作品背景|フーシェの言葉とヴァンス——ベンスン殺人事件

ハイブリッドラボ

ヴァンスの引用

ベンスン殺人事件の中で、ヴァンダインがヴァンスを評する次の一節があります。

His snobbishness was intellectual as well as social.
He detested stupidity even more, I believe, than he did vulgarity or bad taste. I have heard him on several occasions quote Fouché’s famous line: C’est plus qu’un crime; c’est une faute. And he meant it literally.

彼の|人を見下す|性格は、|人間|関係|だけでなく、|知性の|面にも|あらわれていた。||ヴァンスは、|下品さや|悪趣味よりも、|愚かさを|嫌って|いたのだと|思う。
私は|彼が|何度か、|<フーシェ>の|有名な|言葉|『それは|犯罪|以上のもの、|過失だ』を、|引用|するのを|聞いたことがある。そして彼はそれを文字どおりの意味で口にしていた。

歴史的背景

フーシェのナポレオン批判

フーシェ(Joseph Fouché, 1759–1820)は、フランス革命からナポレオン時代にかけての政治家で、特に「警察大臣」として暗躍したことで知られます。陰謀家であり、政治的な生存能力に長け、どの政権でも生き残った人物です。

「それは犯罪以上のものだ――それは過失だ。」
(C’est plus qu’un crime; c’est une faute.)

この言葉はしばしば「ナポレオンが行ったある行為を批判したフーシェの言葉」として引用されます。とりわけ有名なのは、

  • 1804年、ナポレオンがブルボン家の王族 アンギャン公(Duc d’Enghien) を捕らえ、銃殺した事件に関連して伝えられています。
  • ナポレオンは王政復古派の陰謀を恐れてアンギャン公を処刑しましたが、これはヨーロッパ中に衝撃を与え、ナポレオンの名声を大きく傷つけました。

このときフーシェは、
「単なる犯罪ならまだしも、これは政治的に致命的な失策だ」
と評したのです。

言葉のニュアンス

普通に日本語で「過失」というと「うっかりミス」くらいに聞こえるので、「犯罪より軽いもの」と思われがちです。ところが、フーシェの言葉は逆のニュアンスを持ちます。

「crime(犯罪)」 → 法律上の罪。道徳的には非難されるが、ある意味で一貫した力の行使とも言える。
「faute(過失・誤り)」 → 政治的に計算を誤った行為。愚かで取り返しのつかない失策。

この「過失(faute)」は単なるミスではなく、政治的に愚かで取り返しのつかない大失策を意味します。
つまりフーシェは、ナポレオンの行為が「残酷な犯罪」であることを認めつつ、それ以上に過失をしでかす「愚かさ」こそ政治的な自滅だと断じたのです。

探偵ヴァンスとの関わり

ヴァンスがこの言葉を折にふれて口にするのは、
彼の価値基準が「悪よりも愚かさを嫌う」点にあります。

  • ヴァンスにとって「下品さ」や「悪趣味」は不快ではあるけれど、まだ受け流せる。
  • しかし「愚かさ」は知的な冒涜であり、社会に致命的な害をもたらす。

フーシェの言葉は、その考えを端的に言い表す決まり文句だったのです。

探偵としてのヴァンスは、動機や犯罪そのもの以上に、愚かな判断や誤った思考を見抜くことに関心を持ちます。
だからこそ、このフレーズは彼の知的スタイルや価値観を象徴する一言になっています。

現代的な意味

この言葉は今日でも、政治評論や国際関係の文脈でよく引用されます。
「単なる悪事よりも、愚かな失策の方が深刻だ」という皮肉な教訓です。

この教訓は、現代の日本においても無関係ではありません。
政治的な「悪」(たとえば裏金問題など)が話題にされますが、フーシェの言葉を思い起こすなら、より深刻なのは「悪」そのものではなく、選挙民の愚かな判断なのかもしれません。
私たちは「裏金」などの悪事に目を奪われる一方で、もっと致命的な政策上の失策を見過ごしていルカもしれません。