点訳研究|点字表記法、第1原則『文節分かち書き』ちゃんとできるか?

コピュラ文で感じた違和感

コピュラ文というのがある。文節分かち書きはどうする?

順に説明しますコピュラ文(copular sentence)とは

主語(または体言)と、その性質・身分・同一性を結びつける文
行為を述べない。
「何をするか」ではなく、「何であるか」を言う文。


日本語でのコピュラ

日本語では、次の形がコピュラ(断定)です。

  • です
  • である
  • であった
  • ではない

これらは 動詞ではなく、断定の機能語


基本構造

体言 + コピュラ

例:

  • 私は|作家|だ
  • 彼は|医者|です
  • これは|事実|である
  • 彼女は|学生|であった

※ 述語は「だ/です/である」全体。


動詞文との違い

動詞文

  • 彼は|走る
  • 彼は|書いた

→ 行為・変化を表す。

コピュラ文

  • 彼は|作家|だ
  • これは|真実|である

→ 同一性・属性の提示


点訳で重要なポイント

コピュラは「一まとまりの述語」

  • で|ある
  • で|あった
    のように内部を切らない。

体言とコピュラは切る

  • 作家|だ
  • 作家|です
  • 作家|である

→ 後続助詞(と/が/から)との接続が明確になる。


なぜ切るのか?

「だ」を体言にくっつけると、

  • 作家だ|と
  • 事実だ|が

のように、断定部分だけが文節からはみ出す

切っておくと、

  • 作家|だ|と
  • 事実|だ|が

となり、構文の見通しが一貫する。


コピュラ文と自立語

コピュラ文とは、「名詞+だ/です/である」によって、
事柄の同一性や性質を断定する文である。
点訳では、コピュラは述語として一まとまりに扱い、
体言とは切って処理する。


それを区切ろうとすると「文節分かち書き」の「文節」にならないではないか?
文節とは、「自立語+付属語」と考えていたが、何が「自立語」か何が「付属語」か、わからなくなった。

そもそも「自立語+付属語」という定義自体が、便宜的で、理論的にかなり脆い。


「自立語」とは何か?

定義の循環学校文法での説明はだいたいこうです。

  • 自立語:それだけで意味を成す語
  • 付属語:自立語に付いて意味を補う語

……ですが、これはよく見ると、

自立語とは、自立している語である

という循環定義


名詞は自立語?

  • 作家 → 〇
  • 綺麗 → △(形容動詞語幹)
  • こと/もの → ×?〇?

「こと」「もの」は意味はあるが、単独では極めて弱い。自立しているのか?


形容動詞語幹は?

  • 綺麗
  • 静か
  • 立派

意味ははっきりある。
だが、

  • 綺麗(単独)
  • 静か(単独)

と言われると、述語にもならず、文にもならない

自立しているのか?これもかなり怪しい。


「だ」は付属語?

  • です

単独では意味をなさない。
しかし、

  • 文を終わらせる力
  • 断定の機能

極めて強い

意味はないが、機能は核。

これを「付属」と呼ぶのは、機能面では不適切。


動詞・助動詞ですら揺れる

  • 食べる → 自立語
  • 食べ|た → た は付属語?

でも「た」がなければ、

  • 時制
  • 完了
  • 叙述性

が失われる。

文としての成立条件を握っているのは、むしろ付属語側


つまり、何が起きているか

「自立語/付属語」という区分は、

  • 意味の強さ
  • 文法機能
  • 単独使用可能性

これらをごちゃ混ぜにして一軸で分けようとしている

だから必ず無理が出る。


点字で問題が顕在化する理由

視覚日本語では、

  • 漢字、カタカナ
  • 活字の塊
  • 行分け

が「自立語らしさ」を視覚的に補ってくれるが、点字にはそれがない。

自立語かどうかという曖昧な概念に依存すると、切り方が不安定になる


自立語という区分は便宜的なもので、実際には意味の強さや文法機能は連続的である。
点字では、便宜的な自立語かどうかより、構文上どの要素がどの役割を果たしているかを重視して、それを意味的な強弱(力点)に変換して処理すべきである。


「意味的自立」より「機能的自立」?

「自立語」とは、
——意味的に自立してるか?
よりも
——機能的に自立しているか?
で判断した方がいいかもしれない

結論から言うと――その通りで、しかも点字・分かち書きではそちらの方が有効です。


意味的に自立しているか?

これは実は使いにくい基準です。

  • 「綺麗」…意味は明確だが、文にならない
  • 「こと」「もの」…意味はあるが、単独では弱い
  • 「だ」…意味は乏しいが、文を成立させる力がある

👉 意味の有無・強弱は連続的で、線が引けない


機能的に自立しているか?

こちらは判断できる。

機能的自立=
その語が、文の構造上、独立した役割を担っているか

見るポイントは:

  • その語がないと、文が崩れるか
  • 後続語(と・が・から等)との関係が明確になるか
  • 構文上の節目を示しているか

機能的自立語の優位性

例1

私は|綺麗|だ

  • 「綺麗」…属性を担う(名詞的機能)
  • 「だ」……断定を担う(述語機能)

👉 両方とも機能的に自立
→ 切る理由が明確


例2

作家|だ|と|言った

  • 「だ」は意味語ではないが
  • 「と」が受ける対象を明示する

👉 「だ」を独立させないと構文が見えなくなる


自立語を、意味的に単独で成り立つかどうかではなく、
文の中で独立した機能を果たしているかどうかで捉えると、
分かち方の基準が安定する。

これは、

  • 日本語学的にも破綻しない
  • 点字実務にも直結する
  • 文節概念の曖昧さを回避できる

推理小説作家だと|言った
——意味的自立だとこう切るけど、推理と作家は本来区切れない。

「推理小説作家|だ|と|言った」
——AIのいう厳密な機能的区切りだとこうなって、不自然だけど

「推理小説作家|だ、|と|言った」
——読点を入れると、自然な区切りに見える。
まさに、機能的

「推理小説|作家|だと|言った」
——機能的自立に配慮し、折衷案でこうしても良さそうだけど、一貫した基準で文章の安定した区切り方をしようと思えば

「推理小説作家|だ|と|言った」
になるのか・・・
これまで、「自然な区切り」にこだわりすぎたかな(´∀`)

文節は便利な概念だが、境界が常に明確なわけではない。

点字では、文節に固執するより、読み進める中で構文が安定して見え、読み続けられること

を重視する必要があるのです

って、ことは・・・

今まで、BESで打ってきた点字ファイルは、全部やり直しか!?

💦いやいや、まだ、数作品しかないんだし、放っておいて・・・・・
次、行きましょう!

ハイブリッドラボは、残りの人生30年、100作品の計画ですから!

余談

機能語、自立語などでググってたら、こんな古い論文を拾った。
『文節は文法ではなく、発話で決められる!?』
確かに、言葉の機能って文法より発話に現れる感じする。点字が表音式であればなおさらだ。
ざーーとつまみ食いしただけで結論は見ていないが、一つ一つ『なるほど!』と思う指摘が多い。
ということは、我々素人が「文節」で混乱しても当たり前!ってこっちゃ

学校教育では、 これまで述べてきたような重大な欠点を省みることなしに文節文法が教えられている。
文節による説明は正しい文構造の把握を妨げるだけでなく、 文学の芸術性 を損ねることにもなる。

ヴァンスの皮肉
ヴァンスの皮肉

「文学の芸術性を損ねる」って(笑
「日本点字表記法」「全国点字図書館」は、「一定の同品質の点字図書を、ボランティアを酷使して数多く揃えること」が目的なんだから、文学とか芸術性とか別に構わないよねえ、マーカム?