
S.S.ヴァン・ダインによる長編探偵小説『ベンスン殺人事件』は、1920年代アメリカ探偵小説を代表するシリーズ〈ファイロ・ヴァンス物〉の第一作である。
舞台はニューヨーク。
被害者は、華やかな社交界に名を連ねる実業家アルヴィン・H・ベンスン。
上流階級の邸宅、知識人の会話、美術・音楽・文学への言及――
本作は、当時のアメリカ都市文化を色濃く反映した環境の中で、殺人事件が静かに、しかし不可解な形で発生するところから始まる。
事件の捜査にあたるのは、ニューヨーク地方検事局のマーカム検事と、
彼の友人であり助言者として登場するアマチュア探偵、ファイロ・ヴァンス。
ヴァンスは警察官でも職業探偵でもなく、膨大な知識と観察力、そして独特の理知的態度によって事件を分析していく人物である。
本作では、物証や証言だけでなく、人間の心理、性格、文化的背景が推理の重要な手がかりとして扱われる。
のちに「知的探偵小説」と呼ばれるスタイルが、すでに明確な形で提示されている。
『ベンスン殺人事件』は、ファイロ・ヴァンスという人物像の提示であると同時に、
ヴァン・ダインが構想した〈理性による犯罪解明〉の出発点でもある。