駄文|これから日本が目指すべき道〜個人主義型社会福祉国家

これからの日本は、国民一人一人を一生涯、国家、社会で支える国づくりを目指します。これまでのように、家族だからといって負担を押し付けることはしません。個人が家族制度に縛られることなく、社会で自由に働き活動して人生を楽しみ、個人として幸福を追求できる社会「個人主義型社会福祉国家」を目指すのです!

モナミ
モナミ

Q:日本は社会(国家)が個人を支えていると思っていたが違うのか?

はい。あなたが「社会が個人を支えている」と思っていたのは、理念的には間違っていないのですが、日本においてはその“支える主体”が「国家」ではなく「家族」であることが多い、という点が本質的な違いです。

モナミ
モナミ

Q:家族主義とは、戸籍制度の存在も影響しているのか?

戸籍制度の存在は、日本の「家族主義的な制度設計」を根本から支えている構造的要因の一つです。
むしろ、世界でも極めて特異なレベルで、「個人」ではなく「家族単位」で人を管理する制度が残っている国が日本です。

モナミ
モナミ

Q:宗教は関係あるか?

はい、宗教は非常に大きな影響を及ぼしています
とくにヨーロッパと日本における「家族観」「扶養意識」「社会制度設計」の違いには、
キリスト教(とくにカトリック・プロテスタント)と、儒教・仏教・神道的要素を含む日本の宗教文化の違いが、深層で関係しています。

■ キリスト教圏(ヨーロッパ)の基本構造

● キリスト教的価値観(特にプロテスタント)

  • 神と個人の直接的関係:救いも責任も「自分自身」で完結すべきもの
  • 個人の尊厳・自立:親子や夫婦であっても、それぞれ独立した人格
  • 近代国家思想との結合:国家は個人と契約し、支援するべき存在

→ 結果として:

  • 社会保障も「国家と個人」の契約関係として整備
  • 「家族は精神的なつながり、支援は国家」が理想
  • 家族は道徳的には大事にするが、制度上の責任を負わせない

● カトリックの伝統

  • 「家族は神が与えた基本単位」
  • 夫婦・親子の役割分担が明確
  • ただし、20世紀以降は国家福祉と折衷

→ フランス・イタリアなどでは「家族重視」と「制度的個人支援」のハイブリッドに

■ 日本の宗教的背景(儒教・仏教・神道)

● 儒教的価値観(江戸期以降に浸透)

  • 「親に孝」「長幼の序」「家族内での義務」が強調される
  • 「家族こそがすべての基礎」=忠・孝・義理が最優先

● 仏教的価値観(特に浄土真宗・曹洞宗など)

  • 現世的な救済よりも、「忍耐」「因果応報」「現世修行」の受容
  • 苦労や奉仕を「ありがたいこと」とする

● 神道的要素

  • 家=祖先のつながり。家を守ることが善であるという信仰的感覚

→ 結果として:

  • 親を支えるのは当然、夫に尽くすのは美徳
  • 制度がなくても「家族内の責任でなんとかすべき」という文化的圧力が働く
  • 国家との関係よりも「血縁・家系」の方がリアルに感じられやすい

■ 対照的なまとめ

項目ヨーロッパ(キリスト教圏)日本(儒教・仏教・神道の影響)
支援の単位個人:神と個人の契約/国家との契約家族:親子・夫婦・先祖とのつながりが基盤
家族の役割精神的な絆。制度上は切り離すべき実質的・制度的にも扶養・介護・同居が前提
扶養責任の位置づけ国が制度として担うべき子が親を支える/妻が夫を支えるのが当然
道徳 vs 制度道徳:家族も大事、制度:国家が責任道徳も制度も「家」がすべての起点

■ 結論:

日本とヨーロッパの「家族観」「個人観」「社会の責任」に違いがあるのは、
宗教的な価値観が文化と制度設計に深く埋め込まれているからです。

宗教が制度を直接作るわけではありませんが、
その社会が「何を当然とするか」「誰が誰を支えるべきか」という感覚の根源に宗教があるのです。

モナミ
モナミ

Q:仏教、儒教、神道の思想が残っている限り、社会が個人を支える個人主義型福祉国家に移行するのは難しいのか?

はい、まさにご指摘のとおりです。
仏教・儒教・神道といった伝統思想が社会に深く残っている限り、日本がヨーロッパ型の「個人主義的な福祉国家」へ全面的に移行するのは困難です。
その理由は、単に文化的な「慣れ」ではなく、人間観・社会観・責任観そのものが根本的に異なるからです。

■ 各宗教思想がもたらす「社会観」と「支援の前提」

思想体系人間の単位支援の出発点社会の理想キーワード
儒教家族(親子・上下関係)子が親を、下が上を支える秩序ある「家族国家」孝・忠・義理・封建
仏教縁による関係・業による報い苦しみは自己責任で超える調和と諦念忍・因果・無常
神道家系・祖先とのつながり血縁と家の名を守る継承と敬神家・先祖・清浄

■ この思想が阻む「制度としての個人主義」

● 国家と個人の直接契約が成り立たない

  • 「個人」は制度的に孤立して存在できず、「どこの家か」「誰の子か」「配偶者は誰か」で社会的属性が決まる
  • 例:戸籍、相続、税制、年金すべてが家族単位

● 「困っているなら家族が助けるべき」という道徳が制度に入り込む

  • 公的扶助を受けることが「恥」や「家の恥」とされ、支援をためらう文化
  • 例:生活保護の「扶養照会」、介護の「家族負担」

■ ヨーロッパとの対比(宗教的ベース)

ヨーロッパ影響宗教社会観支援の出発点
北欧(スウェーデンなど)プロテスタント神と個人の契約=個人が絶対の単位国家が個人を直接支援する
フランス(カトリック)カトリック家族も重視されるが、制度では個人が基本家族単位でも国家が支援する

■ 日本が直面している問題

● 高齢化・非婚化・単身化が進む中で

従来の「家族が支える」モデルはすでに破綻し始めている

● しかし制度は依然として「家族主義」

→ 社会が支えるべきところで、家族不在の個人が見捨てられる事例が増加

■ 結論

仏教・儒教・神道的な家族観が根強く残っている限り、日本がヨーロッパ型の制度的個人主義へ全面移行するのは困難です。
制度を変えるには、制度以前の「支援とは何か」「誰が誰を支えるべきか」という根本的価値観の再設計が必要です。

■ 補足:希望はあるか?

  • 実はすでに都市部・若年層では「血縁に頼らず、制度で支えるべき」という発想が増えており、
  • 若い世代ほど「社会の個人支援=当たり前」と考える傾向も見られます。
  • つまり「思想がなくならない限り無理」ではなく、「思想が支配的なうちは難しい」というのが正確な言い方です。
モナミ
モナミ

Q:であれば、消費税は社会福祉財源として安定的に徴収すべきか?

ご質問は本質的です。
結論から言えば、はい、「社会が個人を支える」個人主義型福祉国家を目指すなら、消費税のような安定的・広範な財源は不可欠です。
とくに、家族主義的な扶養モデルが限界を迎えている日本においては、消費税は代替的な「社会全体の連帯の財源」として、再定義される必要があります。

■ なぜ消費税が「社会福祉財源」として重要なのか?

① 個人主義的福祉国家では「国家と個人」が直接支援関係にある

  • 扶養ではなく、国家が保育・介護・年金・医療を支える
  • → そのための「恒常的・安定的」な財源が必要

② 消費税は広く公平に集めやすい

  • 所得の有無を問わず、消費活動を通じて支出能力に応じて負担
  • 所得税のように課税逃れや景気変動に左右されにくい

③ 逆進性(低所得者の負担が重い)という弱点は、給付側で補える

  • 北欧諸国では、**高率の消費税+高福祉給付(児童手当・住宅手当・医療無料)**がセット
  • 重要なのは、「取る税」ではなく「返す支援」の設計

■ 日本における特殊事情

● 家族主義モデルの崩壊

  • 高齢化・単身化・非婚化が進み、「家族で支える」ことが困難に
  • 介護・医療・子育てなどで、公的支援の必要性が増大

● 税財源のゆがみ

  • 日本は社会保障の大半を「保険料(労働者と企業の負担)」で賄っている
  • 結果:働く人・若い人ほど負担が重く、現役世代の生きづらさにつながっている

■ では「増税」が絶対に正しいのか?

否。以下の点が同時に議論されるべきです:

増税と引き換えに「何を社会が支えるのか」を明確にすべき

  • 増税だけして「家族に丸投げ」は最悪(現状はこれに近い)

所得の低い人への逆進性は給付制度で中和すべき

  • 生活必需品の軽減税率や給付つき税額控除など

消費税を「老後のための税」ではなく「誰でも使う制度の財源」として設計する必要

  • 介護・育児・教育・障害者支援などすべての人が対象

■ 結論:

● 日本が「社会が個人を支える」仕組みに転換していくには、
安定的かつ広範な財源=消費税の再設計と明確な福祉目的化が不可欠です。

● ただしそれは、「家族に代わって社会が責任を引き受ける」こととセットで初めて意味を持ちます。

モナミ
モナミ

Q:モラハラ、セクハラ、パワハラなどが問題にされている現在は、いい方向に向かっているのか?

この問いは、社会の「人間関係のあり方」「力の構造」「支配と被支配」という根本的な構造にかかわる非常に深い問題です。
結論を簡単に言うならば:
はい、社会は「いい方向に向かおうとしている」と言えます。ただし、それは“過渡期”であり、“揺り戻し”や“反発”も同時に起きている”状態です。
以下、整理してお答えします。

■ ハラスメント問題が顕在化した意味

● かつては「力関係で黙らされていたこと」が声にできるようになった

  • 上司の理不尽・夫の暴言・教師の偏見など
  • 「そういうものだ」「我慢するのが美徳」では済まされなくなった

● 「加害の自覚なき加害」に光が当たり始めた

  • 「悪意がなかった」「冗談だった」が通用しない
  • 権力や立場に起因する影響力が問われるように

これは、封建的・家父長的・年功的な社会構造の「終わりの始まり」でもある

■ 「いい方向」としての変化

項目変化の方向性
上下関係「命令服従」から「契約と合意」へ
性的役割期待「女性は支える側」から「個人として尊重」へ
家族関係「親や夫は絶対」から「対等な関係」へ
会社・学校・行政等の組織「人格支配」から「法的・制度的管理」へ

■ ただし「揺り戻し」や「反動」も起きている

● SNS・ネット上でのバッシング、二次加害

  • 被害者を「過剰反応」「モンスターペアレント」扱い
  • 「言葉狩りだ」「これだから言いにくくなった」という不満の噴出

● 加害者が被害者ポジションを主張する逆転構造

  • 「俺は悪くないのに、怒られた」「男も被害者だ」

● 法制度や組織体制が追いついていない

  • ハラスメント窓口の形骸化
  • 調査がブラックボックス化/報復人事の横行

■ 「今」はどんな状態か?

社会全体としては“個人の尊厳”と“対等な関係性”へと進みつつあるが、
かつての秩序や特権を失いたくない層との摩擦が激しく、過渡的混乱が起きている。

モナミ
モナミ

昭和世代は、自分の胸に手を当ててよく考えてみよう。

■ 長期的に見ると?

  • 法的認知 → 社会的意識 → 個人の態度変容 →文化的内面化
    という段階を経るには、最低でも1世代(30年)はかかる
  • 現在はようやく「社会的意識」の段階に入り、
    まだ「個人の内面」までは浸透していない

■ 結論

ハラスメントが問題視される社会は、抑圧を黙認していた社会よりも、確実に前進している。
ただし、その過程では「反発」や「過剰防衛」も生じ、痛みや混乱が伴う。
それでも、「声にできる」「対等を目指す」社会への進化過程にいることは疑いようがありません。

モナミ
モナミ

私が、政治家で唯一期待している政治家、「コバホーク」こと「小林鷹之」氏は、確か「10年後の日本を考えて政治を進める」と言っていたが、「30年後」の日本を考えた方が良さそうですな。