「イギリスとフランスを結ぶ船」というと、いちばん有名なのは カレー(Calais)—ドーヴァー(Dover)間 の航路である。
しかし、シムノンがここで書いたのは イギリス側の港は「Folkestone(フォークストン)」。
これは実際に当時存在した別の連絡航路である。
🚢 歴史的背景:カレーとフォークストン
19世紀後半〜1930年代の間、フランス側の出発地には ブローニュ(Boulogne-sur-Mer) や カレー(Calais) があり、イギリス側の到着地には ドーヴァー(Dover) と フォークストン(Folkestone) の両方が使われていました。
| フランス側 | イギリス側 | 備考 |
|---|---|---|
| Boulogne-sur-Mer | Folkestone | 主に南東鉄道(South Eastern Railway)が運航。速達連絡船。 |
| Calais | Dover | こちらは北ケント線(South Eastern & Chatham Railway)系統。より一般的。 |

⚓ フォークストン航路の優位性
1930年代当時、ブローニュ=フォークストン航路は「ドーヴァー線より格上」とみなされることが多く、いくつかの実際的・社会的な優位性がありました。以下に整理します。
気象・港湾条件が良かった
- フォークストン港(Folkestone Harbour) は、湾状で防波堤が発達しており、 ドーヴァーよりも風・潮の影響を受けにくい港でした。
- 海峡横断の出航地として、悪天候時でも運航できる確率が高く、嵐が多い季節にはこちらが選ばれたことも。
- そのため、母親が息子を心配する描写は、「Tempête sur la Manche(英仏海峡に暴風雨)」という掲示が出る場面で、パリからブローニュ=フォークストン航路を選んでいるのは、非常に現実的な選択なのです。
より短い鉄道連絡距離(ロンドン側)
- ロンドン中心部の ヴィクトリア駅からフォークストン までは、
約70マイル(112km)。
一方、ドーヴァーまでは約76マイル(122km)。 - わずかの差ですが、所要時間が15〜20分短く、
“Fast Boat Train” として売り出されていました。 - “London–Paris in 6½ hours” のような広告コピーも残っています。
上流階級・外交官向けの印象
- フォークストン線は South Eastern Railway(SER) の旗艦ルートで、
後にSouthern Railwayが引き継いでも「上流ルート」のイメージを保持。 - 豪華な車両(Pullman cars)や専用ラウンジ、
“Continental Express” といった愛称列車が使われました。 - 芸術家、外交官、商人など、国際都市パリとロンドンを往復するエリート層が利用。
港の接続構造がスムーズ
- フォークストン港駅(Folkestone Harbour Station)は、
線路がそのまま桟橋の上まで延びている設計。 - 乗客は列車を降りてわずか数歩で船に乗り換えられました。
- ドーヴァー港は当時改修中のことも多く、接続の動線がやや複雑でした。
国際列車との調和(フランス側)
- フランスのブローニュ=シュル=メールは、
当時の北鉄道(Chemin de fer du Nord)の重要港。 - パリ北駅からの「Train maritime」は、
ダイレクトで港駅(Boulogne-Maritime) に着き、
そのままフォークストン行きのフェリーに乗船できました。 - 結果として、「駅から駅へ、ほとんど歩かずに渡れる」ルートが成立していました。
🧭 シムノンが「Folkestone」を選んだ理由(推測)
したがって、シムノンは、パリ北駅でBoat trains”(船接続列車)を、カレーやドーヴァーではなく、ブローニュ=フォークストン航路の乗り場を選んでいる親子の描写は、当時のパリ北駅からイギリス海峡を渡る「暴風雨の中ので合理的な選択肢としてのルート」を正確に描いていたのです。
🚢 (参考)現在の『ブローニュ=フォークストン航路』
現在では Folkestone(イギリス)- Boulogne‑sur‑Mer(フランス)の定期フェリー航路は 運航されていません。以下、状況と歴史を整理します。
✅ 過去の状況
- この航路は 1843 年頃から存在し、ロンドン→フォークストン→ブローニュ経由でパリ/北フランスへ向かう旅行ルートの一部として活用されていました。
- しかし 1990 年代以降、車両フェリー・高速旅客船ともに運航が縮小・停止しました。例えば、1991 年末にこのフォークストン‐ブローニュの定期便が終了したという記録があります。
❗ 現状
- 現在、「フォークストン ⇔ ブローニュ」の定期フェリーサービスは存在しないと複数の情報源が確認しています。たとえば「Kent’s lost ferry crossings(ケント州の失われたフェリー路線)」という記事では、この航路を「失われた」航路の一つとして挙げています。
- また、フォークストン港の歴史ページでは「フォークストン港がクロスチャネル旅客港として機能を停止した」という記述があります。
廃止となった理由
📅 主要な時期・変化
- この航路は、鉄道会社 South Eastern Railway が 1843 年頃に開設。 (Folkestone Harbour and Seafront)
- 第二次世界大戦後、1947年7月に夏期 passenger service(旅客便)が再開。 (Folkestone Harbour and Seafront)
- 1966年には、荷物・車両フェリー輸送が主流となり、港設備の遅れが問題となっていた。 (Folkestone Harbour and Seafront)
- 1972年7月、新しいリンクスパン(車両用ドック)を備えた設備ができ、年間通じた運航に対応。 (Folkestone Harbour and Seafront)
❌ 廃止に至った時期・理由
- 廃止時期としては、旅客定期便として「1991 年12月31日」が区切りとされており、1980〜90年代に急速に需要が落ちたという見方があります。 (Dover Ferry Photos Forums)
- 具体的には、港設備の制約(浅さ・リンクスパン等)や、他の航路(例:Calais/Dover間)や後に登場した Channel Tunnel(英仏海峡トンネル)の競争が影響しています。 (フォークストンハーバーアーム)
- 例えば、2014 年の記事では以下の記載が見られます:“… After 67 years of passenger service, the Folkestone–Boulogne link was finally withdrawn in December 1991.” (HHV Ferry)
- また、港の公式履歴によれば、旅客便終了後も貨物/車両連絡が続いたものの、2000 年頃には高速船(カタマラン)も撤退し、航路としての運航が事実上停止。 (フォークストンハーバーアーム)
🧐 なぜ廃止されたか(主な理由)
- インフラの老朽化・設備遅れ
– フォークストン港は浅く、車両フェリー向きの設備(リンクスパン、ロールオン・ロールオフ)は他港に比べて遅れていた。 (Folkestone Harbour and Seafront) - 競争激化
– ドーヴァー‐カレー線等、より短距離・高速・車両対応の航路が優勢に。 (Folkestone Harbour and Seafront) - 交通のモード転換
– チャネル・トンネルの登場(1994 年開通)により、航路利用が減少。 (The Independent) - 税制・商慣行の変化
– たとえば「免税店 (duty-free)」制度の終了が乗客誘致に響いたという記録あり。 (フォークストンハーバーアーム)
✅ 結論
したがって、フォークストン=ブローニュ(ブローニュ=フォークストン)航路は、 1991年末をもって旅客定期便として終了 し、その後数年で完全に運航停止となったというのが実証できる線です。
設備上・競争上・制度上の複合的事情によるものです。

