作品背景|ダン『時間の実験』(Dunne, An Experiment with Time)

作品背景

アガサ・クリスティーのミス・マープルシリーズ『Sleeping Murder』の中で、主人公グウェンダは次のような体験をしました。

Here she was in a house she had never been in before, in a country she had never visited― and only two days ago she had lain in bed imagining a paper for this very room― and the paper she had imagined corresponded exactly with the paper that had once hung on the walls.
Wild fragments of explanation whirled round in her head. Dunne, Experiment with Time-seeing forward instead of back…

ここは|彼女が|これまで|一度も|来たことのない|家だ。訪れたこともない|国の|家だ。しかも|ほんの|二日前、|彼女は|ベッドに|横たわりながら、|この部屋の|壁紙を|想像していた。
そして|その|想像した|壁紙は、|かつて|この部屋に|貼られていた|壁紙と|完全に|一致していたのだった。
説明しようとする|考えの|断片が|彼女の|頭の中で|ぐるぐると|回った。ダンの|『時間の実験』――未来を見る|のではなく、|過去を見る|という|考え……

彼女は、庭の小道や壁のドアの位置、さらには部屋の壁紙まで、まるで前から知っていたかのように感じます。
普通なら幽霊や霊感を疑うところですが、彼女自身はそういうものを信じるタイプではありません。

そこで思い浮かんだのが、ダンの『時間の実験」でした。

『時間の実験』の概要

『An Experiment with Time(時間の実験)』 は、イギリスの航空技術者・哲学者 J. W. Dunne(ジョン・ウィリアム・ダン) が 1927年 に出版した本です。

この本は、「人間は夢の中で未来を見ることがあるのではないか」という仮説を、体験例と観察から説明したものです。

当時かなり話題になり、1920〜30年代の文学やミステリーにも影響を与えました。
クリスティがこの本を知っていた可能性は高いと言われています。

『時間の実験(An Experiment with Time)』は、1927年にイギリスの技術者であり思想家でもあった J. W. ダン(John William Dunne) が出版した本で、当時かなり話題になった奇妙な時間論の書物です。

航空技術者だったダンは、自分が見た夢の内容と、その後に現実に起きた出来事との間に不思議な一致があることに気づきました。
そこから彼は「夢は単なる過去の記憶ではなく、未来の出来事の断片を含んでいるのではないか」という仮説を考えるようになります。

ただ、彼女は、未来を見るのではなく、むしろ「過去を見ているのではないか」と感じました。


作者ダンの主張

ダンの基本的な考えは、「夢の中では時間が直線ではなくなる。」というものです。

夢は過去の記憶だけでできているのではない
未来の出来事の断片も混ざる

彼はこれを説明するために、時間は一本の流れではなく、多層構造になっていると考えました。

ダンの考えでは、人間が日常生活で感じている時間は一本の直線のように流れているように見えます。
しかし夢の中では、その順序が崩れ、過去と未来が混ざり合う可能性があると彼は考えました。
夢の中では、まだ起きていない出来事の断片がすでに意識の中に現れることがあるというのです。

ダンの実験方法

彼はこの考えを裏づけるために、夢を見たらすぐ記録する「夢日記」をつけ、後になって現実の出来事と照らし合わせるという観察を提案しました。

夢日記をつける

起きたらすぐに夢を書き留める。

後で現実と比較する

すると、夢の内容と、後に起きる出来事の間に一致が見つかることがある、というのです。

彼自身は「火山噴火」「新聞記事」「事故」などを夢で見たあと、現実で似た出来事が起きた例を紹介しました。


「連続時間理論」

この奇妙な現象を説明するために、ダンはさらに大胆な理論を考えました。

時間は単純な一つの流れではなく、いくつもの階層が重なっているという考え方です。
私たちが経験している時間を「第一の時間」とすると、それを観察している意識はその外側の「第二の時間」に属している。そしてその第二の時間もまた別の時間に観察されている

というように、時間は無限に重なった構造になっているというのです。この考えは彼自身が 「連続時間(Serial Time)」 と呼んだ理論でした。

時間1 → 普通の時間
時間2 → それを観察する時間
時間3 → さらにそれを観察する時間
……


文学への影響

この本は学問的な意味ではかなり疑わしい理論とされていますが、1920年代から30年代の文化や文学には強い影響を与えました。
当時の作家たちは「夢が未来を見せる」という発想に強い興味を抱き、時間や記憶をテーマにした作品を書くときのヒントとして利用しました。

アガサ・クリスティの小説「スリーピング・マーダー」「五匹の子豚」などにも、その影響が見られるのではないでしょうか。