作品背景|1920〜30年代オランダの産業構造と水路交通

作品背景

オランダは「水上輸送国家」だった

オランダは国土の大部分が低地で、河川と運河が縦横に走っている。
1920〜30年代の同国では、鉄道よりも、運河の輸送量の方が多い地域が珍しくなかった。

理由は単純である。

  • 平坦な土地
  • 水路建設が容易
  • 重い荷を大量に運べる
  • コストが安い

これらの要因から、木材・泥炭・穀物・石材・家畜飼料 など、大量輸送を必要とする商品は、ほぼすべてが水路を使った。

第一次大戦後のオランダ産業と木材の需要

世界的な木材需要の増大

第一次大戦後、欧州では大規模な再建が進んだ。
フランス、ベルギー、ドイツの広い地域が破壊され、住宅・鉄道施設・港湾・倉庫の復旧には膨大な木材が必要になった。

オランダは中立国だったものの、材木輸入と仲介貿易の拠点 として機能した。

集積場への輸送は「丸太をそのまま水に浮かべて運ぶ」のが基本

国内各地への内陸向けの木材の輸送はフランスと同じように、はしけ船に集積し馬や曳舟船で引っ張って運河を航行するが主流だった。
しかし、オランダの港付近では、フランスとは違う風景がみられた。

北欧から北海航路を渡って運ばれてきた木材は、すぐに乾燥されず、丸太のまま河川へ浮かべて集積場へ輸送されたのである。

  • 集積場では
    1. 列を組んで川を流す
    2. 運河にたまる
    3. 途中で仕分け
    4. 製材所へ引き上げる

こうした運河上での木材輸送工程が、当時の普通の風景だった。

オランダ国内の木材産業

1920〜30年代のオランダでは、

  • 造船用材
  • 建築材
  • 鉄道枕木
  • 港湾施設の杭
  • 家具製造(特にアムステルダム学派)

などで国内需要が拡大していた。

したがって地方都市(デルフザイルやフローニンゲン周辺)でも丸太の集積は日常的に見られた。


動力はほぼ「自然の力」と「人力」だけ

1920〜30年代のオランダの港と集積場で行われた材木輸送は、現在のようなエンジンつき作業船で移動させるのではなく、ほぼ次の三つの力で成り立っていました。


自然の動力:流れ(current)

丸太は 水に浮かべるだけ で、運河や川の流れに沿って自然に移動した。

  • 河川の下流方向へゆっくり流れる
  • 運河では水位差を利用して流路を作る
  • 風の影響で方向が変わる場合もある

つまり、
材木の主な“動力源”は自然の水流 である。


人力:竿(perche)による操作

小舟に乗った作業員が 長い竿(perche) を使った。

用途:

  • 広がりすぎた丸太を押して中央へ寄せる
  • 行き詰まった丸太をほどく
  • カーブで丸太の列を導く
  • 小舟を進める

シムノンの描写と一致する:

「風がないので竿を使って舟を進める」
→ まさに流送作業中の典型的な動き。


補助動力:帆とごく少量の曳航(まれ)

● 帆(voile)

誘導船に小さな帆を立てることはあったが、狭い運河ではほとんど役に立たなかったため、竿のほうが主力 だった。

● 動力船による曳航(例外的)

1920年代後半から一部の地域では、小型エンジン船(軽油)の導入が始まった。

しかし、

  • 高価
  • 運河が狭い
  • 丸太を引っ掛けやすい
  • 作業員との調整が難しい

などの理由で、材木流送そのものにはあまり使われなかった。

※ 本格的に普及するのは1950年代以降

オランダ北部(グローニンゲン州)の事情

メグレが訪れる Delfzijl(デルフザイル) は、エムス川の入り口に位置し、北欧材の中継地として非常に重要だった。

当時のデルフザイル港では、

  • ノルウェー材
  • スウェーデン材
  • ロシア(バルト海沿岸)からの材木

これらが頻繁に入港し、港から内陸へ向けて運河で再配送する仕組み が確立していた。

そのため、作品に出てくるような運河いっぱいの丸太の列は、ごく自然な光景である。


シムノンが描く「北方の産業景観」

シムノンは、北ヨーロッパの産業風景に強い関心を持っていた。

オランダ北部の、

  • 平らな大地
  • 運河
  • 風の弱い日
  • 丸太を押し分ける舟
  • 工場と倉庫の並ぶ水際

こうした光景は、彼の作品でよく現れる「静かな労働の風景」であり、同時に地域社会の経済を象徴している。

丸太の列が占める運河は、 単なる背景ではなく、 北方の産業のリズムそのものを語っている。