読み手不在の点訳 ― 実例編3

点訳について

点字図書室で感じた「目的と手段のすり替わり」

趣味として点訳を続ける、自分なりのスタンス

先日、点字図書室を訪ねた。
私は当初、点訳ボランティアとして活動できればと考え、講習に参加した。
しかし、実際に目にした現実は、自分が思い描いていた「読み手のための点訳」とはかけ離れていた。

そこでは「読み手にどう伝わるか」よりも、「手引きに従って登録すること」や「活動を続けること」そのものが目的になっていた。
肝心の「視覚障害者の方にとってどうか」という視点が、後景に追いやられているように感じられた。

ボランティアは本来、目的を果たすための手段である。
生計を立てる仕事でもなく、報酬が出るわけでもない。
であればこそ、読み手に「読めてよかった」と思ってもらえることこそが唯一の報酬であるはずだ。
だが、現場にはその姿勢が見えなかった。

そのため、私は意味を見いだせず、講習を途中で退会した。
結果として「奉仕としての点訳」ではなく、「趣味としての点訳」に傾いていくしかなかったのである。

元々、理系である私にとって、点字は非常にシステマチックで有用性のある仕組みの文字だ。
翻訳の段階から触読を意識し、言葉が指先で伝わるよう工夫をすることは、とても面白い作業だと感じている。

だからこれからは、誰かに奉仕するためではなく、自分の楽しみと記録のために点訳を続けていく。
その記録が未来の誰かにとって参考になり、共感につながれば、それで十分だ。

仕事やボランティア活動としてではなく、あくまで趣味として歩む点訳。
今回の体験は、それを改めて心に刻むきっかけとなった。

そして気づいたのは、実践編で感じた違和感の背景に、この「制度としての点字図書室」の姿があるということだ。
だからこそ私は、「こんな使い方する手引きなんていらない」という立場をより確信し、自分の翻訳と点訳を楽しむ道を選んでいきたい。