ヴァンスの引用
ヴァンスの美術コレクションには、私たちが聞いたことのない、中国の版画作家の名前が並ぶ。
Vance’s Chinese prints constituted one of the finest private collections in this country. They included beautiful examples of the work of Ririomin, Rianchu, Jinkomin, Kakei and Mokkei.
ヴァンスの|中国|版画|コレクションは、|アメリカでも|屈指の|個人|所有の|ひとつであった。|その中には、|李如珉(リリオミン)、|李安中(リアンチュー)、|荊浩(ジンコーミン)、|郭熙(カケイ)、|牧谿(モッケイ)と|いった|代表的な|優れた|作品も|含まれていた。
上流階級の教養としての東洋美術
20世紀初頭、アメリカやヨーロッパでは「ジャポニスム」「シノワズリ」と呼ばれる東洋趣味が流行した。浮世絵や中国絵画、陶磁器などが「西洋とは異なる美の体系」として注目され、知識人や富裕層にとって、東洋美術の目利きであることは教養の一部となった。
実在のコレクターたち
アメリカでも実際に多くのコレクターが東洋美術を蒐集した。代表的なのは チャールズ・ラング・フリーアで、宋・元・明の絵画や日本の浮世絵を大量に集め、後に「フリーア美術館」として公開された。また、ボストン美術館も早くから浮世絵や中国美術を収集し、世界的な東洋美術コレクションを築いていた。
ヴァンダインの知識と投影
フィロ・ヴァンスの作者ヴァンダイン(ウィラード・ハンティントン・ライト)は、美術評論家・編集者として活動し、西洋美術だけでなく東洋美術に関する知識も持っていた。ヴァンスが中国版画や日本版画を語る場面には、作者自身の美術的素養が投影されている。
ヴァンスから見た東洋美術
宋時代の版画と葛飾北斎
ヴァンスは中国宋元の名画に深く心酔し、郭熙や牧谿、李如珉らの名を並べて語っている。これらは山水画や禅画を代表とする水墨画で、「自然観や哲学的精神性」を備えた真の芸術と見なされていた。
一方で、ヴァンスは葛飾北斎を例に日本の浮世絵を「装飾的にすぎない」と切り捨てている。この評価には、当時の アメリカとヨーロッパの美術観の違い が色濃く反映されている。
- ヨーロッパ(19世紀後半~20世紀初頭)
ジャポニスムの流行により、北斎や広重の浮世絵が「新鮮で大胆なデザイン」として絶賛され、印象派やアール・ヌーヴォーに大きな影響を与えた。 - アメリカ(20世紀初頭の富裕層コレクター)
浮世絵は「おしゃれな装飾品」として扱われるにとどまり、中国の宋元画こそ「東洋の精神性を体現する至高の芸術」と重視された。ボストン美術館のフェノロサらの活動もこの流れを後押ししている。
アメリカ社会の影響
ヴァンスの美術談義は、まさにこのアメリカ的な「通ぶった」評価を象徴している。彼の皮肉な口ぶりで語られる「浮世絵は装飾にすぎない」という断言には、当時の文化的空気がそのまま反映されているのである。
もっとも、この日本美術への冷淡な評価の背後には、1920年代以降のアメリカ社会に広がっていた対日感情の冷え込みが影響していたのかもしれない。

