霧の港
第四章 ル・サン・ミシェル
「お口に合いますか」と料理が出るたびに、ホテルの主人が心配そうに聞いた。
「結構!結構!」とメグレは答えたが、実のところ、自分が何を食べているのか、よくわかっていなかった。

彼は、ホテルの食堂にひとりでいた。その食堂は、四十人か、五十人ほどが食事できるように作られていた。夏にウイストラムへ海水浴に来る客のためのホテルだった。家具は、どこの海辺のホテルにもあるようなものだった。テーブルには小さな花瓶が置かれていた。
メグレが感心を持って、ようやくわかりかけていたウイストラムとは、何のつながりもなかった。
それが、彼の満足の理由だった。捜査で彼がいちばん恐れているのは、最初の接触だった。そこには、不手際があり、間違った思い込みがつきものだった。

たとえば、ウイストラムという言葉だ。パリでは、実際とは何の関係もないサン=マロのような港のイメージを連想していた。それから、最初の夜、メグレの目には、そこは陰気で、荒っぽく無口な人々の住む場所に見えた。
今では、すっかり理解していた。自分の居場所のように感じていた。ウイストラムとは、小さな木が植えられた道の先にある、どこにでもある村だった。大事なのは港だけだった。水門、灯台、ジョリスの家、ラ・ビュヴェット・ド・ラ・マリーヌ。
そして、その港のリズムだ。一日に二度の潮、かごを持って通る漁師たち、船の出入りだけを見ている一握りの男たち。

ほかの言葉も、前よりはっきりした意味を持つようになっていた。船長、貨物船、沿岸船。彼には、それらが動きまわる様子が見え、人の営みの法則がわかってきていた。
謎は解明されていなかった。はじめにわからなかったことは、すべてわからないままだった。だが少なくとも、人物たちはそれぞれの場所に収まり、それぞれの環境で、日々の規則正しい暮らしの中にいた。
「長くこちらにおいでですか」
主人が自分でコーヒーを出しながらたずねた。
「わからん」
「これが海水浴の季節に起きていたら、うちにはとんでもない痛手でしたよ」

メグレは今、四つのウイストルアムを明確に区別していた。港のウイストルアム。村のウイストルアム。村長の別荘のようないくつかの別荘が大通り沿いに並ぶブルジョワのウイストルアム。そして最後に、しばらく存在しない海水浴場のウイストルアム。
「お出かけですか」
「寝る前にひと回りしてくる」

潮の時刻だった。外はこれまでの毎日よりずっと寒かった。霧は深いままだったが、氷のように冷たい水のしずくに変わりつつあった。
すべてが黒かった。すべてが閉ざされていた。見えるのは灯台の濡れた目だけだった。そして水門の上では、声と声が呼びあっていた。
汽笛が短く一つ鳴った。緑と赤の灯りが近づいてきて、一つのかたまりが岸壁すれすれに滑り込んできた。

今のメグレには、その動きが理解できた。沖から蒸気船が入ってきたのだ。近づいてきた人影が、そのもやい綱を受け取り、最初の係船柱にかける。次にブリッジから船長が、船を止めるために後ろへ舵を切る指示を出す。
デルクールがメグレのそばを通り過ぎた。不安そうに桟橋のほうを見つめていた。

「何だ?」
「わかりません」

デルクールは眉を寄せていた。まるで意識を集中すれば、真っ暗な闇の中の何かが見えるとでもいわんばかりだった。すでに二人の男が、水門の扉を閉めにかかっていた。デルクールが彼らに叫んだ。
「ちょっと待て!」
そして突然、驚いたように言った。
「やつだ」
そのとき、五十メートルと離れていないところで、声が上がった。
「おい!ルイ!ジブを下ろせ。左舷が岸に着くように見ていろ」
それは、下のほう、桟橋の方の暗い穴の中から聞こえた。蛍のような光が近づいてきた。誰かが移動したのが見え、帆がリングをきしませながらワイヤーに沿って滑り落ちていった。

それから、広げられた大きな帆が、手の届きそうなところを通り過ぎた。
「どうやって来たんだか、わからんな」とデルクールがつぶやいた。
そして、帆船のほうを向いて怒鳴った。
「もっと先だ!蒸気船の左舷側へ船首を押し出せ。そうしないと、水門の扉が閉められん」
一人の男が、もやい綱を持って陸へ飛び移り、今は腰に手を当てて、あたりを見回していた。

「ル・サン・ミシェル?」とメグレが尋ねた。
「ええ。蒸気船並みに走ってきたんです」
下には、甲板の上に小さなランプが一つあるだけで、樽や、綱の山や、舵を離れて帆船の前方へ走っていく男の影などが、ぼんやりと照らされていた。
水門の作業員が、一人また一人とやってきて、奇妙な好奇心を浮かべながら船を眺めていた。
「水門へ行け、みんな!さあ!ハンドルは向こうだぞ!」

扉が閉まると、水が調整弁から勢いよく流れ込み、船が上がりはじめた。小さな明かりが近づいた。甲板がほとんど岸壁と同じ高さまで上がり、そこにいた男がデルクールに声をかけた。

「元気か?」
「ああ!」とデルクールが迷惑そうに答えた。
「早かったな!」
「いい風が、吹いてたからな。ルイが帆を全部張った。おかげで、貨物船を一隻後ろへ置いてきたくらいだ」

「カーンへ行くのか?」
「ああ、積み荷を下ろしに行く。こっちは変わりないか?」
メグレはすぐそばにいた。グラン=ルイは、少し離れたところにいた。
だが、互いの姿はほとんど見えなかった。話しているのは、港湾長のデルクールとル・サン・ミシェルの船長だけだった。
デルクールは、それ以上何を言えばよいのかわからないまま、メグレのほうを振り向いた。
「ジョリスが帰ってきたって本当か。新聞に出ているそうだが」
「帰ってきて、またいなくなった」
「どういう意味だ?」
グラン・ルイが、両手をポケットに入れたまま、肩を片方ゆがめて、一歩近づいてきた。暗がりでそうして見ると、彼は大きいだけの、むしろ締まりのない、体格のはっきりしない男に見えた。
「死んだ」

今度は、ルイがデルクールに触りそうなほど近づいた。
「本当か」と彼は低い声で呟いた。
メグレがその声を聞いたのは、これが初めてだった。その声にも、どこか締まりのない感じがあった。こもり気味で、少し間のびしていた。顔はまだ見分けられなかった。
「帰ってきた最初の晩に、毒を盛られたんだ」
そしてデルクールは、用心深く、明らかな思惑があって、急いでつけ加えた。
「こちらは、パリから来た警部で、この事件を任されている」
彼はほっとしていた。前から、どうやってこのことを切り出せばよいか、ずっと考えていたのだ。ル・サン・ミシェルの連中が、うっかり何かを言い出すことを心配していたのだろうか。
「ああ。旦那は警察の方ですか」

船はまだ上がりつづけていた。船長は舷側をまたぎ、岸壁へ飛び移り、メグレに手を差し出そうかためらった。
「なんてことだ!」と彼はまだジョリスのことを考えながら、そう言った。
彼もまた不安を感じているのがわかった。しかも、その不安はデルクールよりさらにはっきりしたものだった。ルイの大きな影は、頭を傾けたまま、ゆらゆらしていた。彼は何かをどなったが、警部にはわからなかった。

「何と言った?」
「方言でうなっているんだ。『畜生!畜生!』と」
「何が『畜生』なんだ?」メグレは元服役囚に尋ねた。

だが、相手はただメグレの目を見つめるだけだった。二人は互いに近づいていた。今では、顔つきが見て取れた。グラン・ルイの顔はむくんでいた。片方の頬がもう片方より大きいのか、それとも、いつも首をかしげているせいでそう見えるのか。
ふくれた肉づきの顔に、飛び出しそうな大きな目。
「きのう、ここにいたな!」と、警部が言った。
水門の水の上下は終わっていた。上流側の扉が開いていた。蒸気船は運河の水へすべり出し、デルクールは積み荷の重さと出港地を聞くために走らねばならなかった。ブリッジの上から叫ぶ声が聞こえた。

「九百トン!ルーアン!」
しかし、ル・サン・ミシェルは水門から出てこなかった。水門のまわりに立って作業をしていた男たちは、何かふつうでないことが起きていると感じ、各々が暗闇の穴の中で待ち構え、耳をすませていた。
デルクールが戻ってきた。渡された数字を手帳に書きつけていた。

「それで?」とメグレはいらだった。
「それで、何だ?」とルイがつぶやいた。
「あんたは、俺がきのうここにいたと言う。いたからいたんだ」
彼の言うことを聞き取るのは楽ではなかった。言葉を飲みこむような、口を閉じたまま話すような、まるで同時に何かを噛んでいるような独特の話し方をしたからである。そのうえ、強いなまりがあった。
「何をしに来た?」
「妹に会いに」
「それで、妹がここにいなかったから、書き置きを残したんだな」
メグレはひそかにル・サン・ミシェルのオーナーを見ていた。その服は線員の服と同じだった。これといった特徴はなかった。沿岸船の船長というより、むしろ気のよい職長といった感じだった。

「フェカンで修理のために三日足止めを食ったんです。それで、ルイはジュリーに会いに来たんです」と、彼が口をはさんだ。
水門の船溜りを囲んで、誰もが、耳をそばだてているのが感じられた。誰もが音を立てまいとしているに違いなかった。霧笛は遠くでなおもなり続け、霧は水気を帯びて、石畳を黒く光らせていた。
帆船のデッキで、ハッチが開いた。乱れた髪と、ぼうぼうの髭の顔が出てきた。

「で、どうなんだ?ここに残るのか?」
「黙れ、セレスタン!」と船長が言った。
デルクールは寒さをしのぐため、あるいはどういう顔をしていればよいかわからないからか、足踏みをしていた。残るべきか、離れるべきか、判断がつかなかったのである。

「なぜ、ジョリスが危ないと思ったんだ、ルイ?」
すると、相手は肩をすくめた。
「そりゃ、もう、頭を割られてたからだ。見当をつけるのは難しくなかった」
その低く唸るような声でつぶれた発音を聞き分けるのはひどく難しく、ほとんど通訳が必要だった。
そこにはひどい気まずさがあった。目に見えない不安に満ちた雰囲気だった。ルイはジョリスの家のほうを見た。しかし、何も見えなかった。夜の中に、もっと黒く見える影さえ見えなかった。
「ジュリーはあそこにいるのか?」
「ああ。会いに行くのか?」

彼は熊のように、首を横に振った。
「なぜだ?」
「きっと泣いてる」
彼の発音は、『エル・プルール』(泣いている)が訛って、『アルプロエル』に近かった。しかも、泣くのを見るのが耐えられない男の嫌そうな調子で言っていた!
彼らはまだ立ったままだった。霧はいっそう深くなり、肩を湿らせていた。デルクールは口をはさまずにはいられなくなった。
「よろしければどこかで一杯やりませんか」
少し離れた影の中から、部下の一人が知らせた。
「酒場は今閉まりました!」
そこで、サン・ミシェルの船長が言った。
「よければ、船室で一杯どうです」

四人だった。メグレ、デルクール、グラン・ルイ、そしてラネックと呼ばれている船長である。船室は広くなかった。小さなストーブが強い熱を放ち、そのせいで至る所が結露していた。ジンバル式(常に水平を保つ仕組み)の石油ランプの光はほとんど赤くなっていた。
ニスを塗ったピッチパイン材1の仕切り壁。切り傷だらけのオーク材のテーブルは、ひどくすり減っていて、平らな表面などどこにもなかった。汚れた皿がまだ置かれ、厚手のグラスはどれもべたつき、赤ワインが残り半分のボトルがあった。
左右には、仕切り壁の中に、扉のない戸棚のような四角い開口部があった。船長と、その副船長ルイの寝床だった。乱れた寝床で、長靴や汚れた服が横に投げ出されていた。タールと、酒と、料理と、寝室のにおい。だが何よりも、船に特有の、何とも言いようのないにおいが立ちこめていた。
灯りの中では、人々はそれほど神秘的には見えなかった。ランネックには茶色の口髭があり、目は利口そうですばしこかった。彼は戸棚から酒瓶を取り出し、グラスに水を満たしては床に捨てながら、すすいでいた。

「九月十六日の夜、ここにいたそうだな?」
グラン・ルイはテーブルに肘をつき、背中を丸めていた。ランネックは酒を注ぎながら答えた。
「いたよ、そうだ!」
「めずらしな、違うか?港に泊まるなんて。潮のせいで、もやい綱を見張ってないといけないだろう」
「そういうこともある!」とランネックは顔色を変えずに言い返した。
「それで数時間稼げることもよくありますからね!」と、仲裁役を買って出たいように見えるデルクールが口をはさんだ。

「ジョリス船長は船に君たちを訪ねて来なかったか?」
「水門を通るあいだは来ていた。そのあとは来ていない」
「変わったものは何も見なかったし、何も聞かなかったのか?」
「ご健康を!いや!何でもない」
「ルイ、君は寝たのか?」
「そうだったんだろうな」
「何と言った?」
「そうだったんだろうな、と言ったんだ。ずいぶん前のことだ」
「妹に会いに行かなかったのか?」
「行ったかもしれん。長くはなかった」
「ジョリスは、自分の家に足を踏み入れるなと、君に言ってなかったか?」
「でたらめだ!」と、相手は低い声で言った。
「何を言いたいんだ?」
「何でもない。くだらん話だ。まだ俺が必要か?」
彼に対して根拠のある疑いはなかった。それに、メグレは彼を捕まえる気など、まったくなかった。
「今日はいい」
ルイは船長とブルトン語で話し、立ち上がり、グラスを空けて、帽子に手をやった。

「奴はあんたに何と言った?」と、警部がたずねた。
「カーンへ行って戻るのに、俺はいなくてもいいだろうと。だから、積み荷を下ろしたあと、帰りにまたここで落ち合うことにした」
「奴はどこへ行くんだ?」
「言わなかった」
デルクールはいそいそと、ハッチから頭を出し、耳をすませ、しばらくして戻ってきた。

「ルイは浚渫船に乗っています」
「何だって?」
「運河に二隻の浚渫船があったのを見ませんでしたか?今は使っていません。ベッドがあります。船乗りはホテルへ行くより、古い船で寝るほうが好きなんです」

「もう一杯どうだい?」と、ランネックがすすめた。
メグレは目を細めてあたりを見回し、腰を落ち着けた。
「この前の十六日に、ウイストルアムを出てから、最初に寄った港はどこだ?」
「サウサンプトン2だ。石材の荷おろしがあった」
「その次は?」
「ブローニュ3」
「それからノルウェーへは行っていないのか?」
「ノルウェーへ行ったのは、六年前に一度だけだ」
「ジョリスのことはよく知っていたのか?」
「いいかい、俺たちは、誰だってよく知っているんだよ。ラ・ロシェル4からロッテルダムまでね。ご健康を!これはちょうど、オランダから持ってきたスキーダムだ。あんた葉巻は吸うのか?」
彼は引き出しから箱を取り出した。

「あちらでは十サンチームの葉巻だ。一フランだ!」
それは太く、つやつやしていて、金の帯が巻かれていた。
「妙だな!」と、メグレはため息をついた。「ジョリスは港に停泊している君たちの船へ誰かと一緒に行ったと、私は確かに聞いていたんだが・・・」5

だが、ランネックは葉巻の先を切るのにすっかり気を取られていた。そして、顔を上げたときにも、その顔からは何の動きも読み取れなかった。
「俺がそれを隠す理由はないだろう」
外から、だれかがデッキの上に飛び移り、デッキが鳴り響いた。
はしごの上に、ひとつの頭が現れた。

「ル・アーヴルからの蒸気船が入ってきます!」
デルクールはあわてて立ち上がり、メグレに言った。
「水門の用意をしてやらなければ。ル・サン・ミシェルはそこから出ます」
そして、ランネックが言った。
「俺は航海を続けてもいいんだろうね?」
「カーンまでか?」
「ああ。運河はそこ以外には通じていない。明日の晩には、たぶん荷下ろしも終わっているだろう」
皆んな、正直そうに見えた!開けた顔をしていた。それなのに、すべてがどこかうそくさく響いた。だが、それはあまりに巧妙なので、なぜうそくさく響くのか、何がうそなのかを言うことはできなかった。
人のよさそうな者たち!ランネックも、デルクールも、ジョリスも、海軍酒場にいた者たちも、みなそういう顔つきをしていた。グラン・ルイでさえ、どこか憎めない悪党という感じを与えたではないか?
「ランネック、綱を外してやる。動くなよ!」
そして、港湾長は、係船ビットに掛けてあったもやい綱を外しに行った。前にハッチら姿を現した老水夫は、ぎこちない動きで不機嫌そうにつぶやいた。
「グラン・ルイがまた逃げやがった」

そして、彼はジブとクリンジブ(ジブの補助帆)をゆるめ、ボートフックでスクーナーを押し出した。メグレは最後の一瞬、岸へ飛び降りた。霧はすっかり雨に変わっており、今では港のすべての灯り、すべての人影、待ちきれずに汽笛を鳴らしているル・アーヴルからの蒸気船まで見分けられた。

ハンドルのきしむ音が聞こえた。開かれた水門から水がどっと流れこんでいた。ゴエレット船の大きな帆が、運河の見通しをふさいでいた。
橋の上から、メグレは二隻の浚渫船を見つけた。2隻とも複雑な形状をしたボロボロのひどい船で、不気味な上部構造物は錆がこびりつていた。

彼は用心しながらそちらへ近づいた。そのあたりは、ごみくずや、古いケーブルや、錨や、鉄くずでいっぱいだったからだ。彼はタラップの役目をしている一枚の板をつたって進み、すきまからかすかな光が漏れているのが見えた。
「グラン・ルイ!」
そのとたん、明かりが消えた。ハッチにはもうふたがなかった。グラン・ルイの上半身がぬっと出てきて、彼は低い声で言った。

「何の用だ?」
だがその同じ時、彼の下の方、浚渫船の船体の中で、何か別のものが動いていた。一つの人影が、ひどく用心しながら逃げ出そうとしていた。鉄板が震える音が聞こえた。ぶつかる音もした。
「おまえと一緒にいるのは誰だ?」
「俺と?」
メグレはあたりを探したが、一メートルほどの泥がたまっている浚渫船の底へ落ちそうになった。
誰かがいる。それは確かだった。だが、すでに遠くへ行っていた。物音は、今では浚渫船の別の場所から聞こえていた。そしてメグレには、次の一歩をどこに踏み出せばよいかさえわからなかった。この世の終わりのようなこの船の構造を、彼は何一つ知らなかった。その船のバケツに、彼は頭をぶつけた。

「黙っているのか?」
意味のはっきりしない低い声。それはこう言いたいらしかった。
「何の話かわかりませんね」
夜中に、二隻の浚渫船を調べるには、十人の男が必要だっただろう。しかも!その船の中をよく知っている人間でなければ!メグレは引き返した。雨のせいで、声は妙に遠くまで届いた。港で誰かの話し声が聞こえた。

「ちょうど航路を横切る格好で……」
メグレは近づいた。それはル・アーヴルから来た蒸気船の航海士が、デルクールに何か説明していた。そしてデルクールは、メグレの姿を見ると、すっかり取り乱した。
「気づかずになくしたとは信じがたいですね」と蒸気船の航海士は続けていた。
「何を?」と警部がたずねた。
「小舟(「カノ」)です」

男は「カノット」と発音した。
「どの小舟だ?」
「これです。いまちょうど桟橋のあいだでぶつかったんです。前を行っていた帆船のものです。船尾に名前が書いてあります。サン・ミシェル」
「もやい綱がほどけたんでしょう」とデルクールが肩をすくめて口をはさんだ。
「よくあることです!」
「ほどけたんじゃありません。こんな天気なら、小舟は引かれるはずはなく、デッキに上げてあるはずだからです」
水門のまわりでは男たちがそれぞれの持ち場で、耳をすませていた。
「それは明日見ればいい。小舟はここに置いておけ」

デルクールはメグレのほうを向き、しくじったと苦笑いをしながらつぶやいた。
「ご覧のとおりです。妙な仕事でしょう!いつもごたごたがあります」
だが、警部は笑わなかった。むしろひどくまじめな口ぶりで言った。
「いいか!もし明日の七時、いや八時までに私を見なかったら、カーンの検事局へ電話を入れてくれ」
「何ですって?」
「ではおやすみ!それから、小舟はここに残しておいてくれ」
人々の注意をそらすため、メグレは両手をポケットに入れ、外套の襟を立てて、桟橋に沿って歩き去った。海は足もとで、正面で、右で、左で、ざわめいていた。強い磯の香りを含んだ空気で、彼の胸は一杯になった。
ほぼ先端に着いたとき、彼は何かを拾うためにかがみこんだ。

脚注
- 1
ピッチパイン材1の|仕切り壁。||切り傷だらけの|オーク材の|テーブルは、|ひどく|すり減っていて、|平らな|表面など|どこにも|なかった。||汚れた|皿が|まだ|置かれ、|厚手の|グラスは|どれも|べたつき、|赤ワインが|残り半分の|ボトルが|あった。
左右には、|仕切り壁の|中に、|扉のない|戸棚のような|四角い|開口部が|あった。||船長と、|その|副船長|ルイの|寝床だった。||乱れた|寝床で、|長靴や|汚れた|服が|横に|投げ出されていた。||タールと、|酒と、|料理と、|寝室の|におい。||だが|何よりも、|船に|特有の、|何とも|言いようのない|においが|立ちこめていた。
灯りの中では、|人々は|それほど|神秘的には|見えなかった。||ランネックには|茶色の|口髭が|あり、|目は|利口そうで|すばしこかった。||彼は|戸棚から|酒瓶を|取り出し、|グラスに|水を|満たしては|床に|捨てながら、|すすいでいた。
「九月十六日の|夜、|ここに|いたそうだな?」
グラン・ルイは|テーブルに|肘をつき、|背中を|丸めていた。||ランネックは|酒を|注ぎながら|答えた。
「いたよ、|そうだ!」
「めずらしな、|違うか?||港に|泊まるなんて。||潮のせいで、|もやい綱を|見張ってないと|いけないだろう」
「そういうことも|ある!」と|ランネックは|顔色を|変えずに|言い返した。
「それで|数時間|稼げることも|よく|ありますからね!」と、|仲裁役を|買って出たいように|見える|デルクールが|口を|はさんだ。
「ジョリス船長は|船に|君たちを|訪ねて|来なかったか?」
「水門を|通るあいだは|来ていた。||そのあとは|来ていない」
「変わったものは|何も見なかったし、|何も|聞かなかったのか?」
「ご健康を!||いや!|何でもない」
「ルイ、|君は|寝たのか?」
「そうだったんだろうな」
「何と|言った?」
「そうだったんだろうな、|と言ったんだ。||ずいぶん|前の|ことだ」
「妹に|会いに|行かなかったのか?」
「行ったかもしれん。||長くは|なかった」
「ジョリスは、|自分の家に|足を|踏み入れるなと、|君に|言ってなかったか?」
「でたらめだ!」と、|相手は|低い声で|言った。
48「何を|言いたいんだ?」
「何でもない。||くだらん話だ。||まだ|俺が|必要か?」
彼に|対して|根拠のある|疑いは|なかった。||それに、|メグレは|彼を|捕まえる|気など、|まったく|なかった。
「今日は|いい」
ルイは|船長と|ブルトン語で|話し、|立ち上がり、|グラスを|空けて、|帽子に|手を|やった。
「奴は|あんたに|何と|言った?」と、|警部が|たずねた。
「カーンへ|行って|戻るのに、|俺は|いなくても|いいだろうと。||だから、|積み荷を|下ろしたあと、|帰りに|また|ここで|落ち合うことにした」
「奴は|どこへ|行くんだ?」
「言わなかった」
デルクールは|いそいそと、|ハッチから|頭を|出し、|耳を|すませ、|しばらくして|戻ってきた。
「ルイは|浚渫船に|乗っています」
「何だって?」
「運河に|二隻の|浚渫船が|あったのを|見ませんでしたか?||今は|使っていません。||ベッドが|あります。||船乗りは|ホテルへ|行くより、|古い船で|寝るほうが|好きなんです」
「もう|一杯|どうだい?」と、|ランネックが|すすめた。
メグレは|目を|細めて|あたりを|見回し、|腰を落ち着けた。
「この|前の|十六日に、|ウイストルアムを|出てから、|最初に|寄った|港は|どこだ?」
「サウサンプトン2だ。||石材の|荷おろしが|あった」
「その次は?」
「ブローニュ3」
「それから|ノルウェーへは|行っていないのか?」
「ノルウェーへ|行ったのは、|六年前に|一度だけだ」
「ジョリスの|ことは|よく|知っていたのか?」
「いいかい、|俺たちは、|誰だって|よく|知っているんだよ。||ラ・ロシェル4から|ロッテルダムまでね。||ご健康を!||これは|ちょうど、|オランダから|持ってきた|スキーダムだ。||あんた|葉巻は|吸うのか?」
彼は|引き出しから|箱を|取り出した。
「あちらでは|十サンチームの|葉巻だ。||一フランだ!」
それは|太く、|つやつやしていて、|金の帯が|巻かれていた。
49「妙だな!」と、|メグレは|ため息をついた。||「ジョリスは|港に|停泊している|君たちの|船へ|誰かと|一緒に|行ったと、|私は|確かに|聞いていたんだが・・・」5
だが、|ランネックは|葉巻の|先を|切るのに|すっかり|気を|取られていた。||そして、|顔を|上げたときにも、|その顔からは|何の|動きも|読み取れなかった。
「俺が|それを|隠す|理由は|ないだろう」
外から、|だれかが|デッキの上に|飛び移り、|デッキが|鳴り響いた。
はしごの上に、|ひとつの|頭が|現れた。
「ル・アーヴルからの|蒸気船が|入ってきます!」
デルクールは|あわてて|立ち上がり、|メグレに|言った。
「水門の|用意を|してやらなければ。||ル・サン・ミシェルは|そこから|出ます」
そして、|ランネックが|言った。
「俺は|航海を|続けても|いいんだろうね?」
「カーンまでか?」
「ああ。||運河は|そこ以外には|通じていない。||明日の晩には、|たぶん|荷下ろしも|終わっているだろう」
皆んな、|正直そうに|見えた!||開けた|顔を|していた。||それなのに、|すべてが|どこか|うそくさく|響いた。||だが、|それは|あまりに|巧妙なので、|なぜ|うそくさく|響くのか、|何が|うそなのかを|言うことは|できなかった。
人の|よさそうな|者たち!||ランネックも、|デルクールも、|ジョリスも、|海軍酒場に|いた|者たちも、|みな|そういう|顔つきを|していた。||グラン・ルイでさえ、|どこか|憎めない|悪党という|感じを|与えたでは|ないか?
「ランネック、|綱を|外してやる。||動くなよ!」
そして、|港湾長は、|係船ビットに|掛けてあった|もやい綱を|外しに|行った。||前に|ハッチら|姿を|現した|老水夫は、|ぎこちない|動きで|不機嫌そうに|つぶやいた。
「グラン・ルイが|また|逃げやがった」
そして、|彼は|ジブと|クリンジブ(ジブの補助帆)を|ゆるめ、|ボートフックで|スクーナーを|押し出した。||メグレは|最後の|一瞬、|岸へ|飛び降りた。||霧は|すっかり|雨に|変わっており、|今では|港の|すべての|灯り、|すべての|人影、|待ちきれずに|汽笛を|鳴らしている|ル・アーヴルからの|蒸気船まで|見分けられた。
50
ハンドルの|きしむ音が|聞こえた。||開かれた|水門から|水が|どっと|流れこんでいた。||ゴエレット船の|大きな|帆が、|運河の|見通しを|ふさいでいた。
橋の上から、|メグレは|二隻の|浚渫船を|見つけた。||2隻とも|複雑な|形状をした|ボロボロの|ひどい船で、|不気味な|上部構造物は|錆が|こびりつていた。
彼は|用心しながら|そちらへ|近づいた。||そのあたりは、|ごみくずや、|古いケーブルや、|錨や、|鉄くずで|いっぱいだったからだ。||彼は|タラップの|役目をしている|一枚の|板を|つたって|進み、|すきまから|かすかな|光が|漏れているのが|見えた。
「グラン・ルイ!」
そのとたん、|明かりが|消えた。||ハッチには|もう|ふたが|なかった。||グラン・ルイの|上半身が|ぬっと|出てきて、|彼は|低い声で|言った。
「何の|用だ?」
だが|その|同じ時、|彼の下の方、|浚渫船の|船体の中で、|何か|別のものが|動いていた。||一つの|人影が、|ひどく|用心しながら|逃げ出そうと|していた。||鉄板が|震える|音が|聞こえた。||ぶつかる|音も|した。
「おまえと|一緒に|いるのは|誰だ?」
「俺と?」
メグレは|あたりを|探したが、|一メートルほどの|泥が|たまっている|浚渫船の|底へ|落ちそうになった。
誰かが|いる。||それは|確かだった。||だが、|すでに|遠くへ|行っていた。||物音は、|今では|浚渫船の|別の場所から|聞こえていた。||そして|メグレには、|次の|一歩を|どこに|踏み出せばよいかさえ|わからなかった。||この世の|終わりのような|この船の|構造を、|彼は|何一つ|知らなかった。||その船の|バケツに、|彼は|頭を|ぶつけた。
「黙って|いるのか?」
意味の|はっきりしない|低い声。||それは|こう|言いたいらしかった。
「何の話か|わかりませんね」
夜中に、|二隻の|浚渫船を|調べるには、|十人の|男が|必要だっただろう。||しかも!|その|船の中を|よく知っている|人間で|なければ!||メグレは|引き返した。||雨のせいで、|声は|妙に|遠くまで|届いた。||港で|誰かの|話し声が|聞こえた。
「ちょうど|航路を|横切る|格好で……」
メグレは|近づいた。||それは|ル・アーヴルから|来た|蒸気船の|航海士が、|デルクールに|何か|説明していた。||そして|デルクールは、|メグレの|姿を|見ると、|すっかり|取り乱した。
51「気づかずに|なくしたとは|信じがたいですね」と|蒸気船の|航海士は|続けていた。
「何を?」と|警部が|たずねた。
「小舟(「カノ」)です」
男は|「カノット」と|発音した。
「どの|小舟だ?」
「これです。||いま|ちょうど|桟橋の|あいだで|ぶつかったんです。||前を|行っていた|帆船の|ものです。||船尾に|名前が|書いてあります。||サン・ミシェル」
「もやい綱が|ほどけたんでしょう」と|デルクールが|肩をすくめて|口をはさんだ。
「よく|あることです!」「ほどけたんじゃ|ありません。||こんな|天気なら、|小舟は|引かれるはずは|なく、|デッキに|上げてあるはずだからです」
水門の|まわりでは|男たちが|それぞれの|持ち場で、|耳をすませていた。
「それは|明日|見れば|いい。||小舟は|ここに|置いておけ」
デルクールは|メグレの|ほうを|向き、|しくじったと|苦笑いを|しながら|つぶやいた。
「ご覧の|とおりです。||妙な|仕事でしょう!||いつも|ごたごたが|あります」
だが、|警部は|笑わなかった。||むしろ|ひどく|まじめな|口ぶりで|言った。
「いいか!||もし|明日の|七時、|いや|八時までに|私を|見なかったら、|カーンの|検事局へ|電話を|入れてくれ」
「何ですって?」
「では|おやすみ!||それから、|小舟は|ここに|残して|おいてくれ」
人々の|注意を|そらすため、|メグレは|両手を|ポケットに|入れ、|外套の|襟を立てて、|桟橋に沿って|歩き去った。||海は|足もとで、|正面で、|右で、|左で、|ざわめいていた。||強い|磯の香りを|含んだ|空気で、|彼の胸は|一杯になった。
ほぼ|先端に|着いたとき、|彼は|何かを|拾うために|かがみこんだ。
霧の港|第三章 食糧棚
『Brille Editor System ver.8』用の『BESファイル』を、ZIPファイルに圧縮して公開しています。(2026年6月7日現在)brumes-03ダウンロード30「開けろ、ジュリー!」返事は|なかった。||だが、|体が|…vialexica.jp
2026.06.05霧の港|第五章 ノートルダム・デ・デューヌ
52夜が明けると、メグレは足を引きずり、湿り気を含んで重くなった外套を着たまま、ホテル・ド・リュニヴェールへ戻った。パイプを次から次へと吸いつづけたせいで、喉はからからだった。あたりはすっかり人けがなかった。それでも台所には、火をおこしてい…vialexica.jp
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2026.06.21
ピッチパイン(pitchpin)はアメリカ南部産の松の一種で、樹脂分が非常に多く含まれた硬い木材です。
「pitch(ピッチ・樹脂・タール)」という名前の通り、木の中に松脂がたっぷり染み込んでいるのが特徴で、そのため:
水や湿気に非常に強く腐りにくいため、船の内装材として理想的な素材です。また樹脂のおかげで飴色から赤褐色の美しい木目が出て、ニスを塗るとさらに艶が増します。重くて硬いため傷がつきにくく耐久性も高いです。
19世紀から20世紀初頭にかけてヨーロッパで広く使われ、特に船の内装・床材・壁材として好まれました。この時代のフランスの木造船の船室にピッチパインが使われているのは自然なことです。
この場面では「ニスを塗ったピッチパイン材の仕切り壁」という描写で、くたびれてはいるもののかつては丁寧に作られた船室だったことが伝わります。 - 2
サウサンプトン(Southampton)はイギリス南部ハンプシャー州にある港湾都市で、ロンドンの南西約120キロのイギリス海峡に面したサウサンプトン湾の奥に位置しています。ウイストルアムからはイギリス海峡を渡って北上すると到達できる距離です。
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1930年代当時はタイタニック号の出港地として有名で大西洋横断定期船の母港でもあり、フランスやベネルクス諸国との定期貨物航路の重要な寄港地でもありました。石材・石炭・穀物などの貨物の積み下ろしが盛んに行われていました。
この作品ではランネックが九月十六日にウイストルアムを出た後、カーンで石材を積んでサウサンプトンへ運んだと説明しています。ノルマンディーからイギリスへの典型的な沿岸貿易航路で、当時の小型帆船が担っていた日常的な仕事の一つです。 - 3
ブーローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer)はフランス北部、パ=ド=カレー県にある港湾都市です。イギリス海峡に面しており、ドーバー海峡を挟んでイギリスのドーバーとほぼ向かい合う位置にあります。
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1930年代当時はフランス最大の漁港として知られており、特にニシン漁や沖合漁業の拠点として栄えていました。またイギリスとの距離が非常に近いため、フェリーや貨物船がひっきりなしに行き来するフランスとイギリスを結ぶ重要な中継港でもありました。
この作品ではランネックがサウサンプトンの次にブーローニュに寄ったと説明しており、イギリス海峡沿いの典型的な沿岸航路の寄港地として登場しています。ウイストルアムからはノルマンディー海岸を北東へ進んだ先にある港です。
前の場面でグラン=ルイの手紙が見つかった際にも、サン=ミシェル号がブーローニュから来ていたことが触れられており、この船の航路と行動を追うメグレの捜査の重要な手がかりになっています。 - 4
ラ・ロシェル(La Rochelle)はフランス西部、大西洋岸に位置する港湾都市です。
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地理的にはボルドーの北約180キロ、ナントの南約150キロのビスケー湾に面しており、フランスの大西洋岸を代表する重要な商業港・漁港です。
歴史的には17世紀にフランスのプロテスタント(ユグノー)の拠点として有名で、ルイ13世によって陥落させられたラ・ロシェル包囲戦で知られています。また大西洋を渡るカナダへの移民の出発地としても歴史的に重要な港です。
1930年代当時は沿岸航路の重要な寄港地として、北はロッテルダムから南はスペイン・ポルトガルまでを行き来する沿岸船が必ず通る港でした。
ランネックが「ラ・ロシェルからロッテルダムまで誰でも知っている」と言ったのは、フランスとベネルクス三国の大西洋・北海沿岸を行き来する沿岸航路全体を指しており、その範囲内では船乗り同士は皆顔見知りだということを示しています。 - 5
実は、「ジョリスが、だれかと一緒に、港に停泊しているル・サン・ミシェルへ行った」と、はっきり証言した人物は出てきません。
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メグレが実際に聞いた別々の情報から推理したものです。
まず、ジュリーからは、ジョリスが九月十六日の夜、いつものように閘門へ潮の仕事に行き、そのまま帰らなかった、という話を聞いています。
そのあと、海の酒場で、デルクールや税関員たちから、九月十六日の夜、ジョリスは九時半ごろ霧の中を家へ帰るように出ていったこと、またサン・ミシェル号がその夜、前港に泊まっていたことを聞いています。
さらに、デルクールから、サン・ミシェル号は九月十六日に潮の終わりごろカーンから来て、ジョリスが「霧の中では水深が足りない」と言ったため、前港の杭に係留して一夜を明かした、という説明を受けています。
つまり、メグレの発言は、だれか一人から聞いた確定証言ではなく、港で集めた話をもとにした揺さぶりです。
「だれかと一緒に」という部分も、明示の証言ではなく、メグレの推測です。サン・ミシェル号にはランネック、グラン・ルイ、セレスタンがいて、グラン・ルイはジュリーの兄です。ジョリス失踪の夜に、サン・ミシェルが港にいた。この二つを結びつけて、メグレはランネックの反応を見るために、少し強く言っています。










