パリの記憶を刻むカフェ・ブリュワリー
創設と黄金時代(1920年代〜1930年代)
1927年、第一次世界大戦後のパリ・モンパルナス地区に ラ・クーポール(La Coupole) は誕生しました。
創業者はルネ・ラピュエールとエルネスト・フランシュロン。
当時のモンパルナスは芸術家や作家が夜ごと集う国際的な文化の中心であり、 この店はその象徴的な場となりました。
店内はアール・デコ様式で統一され、40本以上の柱を若手画家たちが自由に装飾しました。
この「芸術家の柱」は、モンパルナス文化の多様性と自由を今に伝えています。
やがてここは、 ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ピカソ、モディリアーニ、マティス、そしてシムノン といった文学者や画家の社交場となり、夜ごとジャズと煙草の香りが満ちていました。
ラ・クーポール はまさに「退廃と創造」が同居するパリの夜の象徴でした。
シムノン作品との関連
シムノンが『プロヴィダンス号の馬曳き(Le Charretier de la Providence)』(1931)を書いた頃、 彼自身もしばしばこの界隈を訪れていました。
彼のいくつかの作品の中に登場する物語の主要な舞台にもなります(『男の首』など)。
彼の登場人物たちは地方や港からパリへ流れ込み、 このような店で一時の快楽を求めます。
『プロヴィダンス号の馬曳き(Le Charretier de la Providence)』の中で

― Leur prénom… Suzy et Lia.. Elles sont chaque soir à La Coupole..
彼女たちの|名前は、|<スージー>と|<リア>です。
二人とも、|毎晩|<ラ=クーポール>にいます。
ウィリーが語るこの一言は、1930年代パリの享楽的で都会的な空気をそのまま封じ込めたものです。
ラ・クーポールに集う女性たちは、モデルであり踊り子であり、 一夜の自由を生きるモンパルナスの象徴でもありました。
戦後から現代へ
第二次世界大戦後、モンパルナスの芸術家文化は衰退しましたが、 ラ・クーポール は営業を続け、歴史的価値を保ちながら新しい客層を迎えました。
店内の内装は大部分が創業当時のままで、天井のドーム(Coupole=「丸天井」)と広大なホール、
アール・デコの照明や柱の装飾が今も来訪者を迎える。
2020年代の今日でも、朝から夜までパリジャンや観光客でにぎわい、“あの時代のモンパルナス”を体験できる数少ない場所のひとつである。
文化的意味
ラ・クーポールは、単なるカフェでも、レストランでもない。
それは、「時代の精神(esprit d’époque)」を留める記憶の空間である。
ここでは芸術と享楽、孤独と社交、退廃と自由が交錯し、その香りをシムノンは作品の中にさりげなく染み込ませた。
メグレが追う「都会の罪」と「人間の哀しみ」は、このラ・クーポールの夜を背景にして、よりリアルに響いてくる。

