作品背景|「へなちょこ」ヘイスティングスの早すぎる退場

ハイブリッドラボ

——なぜヘイスティングスは長編2作目で結婚退場したのか——

ヘイスティングスが結婚するのは 『The Murder on the Links(ゴルフ場の殺人事件)』、つまりポワロ・シリーズの長編としては第2作目です(1923年刊)。

ここで面白いのは、クリスティが意識的にヘイスティングスを「長期的には物語から退場させる設計」にしていたのではないかという視点だと思います。

  • 第1作『The Mysterious Affair at Styles(スタイルズ荘の怪事件)』(1920年刊)で初登場した後、
  • 第2作でいきなりフランスのゴルフ場へ行き、ベラ・デュバローと出会い、そのまま結婚、そして南米にわたり退場・・・・

この展開は、「急すぎる」「唐突に退場」と多くの読者に映ります。

実際クリスティ自身、後年の回想録で「ヘイスティングスを結婚させたのは、ポワロの物語を一人で進める方が楽になったから」とも述べており、意図的に早期退場させたのは間違いないでしょう。

  • 第2作で早くも結婚退場 → これは珍しいケースであり、作者の意図を読み解く鍵になる
  • 唐突さもキャラクター性で正当化 → ロマンティックで“へなちょこ”だからこそ成立する

ワトスンのように、ホームズの片腕にするという意図はなかったから、へなちょこ設定にしたのかもしれません。

1. ヘイスティングスの「使い道」の限界

  • 初期の数作ではワトスン的な役割として機能しましたが、次第にポワロの存在感が強くなり、ヘイスティングスが事件に絡める余地が少なくなっていきます。
  • 推理小説としては、語り手がずっと“外れて驚くだけ”では冗長になりやすい。そこで、早い段階で彼を家庭に収めて背景に退かせた、という可能性があります。

2. 「へなちょこさ」と結婚の必然

  • ヘイスティングスは女性にすぐ心を動かされる。これは“弱さ”であると同時に、作中で早々に結婚させる理由付けにもなります。
  • ゴルフ場で出会ってすぐに結婚、という展開も「このキャラならやりそう」と読者が納得できる形で、物語から自然に降板させる便利な設定でした。

3. 作者としてのクリスティの事情

  • クリスティは自分自身の視点人物(=ヘイスティングス)をずっと傍に置いておく必要を感じなくなっていきます。
  • ポワロ単独で成立する物語構造が固まった時点で、ヘイスティングスは“過去の足場”であり、むしろ軽やかに結婚させて片付けた方が都合がよかった。

4. 読者の違和感とキャラクター造形

  • 読者からすると「軍人のくせに恋に脆すぎる」「へなちょこすぎる」と見える部分が、まさに退場の布石。
  • つまり、クリスティがヘイスティングスを長期シリーズに耐える“相棒”としてではなく、初期数作の補助輪として設定していたと考えると、その“へなちょこ感”も意図的に納得できます。

ヘイスティングスが第2作で早々に結婚退場した背景には、クリスティのシリーズ構想や語り手の役割の制約が関わっていたと思われます。

つまり、ヘイスティングスは単に「へなちょこだから」ではなく、

  • 推理小説の構造上の制約
  • ポワロとの対比の役割
  • 作者クリスティのシリーズ設計の都合

といった要素が大きかったのかもしれません。


もっとも、ここで述べたことは現時点ではあくまで想像にすぎません。

今後、クリスティの自伝や研究書など一次資料をゆっくり検証できれば、しっかりまとめ直してみたいと思ってます。

  • クリスティの自伝(”An Autobiography”)に書かれたシリーズ執筆当時の心境
  • クリスティ研究書(例:Janet Morgan の伝記や、John Curran のノート研究)にある解釈
  • 出版当時の書評や雑誌記事に見られる読者反応