目を|押さえながら|言った。
「私、|神経が|張り詰めていて。||それに、|私が|ここで|寝ている間も|家族は。||あなたが|メグレ警部ですか?||弟には|会いましたか?」
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「別れてから|一時間も|たっていない。||君の|家に|いた。||アンナと、|従妹の|マルグリットと|一緒だった」

「弟は|どんな|様子でした?」

「とても|落ち着いている。||自信を|持っている」
また|泣き出すのだろうか?||院長は|目で|メグレを|促していた。||彼が|病人の気分を|害さないように|落ち着きと|威厳をもって|話しているのを|見て、|彼女は|満足していた。

「アンナから|聞いたが、|君は|修道女になる|決心を|しているそうだな」
マリアは|また|泣いていた。||隠そうとさえ|しなかった。||彼女には|気取りが|まったく|なく、|涙で|光り、|腫れた|顔を|そのまま|見せていた。

「それは|私どもが|長い|あいだ|待っていた|決心です」と|院長は|つぶやいた。
「マリアは|俗世よりも、|信仰のほうに|属している|人間ですから」
発作が|また|始まった。||すすり泣きが、|やせた|喉の|奥から|苦しげに|こみ上げてきた。||体は|震え続け、|両手は|毛布を|つかんでいた。

「お分かりでしょう。||先ほど、|あの|男の方を|上げなかったのは、|やはり|正解でした!」と|院長は|低い|声で|言った。
メグレは|相変わらず|立っていた。||外套を|着たままで、|そのために|いっそう|大きく|見えた。||彼は|その|小さな|ベッドと、|取り乱した|若い娘を|見つめていた。

「医者には|診てもらったんですか?」

「はい。||捻挫は|何でもないと|言っています。||重いのは、|そのあとに起きた|神経の|発作です。||そっとして|おきましょうか?||落ち着きなさい、|マリア。||メール・ジュリエンヌを|呼びます。||そばに|ついていて|もらいましょう」
メグレが|最後に|目にしたのは、|白い|ベッド、|枕の|上に|散った|髪、|そして、|彼が|後ずさりしながら|扉の|ほうへ|向かう|あいだ、|じっと|彼を|見つめていた|片方の|目だった。
廊下で、|院長は|低い声で|話し、|磨かれた|床の上を|すべるように|進んでいった。

「もともと|あまり|丈夫では|ありませんでした。||この騒ぎで|神経が|参ってしまい、|階段で|転んだのも、|きっと|その|動揺の|せいでしょう。||弟のことで、|家族のことで、|恥ずかしいと|感じているのです。||こんなことでは、|自分は|もう|私どもの|修道会に|入れないだろうと、|何度も|言っていました。||何時間も|天井を|見つめたまま|ぐったりして|何も|食べないことが|あります。||それから、|これといった|理由もなく、|発作が|起きます。||注射をうって|落ち着かせています」
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一階に|着いた。

「この件について|どう|お考えか|お聞きしても|よろしいですか、|警部さん?」

「お聞きいただいても|結構ですが、|お答えするのが|難しい。||正直に|申し上げると|何も|わかっていません。||明日になれば」

「明日に|なれば?」

「マ・メール、|お礼と|お詫びを|申し上げるだけです。||その後の様子を|お電話で|伺っても|よろしいでしょうか?」
やっと|外に|出た。||雨を|たっぷり含んだ|冷たい空気を|吸い込んだ。||歩道の端に|停まっている|タクシーが|見えた。

「ジヴェまで!」
のんびりと|パイプに|タバコを|詰め、|シートの奥に|深く|もたれた。||ディナン近くの|曲がり角で|道路標識が|目に|入った。
「ロシュフォールの洞窟」
キロ数を|読む|時間は|なかった。||ただ|脇道に入る|闇の中を|しばらく|見つめただけだった。||そして|ある|美しい日曜日を|思い浮かべた。||観光客で|満員の|列車、|二組の|カップル:|ジョゼフ・ペーテルスと|ジェルメーヌ・ピエドブフ。||そして|アンナと|ジェラール。
暑かったはずだ。||帰りには|乗客たちは|きっと|野の花を|腕いっぱいに|抱えていただろう。
車内で|アンナは|傷つき、|動揺し、|途方に暮れて、|自分の|すべてを|変えてしまった|男の|視線を|うかがって|いたのかもしれない。
そして|ジェラールは|陽気で|はしゃいで、|冗談を|飛ばして、|その|午後の|出来事の|重大さ、|ほぼ|取り返しのつかない|性質を|理解できなかった。
彼は|アンナに|会おうとしたか?||その関係は|続いたか?

「いや!」と|メグレは|自分に|答えた。
「アンナは|わかっていたはずだ!||一緒にいた|男に|幻想を|抱かなかった!||翌日には|もう|避けていたに|違いない」
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そして|メグレは、|アンナが|秘密を|抱えたまま、|その|抱擁の|結果を、|おそらく|何か月も|恐れつづけ、|男という|男|すべてに|激しい|憎しみを|向けている姿を|思い描いた。

「ホテルまで|お送りしましょうか?」

もう|ジヴェだった。||ベルギー国境と、|カーキ色の|制服を|着た|当直の|税関員。||フランス国境。||ペニッシュ。||フランドル人の|家。||ぬかるんだ|河岸。
メグレは|ポケットの中に|重い物が|あるのに|気づいて|驚いた。||手を|入れると、|もう|忘れていた|ハンマーが|出てきた。
車が|停まる|音を|聞きつけた|マシェール警部補が、|カフェの|入口に|立って、|メグレが|運転手に|料金を|払うのを|見ていた。


「中へ|入れてもらえましたか?」

「当たり前だ!」

「驚きました!||正直なところ、|私は|彼女は|そこに|いないと|思ってましたから」

「どこに|いると|思ったんだ?」

「わかりません。||私は|もう|何が何だか。||とくに|ハンマーが|出てからは。||さっき、|誰が|私のところへ|来たか、|わかりますか?」

「船乗りか?」
メグレは|店内に|入り、|ビールを|一杯|注文して、|窓際に近い|隅の席に|腰を下ろした。

「惜しい!||まあ、だいたい|同じようなものです。||来たのはジェラール・ピエドブフです。||私は|車で|駅を|ひと回りしましたが|何も|見つかりませんでした」

「それで|あの男の|行き先を|教えに|来たのか?」

「少なくとも、|ジヴェ駅で|四時十五分の|列車に|乗るのを|見た者が|いると|言ってきました。||ブリュッセル行きの|列車です」

「誰が|見た?」

「ジェラールの|友人です。||その男を|連れてきてもいいと|言ってました」

「お二人分、|用意しましょうか?」と|主人が|尋ねた。


「ああ、|いや、|どちらでもいい」
メグレは|むさぼるように|ビールを|飲んでいた。

「それだけか?」

「それで|十分じゃ|ないですか?||本当に|駅で|見られていたなら、|あの男は|死んでいないと|いうことです。||それに|何より、|逃げていると|いうことです。||逃げているなら」

「そういうことだな」

「あなたも|私と|同じ|考えなんですね!」
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「何も|考えていないよ、|マシェール!||暑い。||寒い。||ひどい|風邪を|ひいたらしい。||それに、|飯を|食わずに|寝てしまおうか、|考えているところだ。||ウェイター、|もう一杯|ビール!||いや、|やっぱり|グロッグだ。||ラムを|たっぷり|入れてくれ」

「彼女は|本当に|捻挫していましたか?」
メグレは|答えなかった。||暗い顔を|していた。||心配|しているようにさえ|見えた。

「結局、|予審判事は|君に|白紙の|逮捕状を|渡したんだな?」

「はい。||ただ、|小さな|町の|気質がありますから、|かなり|慎重にやるようにと|言われました。||決定的なことを|する前には、|電話してほしいそうです」

「それで、|君は|どうする?」

「もう|ブリュッセルの|警察当局に|電報を|打ちました。||列車を|降りたところで、|あの|船乗りを|逮捕してもらいます。||それから、|ハンマーを|こちらに|渡していただく|必要が|あります」

数人の|客が|ひどく|驚くなか、|警部は|ポケットから|その|品を|取り出し、|大理石の|テーブルの上に|置いた。

「それだけか?」

「あなたにも|証言していただく|必要があります。||見つけたのは|あなたですから」

「いや、|違う、|違う。||ハンマーは、|世間的には|君が|見つけたことに|する」

マシェールの|目が|喜びに|輝いた。

「感謝します!||昇進に|有利になります」

「ストーブの|そばに、|二人分|用意しましたよ!」と|主人が|告げた。

「ありがとう!||俺は|寝る!||腹は|減っていない」
そして|メグレは、|同僚と|握手してから、|自分の|部屋へ|上がっていった。
二日間、|湿った|服を|着たまま|歩きまわり、|着替えの|背広も|持ってきていなかったので、|おそらく|冷えたのだろう。
彼は|疲れきった|男のように|横になった。||たっぷり|三十分ほど、|網膜の|上を|疲れる|速さで|通り過ぎていく|ぼんやりした|映像と|闘っていた。

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日曜日の朝、|彼が|一番早く|起きたのは|確かだった。||カフェには|パーコレーターに|火を|つけて|挽いたコーヒーを|上の部分に|セットしている|ウェイターしか|いなかった。
町は|まだ|眠っていた。||夜に|ようやく|夜明けが|続こうとしているだけで、|街灯は|まだ|ついたままだった。||一方、|川の上では、|一艘の|はしけ船から|別の|はしけ船へ|声を|かけあって|もやい綱|投げ合い、|一艘の|曳き船が|列の先頭に|つこうとしていた。

新たな|船団が|ベルギーと|オランダへ|向かって|出発していた。
雨は|降っていなかった。||だが、|霧雨が|肩に|水の|小さな粒を|置いていった。
どこかで、|教会の鐘が|鳴っていた。||フランドル人の|家の窓に|明かりが|一つ。||それから|扉が|開いた。||ペーテルス夫人が、|慎重に|扉を|閉め、|布張りの|ミサ典書を|手に、|急ぎ足で|出かけていった。1

メグレは|午前中を|ずっと|外で|過ごした。||ときおり|カフェに|入り、|一杯の|アルコールを|飲んで|体を|温めるだけだった。||事情に|通じた|人たちが、|まもなく|凍りつくだろう、|洪水に|浸かった|地域では|大惨事に|なるだろうと|言っていた。
七時半には、|ミサから|戻った|ペーテルス夫人が、|店の雨戸を|外し、|台所で|火を起こした。
九時ごろになって|ようやく、|ジョゼフが|ほんの|一瞬、|戸口に|姿を|見せた。||つけ襟も|つけず、|まだ|顔も|洗わず、|髭も|剃っておらず、|髪も|乱れていた。
十時に、|彼は|アンナと|ミサへ|出かけた。||アンナは|ベージュの|厚手のウールの|新しい|コートを|着ていた。
カフェ・デ・マリニエでは、|船乗りたちが|到着を待つ|曳き船が、|その日のうちに|船団を|連れて|ふたたび|出発できるか、|まだ|わかっていなかった。||それで、|船乗りたちは|そこに|居座り、|ときどき|外へ出て、|川下のほうを|眺めていた。
ジェラール・ピエドブフが|家を出たのは、|正午近くに|なってからだった。||日曜の服を|着て、|黄色い靴を|履き、|明るい色の|フェルト帽を|かぶり、|手袋を|していた。||彼は|メグレの|すぐそばを|通った。||最初は、|声を|かけないで|おこう、|挨拶さえ|しないで|おこうと|思ったに|違いない。

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だが、|ジェラールは|見栄を張りたい|気持ち、|あるいは|本音を|吐き出したい|気持ちを|抑えきれなかった。

「僕が|邪魔なんでしょう?||僕のことが|嫌いなんでしょうね」
彼の|目の下には|疲れが|出ていた。||市役所前カフェでの|騒ぎ以来、|彼は|不安の中で|暮らしていた。
メグレは|肩を|すくめ、|背を|向けた。||そして、|助産婦が|子供を|乳母車に|乗せ、|それを|町の中心のほうへ|押していくのが|見えた。
マシェールは|姿を|見せなかった。||メグレが|彼に|会ったのは、|一時|少し前に|なってからで、|しかも|場所は|まさに|カフェ・ド・ラ・メリー(市役所前)だった。||ジェラールは|別のテーブルに|いて、|先日の夜の|二人の女友達と|友人と|一緒だった。

一方、|マシェールは、|三人の男に|囲まれていた。||警部は|その男たちを|どこかで|見たような|気がした。

「助役、|警察署長、|その秘書です」|と|警部補は|紹介した。
全員が|日曜の服装で、|アニス2風味の|食前酒を|飲んでいた。||一人につき|小皿が|三枚ずつ|並んでいた。||マシェールは|妙に|自信ありげだった。

「こちらの方々に|申し上げていたところです。||捜査は|ほぼ|終わりました。||あとは|おもに|ベルギー警察次第です。||船乗りが|逮捕されたという|ブリュッセルからの|電報が、|まだ|届かないのが|不思議なくらいです」

「日曜日は|午前十一時を|過ぎると、|電報は|配達されませんよ」|と、|助役が|断言した。||「郵便局まで|お出向きに|なったのなら|別ですが。||警部さん、|何を|お出ししましょう?||この町で|あなたのことが|ずいぶん|噂に|なっているのを|ご存じですか?」

「そいつは|結構」

「いや、|悪く|言われているという|意味です。||あなたの|態度は」

「ビールを|一杯、|よく|冷えたやつだ」

「この時間に|ビールを|お飲みになるんですか?」3

マルグリットが|通りを|歩いていった。||その|身のこなしから、|彼女が|町一番の|おしゃれで、|すべての|視線が|自分に|注がれていることを|承知しているのが|感じられた。
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「厄介なのは、|こういう|色恋沙汰の|事件でして。||いや、|ジヴェでは|十年も|起きていません。||前回は、|ポーランド人の|労働者が」

「失礼する」

メグレは|外へ|飛び出し、|大通りで|アンナ・ペーテルスと|その弟に|追いついた。||二人は|疑いに|挑むように、|頭を|高くして|歩いていた。

「昨日|お伝えたしたとおり、|今日の|午後、|お伺いします」

「何時ごろですか?」

「三時半。||それで|よろしいですか?」
そして|メグレは|一人で|ホテルへ|戻った。||不機嫌そうな|顔つきで、|離れた|テーブルで|食事をした。

「パリへ|電話を|つないでくれ」

「日曜は|十一時を|過ぎると|使えません」

「しかたない!」
昼食を|とりながら、|彼は|地元の|小さな新聞を|読んだ。||可笑しい|見出しを|見つけた。
『ジヴェの|謎、|いよいよ|深まる』
メグレに|とっては、|もはや|謎など|なかった。

「豆を|おかわりだ、|ウェイター」
- 当時のカトリックの習慣では、日曜日の|ミサは|義務とされていました。
しかし|早朝ミサ、|朝ミサ、|主日ミサなど|複数のミサがあり、時間帯は自由に選ぶことができました。
家族が|必ずしも|同じ時間に|一緒に|行く必要はなかったようです ↩︎ - アニス(anis)とは、セリ科の|植物で、その|種から|独特の|香りが|得られます。
香り・味
・甘くて|強い香り
・リコリス(甘草)に|似た味
・水で|割ると|白く|濁るのが|特徴
フランスの|アニス系の酒
・パスティス(Pastis)|→|最も一般的
・ペルノー(Pernod)|→|有名ブランド
・リカール(Ricard)|→|マルセイユ生まれ
飲み方
グラスに|少量注いで|水で|割る。|すると|白く|濁る。|氷を|入れることも|ある。
南フランスや|地方の町では
昼食前の|食前酒(アペリティフ)として|定番でした。|男性が|カフェで|集まって|パスティスを|飲みながら|話すのは|フランスの日常風景の一つです。
↩︎ - ビールを飲んでいけないわけでは|ありません。
・正午前後に|ビールを|飲むのは|珍しい
・彼らは|アニス系の食前酒を|飲んでいる
フランスの習慣として
・食前酒(アペリティフ)|→|昼食前に飲む
・ビール|→|食事中や|夕方に飲む
メグレシリーズを通じて、ビールは|メグレの|最も好む飲み物の一つです。
メグレにとっては|ごく普通のことですが、小さな町の|有力者には|非常識に|見えたのでしょう。
あるいは、メグレは、助役の|お説教を|聞く気が|ない。|だから|わざと|場の雰囲気を|壊すように|ビールを|注文したのかもしれません。
↩︎




