1905年当時の〈ラ・プロヴァンス号(La Provence)〉


「La Provence(ラ・プロヴァンス号)」は、フランスの Compagnie Générale Transatlantique(略称 “Transat”)が保有していた豪華客船・大西洋横断航路船でした。 provence7.com+3ウィキペディア+3ウィキペディア+3
1905/1906年に就航し、ル・アーブル〜ニューヨーク間を運航していた記録があります。 ウィキペディア+2Techno-Science.net+2
第一次世界大戦時には徴用されて「Provence II(プロヴァンスⅡ号)」と改名され、輸送艦的に使用された後、1916年2月26日にドイツ潜水艦により地中海で撃沈されました。
🚢 La Provence号の概要(1905〜1914)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 船名 | La Provence |
| 所属会社 | Compagnie Générale Transatlantique(CGT)=通称「フレンチ・ライン」 |
| 建造 | 1905年、サン=ナゼール造船所(Chantiers de Penhoët) |
| 就航 | 1906年4月21日(ル・アーヴル〜ニューヨーク線) |
| 船種 | 豪華旅客船(Transatlantique liner) |
| 総トン数 | 約13,753トン |
| 推進機関 | 蒸気タービン(当時の最新鋭) |
| 速力 | 約23ノット(高速船の部類) |
| 定員 | 一等客 437人、二等客 300人、三等客 800人ほど |
| 特徴 | 豪華な内装、電気照明、無線電信、温水暖房など、当時の最先端設備を備えていた。 |
🛳 当時の位置づけ
- La Provence号は、フレンチ・ライン社の「大西洋横断定期便」の花形客船でした。
- 同社のライバルは、英国のCunard(キュナード社)やWhite Star Line(ホワイトスター社)。
- つまり、『タイタニック』(1912)とほぼ同時代・同格の船です。
- 上流階級・外交官・富裕な旅行者が利用する「社交の舞台」としても知られていました。
⚓️ ルブラン作品との関係
- 『アルセーヌ・ルパンの逮捕(L’Arrestation d’Arsène Lupin)』が発表されたのは 1905年7月号『Je sais tout』誌。
- ちょうど La Provence号が完成・就航準備中の時期にあたります。
- つまりルブランは、当時の最新鋭客船として注目されていた「ラ・プロヴァンス号」を、作品にリアルな舞台として取り入れたのです。
⚠️ 戦争による転用
- 第一次世界大戦が始まると、La Provence号は 軍用輸送船「Provence II」 に改造されました。
- 1916年2月26日、地中海でドイツ潜水艦U-35の魚雷攻撃を受け沈没。
- 約1,000名の兵員が犠牲となりました。

