「あなた、プロテスタントですか?」

― Et vous êtes protestant ?
「それで|君は|プロテスタント|なのか?」
メグレはジャン・デュクロの初対面で、唐突にこう言う。
いきなり、宗教の質問をするとは理解し難いが、そこが、メグレ気質というものだろう。
Et vous êtes protestant ?
(あなた、プロテスタントですか?)
実は、メグレは宗派そのものの良し悪しを問題にしているわけではない。
ここで問われているのは、育ちの文化が形作った人格の基調であり、この短い一撃は作品背景を理解する重要な手がかりとなるのだ。
スイス・ロマンドとは何か
スイスのフランス語圏という地域
スイス・ロマンドは次の地域を含んでいる。

- ジュネーヴ
- ヴォー
- ヌーシャテル
- ジュラ
- フリブール西部
- ヴァレー西部
言語はフランス語だが、フランスとは異なる固有の文化をもち、とりわけ宗教改革以降の宗派背景が特徴的である。
宗教改革とプロテスタント文化の形成
カルヴァン派の中心地としての役割
とくにジュネーヴは、カルヴァンが宗教改革を推し進めた都市として知られ、そこから禁欲・勤勉・自制・理性中心といった価値観が幅広くスイス・ロマンドに浸透した。
プロテスタント文化の特徴
- 厳格な倫理観
- 自己規律
- 華美を避ける生活態度
- 学問・教育への高い関心
- 国際性・語学力
- 感情を表に出さない抑制
これらは、Duclos が纏っている“国際派学者”としての雰囲気そのものでもある。
地域別の宗派分布(1930 年頃)
地域による違いと全体傾向
スイス・ロマンドの宗派分布は次の通り。
プロテスタント多数派
- ジュネーヴ
- ヴォー
- ヌーシャテル
カトリック多数派
- ジュラ
- フリブール
- ヴァレー
中心地であるジュネーヴ・ヴォー・ヌーシャテルは明確に改革派プロテスタント文化圏であり、その影響が地域全体に深く浸透している。
「プロテスタント」と確信したメグレの勘
宗教そのものではなく、“気質の基層”を確認している
1930 年代のフランスでは大多数がカトリックであり、プロテスタントはごく少数派である。それでもメグレはこの一言を投げかけた。
これは宗教上の偏見ではなく、Duclos の人格の土台となる文化を見抜くための確認である。
Duclos がもつ「スイス改革派的」な特徴
- 態度が厳格で筋が通っている
- 禁欲的で控えめ
- 国際学会や講演旅行に慣れている
- 語学に強く、旅慣れた落ち着き
- 研究のための研究という学究性
これらはスイス・ロマンドのプロテスタント文化に極めて近い気質であり、メグレはそれを読み取っている。
Duclos の出自と「国際派学者」の空気
スイス生まれ・フランス帰化という二重性

― En Suisse romande. Je suis naturalisé Français. J’ai fait toutes mes études à Paris et à Montpellier.
「スイス=ロマンド(スイスの|フランス語圏)の
生まれです。||その後|フランスに|帰化しました。||学業は|すべて|パリと|モンペリエで|修めてます。」
Duclos はこう説明する。
En Suisse romande. Je suis naturalisé Français.
(スイス・ロマンド出身で、フランスに帰化しました。)
彼の気質がフランス本土の学者とは少し違って見える理由はここにある。
育まれた文化の違いが作る人物像
- 自律的
- 抑制された態度
- 国際感覚
- 派手さのない佇まい
これらはスイス改革派の文化的素養に根ざしている。
作品上の意味:二人の“心理戦”の始まり
une petite guerre(小さな戦争)の火蓋
Cela s’engageait comme une petite guerre.
その様子は、|まるで|ちょっとした|戦争でも|始まるような|気配だった。
宗派を問うこの一言は、メグレと Duclos の間に走る心理的緊張を一気に表面化させる。相手の育ちを読み取るメグレと、その視線を受け止める Duclos とのあいだで、小さな戦争のような駆け引きが始まる。
まとめ
- スイス・ロマンドは宗教改革の中心地で、プロテスタント文化が強い
- Duclos の気質(禁欲・国際性・学究性)は、この文化背景と整合的
- メグレの「プロテスタントか?」は宗派を問うのではなく、人格形成の背景を見抜く確認
- この場面は二人の“心理的な小戦争”の始まりを示す重要な転換点である

