はじめに——「4位」という数字が示すもの
「日本のGDPは世界4位」。そう聞いて、あなたはどう感じるだろうか。
かつて世界2位を誇った日本は、2010年に中国に抜かれ、2023年にはドイツにも抜かれた。そして今、インドにも抜かれようとしている。数字だけ見れば、日本の順位は確実に「落ちている」ように見える。
だがこの会話は、その数字の裏側にある、もっと複雑な現実について掘り下げていった。
為替という「魔法の鏡」
GDPの順位は、実は為替レートに大きく左右される。
わかりやすい例が1980年代だ。プラザ合意(1985年)以前、1ドルは235円前後だった。この円安のせいで、日本のドル建てGDPは実力より低く見えていた。ところがプラザ合意後、円は急騰。1ドル260円台から150円台へと一気に切り上がり、日本のドル建てGDPは見かけ上、劇的に膨らんだ。1989年のバブル最盛期には、一人当たりGDPでG7トップに躍り出るほどだった。
現在の150円台は、奇しくもその1987年当時と同じ水準だ。しかし意味はまったく逆である。
当時の150円は「急激な円高」の到達点だったが、今の150円は、失われた30年と言われる円高・デフレの時代から「アベノミクス」で転換した「長期的な円安」の結果だ。
実際の生産能力が相対的に変わらなくても、この円安が続くかぎりドル換算の数字は目減りし続ける。
賃金5%上昇の「嘘」
「春闘で5%の賃上げ」というニュースを見て、給料が上がったと感じている人がどれだけいるだろうか。
実は2025年の実質賃金指数は前年比マイナス1.3%で、4年連続のマイナスだった。なぜか。春闘の賃上げ率は、主に大企業・正規雇用の数字だからだ。
日本の雇用構造を見ると、非正規雇用が全体の約3分の1を占め、中小企業が従業者数の7割を担っている。春闘の恩恵が直接届く「大企業の正規雇用者」は、全労働者のわずか10〜15%程度にすぎないだろう。残りの85〜90%には、賃上げの波はなかなか届かないのが現実だ。
中小企業が豊かになれない理由
日本の中小企業の技術力は、世界的に見ても際立っている。それは依然として変わらない。特定分野で世界シェアの過半を握る「グローバルニッチトップ」企業が、地方の中小企業の中に数多く存在する。半導体部品、航空機の精密部品、特殊鋼……その企業が供給を止めれば、世界のサプライチェーンが止まる。
それなのに、なぜ賃金が上がらないのか。
答えは「構造」にある。
多段階流通という問題
日本の流通は「多段階流通構造」と呼ばれ、メーカーから消費者に届くまでに何層もの中間業者が介在する。米の流通がその典型だ。農家から農協、全農、卸売業者、小売業者という複数の段階を経るため、農家の手取りは極めて少なくなる一方、消費者の購入価格は高くなる。
欧米も歴史的には同様の多段階流通を経験した。イギリスでは20世紀初頭に大手小売チェーンが直接取引を進め、アメリカではウォルマートが1980年代に直接発注の仕組みを確立した。
つまり、日本との差は「変化のスピード」だ。
なぜ日本の変化が遅かったのか。
大規模小売店舗法(大店法)が1974年から2000年まで大型店の出店を厳しく規制し、小規模小売店と多段階流通構造を温存したからだ。そしてこの構造的な問題は、法律が変わったからといって後述するように一気に解決するものではない。
さらに米の流通には政治的な問題も絡む。農協(JA)は自民党の強固な支持基盤であり、農協が組織票を提供し、自民党が農協・米卸の利益を守る規制を維持するという相互依存関係が続いてきた。
皮肉なのは、この構造が農家を守っているように見えて、実は農家の手取りを少なくしているという矛盾だ。生産者と消費者の双方が損をして、中間流通だけが利益を得る構造を、政治が票のために守り続けているのが透けて見えるようだ。
ホルムズ海峡封鎖によるナフサ不足の問題もそうだ。確かに、小規模の中間流通業者を多数温存する政策を続けていれば、大量の組織票として確保することができるのだろう。
多層的な下請け構造
ホールディングスの子会社・孫会社という多層的な企業グループ構造も、収益を希薄化させる。技術力のある中小企業が多層下請けに組み込まれると、どれだけ高い技術を持っていても親会社からのコスト削減圧力を受け続け、その技術を価格に転嫁して利益として回収できない。
ドイツの「ミッテルシュタント」と呼ばれる独立中堅企業群と比較すると、この差は鮮明だ。
特定分野に深く特化して付加価値を積み上げ、高い利益率と賃金を維持する企業文化が、日本には根付きにくかった。
「構造転換の途上」という現実
では、日本経済は停滞、没落の下降局面にあるのか。
必ずしもそうではない。失業率は2%台と低く、企業収益は好調で、株価もバブル崩壊後の最高水準を更新している。TSMCの熊本進出に象徴される製造業の国内回帰も進んでいる。
ただし「足踏みしながら構造転換の途上にある」というのが実態に近い。そしてその転換には、10年単位の時間がかかると多くのエコノミストが見ている。
なぜ10年単位なのか。
技術革新や設備投資は比較的早く動いたとしても、多段階流通を温存する政治構造、系列・下請けの商慣行、コスト削減を優先する企業文化、そしてその問題が見えにくい国民意識――これらは法律一本で変わるものではなく、世代交代や社会的な気づきの積み重ねによってじわじわと変化するものだからだ。
ただし、変化に時間がかかるのは人間社会の普遍的な現実で、日本特有ではない。特有なのはその変化の起こし方のパターンだ。
「お上がなんとかしてくれる」という意識
ここで、より根本的な疑問に行き着く。
日本の構造問題は、専門家の間では1980年代から指摘され続けてきた。わかっているのに変わらない。なぜか。
歴史を振り返ると、日本の大きな変革はほぼすべて外圧によってもたらされた。黒船、敗戦とGHQの占領、アメリカからの貿易自由化圧力、TPP交渉による農協改革……内側から自発的に構造を変えた例を探すほうが難しいくらいだ。
フランス革命、イギリスの名誉革命、ドイツの市民運動……欧州は市民が内側から体制を打ち壊した経験を持っている。その経験が「既得権益は市民が変えられる」という集合的な確信として文化に刷り込まれている。
日本にはそれがない。体制の変革は常に上から、あるいは外からもたらされてきた。その結果として、「おかしいと思っても声を上げても変わらない」という無力感が積み重なり、「お上がなんとかしてくれる」「自民党なら安心」という受け身の姿勢が定着した。
面白いのは、国内の世論調査で、〇〇政権を支持する理由で「人柄が良さそう」というのがトップになることだ。アメリカのトランプ大統領の支持理由になることは、まず考えられないだろう(笑
変化を嫌う気質というより、変化を起こした経験がないから変化の起こし方を知らない――そう言ったほうが正確かもしれない。
それでも、変化は起きている
では、そういった意識の日本人である限りどうしようもないのか。
そんなことはないと思う。
産直ECで農家から直接買う消費者が増え、SNSで流通の不合理を発信する若い農業者が現れ、古い商慣行を拒否してダイレクトに海外展開する中小企業の経営者が台頭している。変化のスピードは遅くても、方向は確実に動いている。
そして何より、このような議論
――GDPの数字の裏側にある企業組織と流通構造、政治と既得権益の関係、歴史的な国民意識の形成まで――
を一般の人が理解し、議論することが、変化の最初の一歩になるはずだ。
「変化のスピードが遅いだけ」
欧米との差をそう捉えれば、日本が向かう方向は見えている。問題は速度であり、その速度を上げるカギは、構造を正確に理解した市民の意識にあると感じている。
余談)
ブログの中で、あえて「市民」という言葉を使いましたが、これは日本では一般に正しく解釈されていません。
欧州の文脈で使われる「市民」は、フランス革命で言う「シトワイアン(citoyen)」、つまり国家に対して権利を持ち、義務を負い、体制を変える主体としての「政治的市民」という意味です。単に「その町に住んでいる人」ではなく、「権利意識を持って政治に参加する個人」という権利(市民権)という含意があります。
一方、日本語の「市民」は一部の政治活動家によって意図的に使われることもありますが(参考:左派が使う「市民」という言葉)、日常的には単に「一般の人々」「住民」という薄い意味で使われることが多く、欧州的な「政治的主体としての市民」という概念とは微妙にずれて現れてきます
デジタル大辞泉
し‐みん【市民】
アクセント し↓みん
1 市の住民。また、都市の住民。
2《citizen》近代社会を構成する自立的個人で、政治参加の主体となる者。公民。
3《フランスbourgeois》ブルジョアのこと。
実はこのズレ自体が、今回の議論の核心なのかもしれません。
欧州では「シトワイアン」として体制を変える主体という自覚が歴史的に培われてきたのに対し、日本では「お上がなんとかしてくれる」という意識が根強く、政治的主体としての自覚が相対的に薄いのです。
安倍政権時代に国会の前で、政権に批判的な一部活動家による『民主主義とは何だ!』という声が上がりました。これは行政府や国会に向けてではなく、主権者である日本国民全体に向けての言葉だったようにも感じられます。
この「市民」という言葉のズレ自体が、日本と欧州の意識の違いを象徴しているとも言えます。

