ホームズからポワロへ —— 第1次大戦とグローバル化
アガサ・クリスティーが創り出したポワロとヘイスティングスのコンビには、コナン・ドイルのホームズ譚への明確なオマージュが見られる。そして同時に、第一次世界大戦後という時代背景が、その探偵像を大きく変化させた。
ワトスンとヘイスティングス
- ワトスンは『緋色の研究』(1887)で登場し、2作目『四つの署名』(1890)で結婚する。
- ヘイスティングスも『スタイルズ荘の怪事件』(1920)に登場し、2作目『ゴルフ場殺人事件』(1923)でベラ・デュヴローと結婚する。
探偵の相棒が「2作目で結婚する」という展開は、単なる偶然ではなく、ドイル作品を意識した オマージュ と考えられる。
大英帝国の探偵
ホームズの物語には、インド、アメリカ、オーストラリア、南アフリカなど、大英帝国の広がりを反映した背景がしばしば登場する。
- 『四つの署名』はインドとセポイの反乱が物語の発端。
- 『バスカヴィル家の犬』では海外から帰国した人物が事件の鍵を握る。
- 短編では南アフリカのダイヤ鉱山やアメリカの秘密結社が頻繁に顔を出す。
しかしホームズ自身は基本的にロンドンに留まり、帝都に舞い込む 「帝国の問題」 を処理する。
彼はまさに 「大英帝国の中心に座す探偵」 だった。
戦後の国際化とポワロ
一方、ポワロとヘイスティングスはWW1後の時代に生きる。大戦で大英帝国は疲弊し、国際秩序は揺らいだ。
ポワロは「ベルギー難民」として登場し、事件の舞台はしばしばドーヴァー海峡を越えてヨーロッパへ広がる。さらにヘイスティングス夫妻はアルゼンチンに移住し、探偵小説の舞台はついに大西洋を越える。

グローバル化の探偵像
クリスティーはドイルの枠組みを踏まえながら、「戦後の国際社会にふさわしい探偵像」 を描いた。
ホームズが「ヴィクトリア朝大英帝国の探偵」だとすれば、ポワロは「第一次大戦後のグローバル化した世界の探偵」である。
まとめ ― 覇権の移動と探偵小説
探偵小説の系譜は、同時に世界の覇権の移動をも映している。
- ホームズ=大英帝国の探偵(帝国の問題がロンドンに集まる)
- ポワロ=国際化した戦後ヨーロッパの探偵(海峡を越え、大西洋の向こうに視野を広げる)
そして時代はやがて、アメリカの繁栄を背景にしたフィロ・ヴァンスへと続いていく。

