スタイルズ荘の怪事件|なぜエセックスが舞台になったのか

作品背景


ロンドン郊外としてのエセックス

エセックスはロンドンの東隣に位置し、鉄道で1〜2時間ほどで到達できる距離にある。
都会からは近いが、農村的要素も色濃く残り、「都会に隣接しながらも隔絶感のある舞台」として読者にリアルに感じられる土地だった。(作品背景「エセックスの歴史」はこちら💁

大邸宅文化と地主制度

エセックスには地主階級の大邸宅(カントリーハウス)が点在していた。
屋敷は単なる住居ではなく、地位と富の象徴であり、相続や遺産をめぐる争いの舞台でもある。
『スタイルズ荘の怪事件』で財産を持つ未亡人の死が事件の引き金となるのは、この社会制度に根ざしている。

閉ざされた社会の縮図

スタイルズ荘には、義理の息子、若い妻、下宿人、戦地から戻った友人など、異なる背景を持つ人々が同居している。
屋敷は「ひとつの社会の縮図」となり、その閉じた関係性の中で疑心暗鬼が渦巻く。
閉ざされた舞台こそが推理劇を必然化している。

日本の旧家ミステリとの違い

同じ「閉ざされた社会の殺人劇」は、日本でも横溝正史の作品など数多く存在する。
しかし背景は異なる。

  • 同じ戦間期の日本でも華族制度は存在したが、収入基盤は必ずしも土地ではなく、爵位に付随する年金や政財界との結びつきだった。
  • 日本にも地主制は存在したが、イギリスの「広大なカントリーハウスを抱える上流階級」とは性格が違っていた。
    • 村の庄屋や名主の延長
    • 富農としての地主(小作人に田畑を貸す)という色が強い。

同じ「閉ざされた舞台」でも、背景社会の構造が全く違うため、横溝正史の家とクリスティの屋敷は「似て非なるもの」なので、事件の背景や動機が異なっている。

  • 日本:血縁・家督・村落共同体のしがらみ
  • イギリス:地主制度と土地相続をめぐる経済的・階級的緊張

イギリスの戦間期——過渡期の不安

第一次世界大戦後、イギリスの地主制度は急速に衰退し、多くの大邸宅が維持できなくなった。
『スタイルズ荘の怪事件』が書かれたのは、まさにこの「旧秩序の崩壊期」であり、作品背景には時代の不安が色濃く漂っている。

エセックスが舞台に選ばれたのは偶然ではない。
ロンドンに近い郊外性、大邸宅文化と地主制度、そして閉ざされた社会構造、旧秩序の崩壊による経済的変化——これらが揃っていたからこそ、推理劇が自然に展開された。


「カントリーハウスミステリー」は、日本の「旧家ミステリ」と比較すると、その事件の必然性の違いはいっそう鮮明になリます。
そして、読者がこれらを理解することで、海外ミステリーが一段と面白くなることを期待しています。